『守るべき者』
いつものように境内の掃除をしていると、商店街の会長がやって来た。
会長は廻妖神社御用達の菓子店の店主で、茂孝さんの将棋仲間でもある。
「茂孝さんなら今、母屋にいますよ。呼んできましょうか?」
ところが会長は、茂孝さんではなく、あいつに用事があると言う。
(珍しいこともあるものだな)
てっきり将棋を指しにきたのかと思っていたが、どうやらそうではないらしい。
会長はあいつに渡してほしいと、菓子店の紙袋を俺に差し出してきた。中にはあいつの大好物のカステラが入っている。
(そういえば、あいつ……商店街で妖怪を浄化したと言っていたな)
会長は、そのお礼に……と、わざわざカステラを持ってきてくれた、とのことだった。
「ありがとうございます。あいつ、今日は出かけているので、後で渡しておきますね」
紙袋を受け取って会長を見送った後、俺は母屋へ向かった。
台所のテーブルの上に紙袋を置いたところで、茂孝さんが顔を覗かせる。
「すまない、総佑。ちょっと話があるんだが、私の部屋に来てくれないか?」
「わかった、すぐ行く。あと、これ……会長がカステラを持ってきた。あいつが妖怪を浄化したお礼だそうだ」
紙袋を指さすと、茂孝さんはふっと表情を緩めた。
「そうか……わかった。後で私からも礼を伝えておこう」
俺はそのまま台所を出て、茂孝さんと一緒に部屋へ向かった。
茂孝さんは部屋の襖を閉めると、少し迷うような表情を浮かべてため息をついた。
「実は、あの子のことで相談があってな。そろそろ式神召喚修行をさせようかと思っているんだが、総佑はどう思う?」
(なるほど、そういうことか……)
あいつは今まで、式神召喚修行を固く禁じられてきた。
式神召喚は危険を伴うので、陰陽師としての実力がつくまでは絶対に駄目だと、茂孝さんに言われていたのだ。
(ようやく茂孝さんのお許しが出るというわけだな。めでたいことだ)
「いいんじゃないか? あいつも少しずつ成長しているし、始めるならいいタイミングだと思うが」
ところが茂孝さんは、腕を組んで何やら考え込んでいる。
(自分から提案してきたのに、なぜこんなに複雑な表情をしているんだ……?)
「何か気になることでもあるのか?」
「……完全に危険を避けることはできないだろうからな。気にならないと言えば、うそになる」
「なら、もう少し様子を見てからでいいだろう。無理にさせる必要はない」
「だがあの子も、もう二十歳だ。陰陽師として成長し続けるためにも、いつまでも禁止というわけにはいかないだろう」
茂孝さんは決心したように小さくうなずいた。
「総佑が問題ないと思うなら、修行をさせるか」
「茂孝さんが指導するのか?」
「いや、総佑に頼みたいんだ。あの子に教えてやってくれないか?」
「わかった。あいつにも、そのように伝えておく」
できるだけ早いうちに修行を始めようということで話がまとまり、俺は茂孝さんの部屋を出た。
境内の掃除に戻ろうとしたところで、ふと疑問が頭に浮かぶ。
(そういえばあいつ、どうしてあんなに霊力が不安定なんだ?)
十五年前……俺が廻妖神社へ来た頃は、あいつの霊力はもっと強かったような気がする。だがある日突然、あいつの霊力は弱くなった。
なんとなく茂孝さんの様子がおかしいことには気付いていたが、何が起こったのか、尋ねることはできなかった。そして何も聞けないまま、今日に至っている。
(だいぶ考え込んでいたようだし……やはり何か気になることがあるのか?)
大事な孫娘が式神召喚修行をするのだから、祖父として心配だという気持ちは、もちろん理解できる。
だが先ほどの茂孝さんの様子を見ると、ただそれだけではないような気もする。必要以上にあいつの修行に慎重になるのは、きっと何か理由があるに違いない。
(少し調べてみるか)
そのまま書庫へ行って、霊力に関する文献を探してみたが、あいつの霊力が弱くなった理由を調べることはできなかった。
(いっそのこと、茂孝さんに聞いてみるか。修行をする上で大事なことだからな)
あいつの霊力について何か注意すべき点があるのなら、式神召喚修行を始める前にきちんと把握しておきたい。
だが茂孝さんの性格を考えると、本当に必要なことなら、事前に説明があるはずだ。
(これから説明があるのか? それとも……)
そこまで考えて、俺は首をゆるゆると横に振った。
(どんな理由であれ、俺がやるべきことはただ一つ……あいつを守ることだけだ)
兄として、そして先輩陰陽師として、あいつを守る。それが一番近くにいる俺の役目だと、決意を新たにした瞬間──俺は激しい頭痛に襲われた。
「っ……」
額に手を添えて、思わず顔をしかめる。
(またか……)
元々頭痛持ちだが、日に日にひどくなっているような気がする。
(茂孝さんやあいつに気付かれるわけにはいかない。絶対に心配させないようにしないと……)
※ ※ ※
それから慌ただしく仕事をしているうちに、夕方になった。
裏庭で午後五時の笛を吹きながら、あいつのことを考える。
(そういえば、そろそろ帰ってくる時間だが……)
あいつは今日、所用で隣町へ出かけている。夕方には戻ると言っていたが、帰ってきた様子はない。
念のためあいつの部屋を確認してみたが、やはり姿はなかった。
(何かあったのか? ちょっと連絡してみるか……)
心配になってチャットを送ったが、なかなか既読にならない。
(スマホを確認できないほど、忙しいのか? まさか、トラブルに巻き込まれたんじゃ……)
迎えにいこうかと思ったところで、玄関の扉の開く音が聞こえてきた。
(やっと帰ってきたか……)
無事にあいつが戻ってきたという安堵感を覚えながら、俺は玄関へ向かう。
「おかえり。既読にならないから、心配したぞ。遅くなるなら連絡くらいしろ……」
終わり