『長の仕事』
雅玖は深月鏡の長として、多忙な日々を送っている。
佐吉が側近として傍にいるようになり、仕事の負担はだいぶ減ったものの、それでも自由な時間は、ほとんどとれない。
おまけにここ十数年の間に、余計な悩みまで増えてしまって──
※ ※ ※
いつものように雅玖が書類仕事をしていると、外から佐吉の怒鳴り声が聞こえてくる。
「お前たち、いい加減にしろ……!」
しばらくすると、玄関の引き戸があいて、佐吉が大股で入ってきた。
「雅玖さん、追い払っておきましたよ」
「……いつもすまない。佐吉には、世話になってばかりだな」
「気にしないでください! 右腕として、当然のことをしているだけです」
佐吉は胸を張って答えた後、視線を文机の上に向けた。そこには、未処理の書類が山積みとなっている。
「まだそんなにあるんですか? 手伝いますよ」
「だが、佐吉も自分の仕事があるだろう。お前に甘えてばかりでは……」
「だから、前にも言いましたよね? 俺にはそういう気遣いはいらないって。もっと頼ってくださいよ!」
申し訳なさそうな表情をする雅玖に、佐吉は豪快に笑いかける。
雅玖は小さくため息をこぼして、それからふっと微笑んだ。
「……わかった。恩に着る」
「任せてください!」
※ ※ ※
書類仕事が一段落した後、雅玖と佐吉は、見廻りのため商店街へ向かった。商店街は多くの妖怪でごった返していて、歩くのもままならない状態だった。
「相変わらず、混雑しているが……特に問題はないようだな」
「そうですね。じゃあ、帰りましょうか。残りの仕事、手伝いますよ」
「……助かる」
二人が踵を返そうとした時、正面から若い烏天狗の集団がやって来た。佐吉はすぐに気付いて、軽く手を上げる。
「おっ! お前たち、来てたのか。久しぶりだな!」
若い烏天狗たちは雅玖に一礼した後、佐吉と談笑を始めた。雅玖はその様子を見て、すっと身をひいた。
「私は先に帰る」
「いや、俺も一緒に帰りますよ」
「仕事なら、明日で問題ない。仲間と会うのは久しぶりだろう、ゆっくりするといい」
「じゃあ、お言葉に甘えて……ありがとうございます!」
雅玖は小さくうなずくと、一人で商店街を歩きだした。
普段から佐吉は、業務を人一倍こなし、業務以外のことでもいろいろと雅玖を気遣っている。そんな佐吉に少しは息抜きをしてほしいという、雅玖なりの配慮だった。
「せっかくだから、私も息抜きをするか。たまっている書物を読もう……」
雅玖はまっすぐ自分の家に向かおうと思い、幻怪の森へ入ったところで足を止めた。雅玖の視線の先には一人の妖怪がいて、足早に森の奥へと向かっている。
妖怪は、雅玖に見られていることには気付かない様子で、どんどん奥へと進んでいく。この先には、妖怪が住むような家もなければ、隠れるような洞窟もない。あるのは、廻妖町への出入口だけだ。
「もしや……」
雅玖は少し悩んで、その妖怪の後をそっと追いかけた。
案の定、妖怪は出入口を抜けて、廻妖町側の幻怪の森へと進んでいった。妖怪は森を抜け、そのまま廻妖町の町中へと入っていく。
そっと後をつけていった雅玖は、細い路地に入ったところで足を止めた。
路地には、雅玖が追いかけてきた妖怪以外にも複数の妖怪がいた。妖怪たちは雅玖の姿を見た瞬間、驚いたように逃げていった。
「やはり気のせいではなかったか……」
最近、廻妖町に行く妖怪が増えていることには、雅玖もうすうすと気付いていた。また妖怪のこと以外にも、雅玖には気になることがあった。
「だいぶ年月が経ったからな……問題なく生活しているかどうか」
雅玖は思案顔で、路地の先へ視線を向けた。この路地の先は、廻妖神社につながっている。雅玖は神社の方へ進もうとして、すぐに足を止めた。
「まずは町中の見廻りをして……だな」
逃げていった妖怪たちが、深月鏡へ戻ったとは限らない。それに町中には、まだ他にも妖怪がいる可能性がある。
雅玖は慎重に辺りを見まわしながら、他の路地へと進んでいった──
※ ※ ※
一方佐吉は、若い烏天狗たちと別れた後、すぐに雅玖の家に戻った。
ところが室内に雅玖の姿はなかった。
「雅玖さん、どこへ行ったんだ? まさか……!」
佐吉は家を飛び出すと、雅玖を探すため、烏天狗の姿になって飛び立った──
※ ※ ※
雅玖が懸念した通り、他の路地にも妖怪の姿があった。妖怪は雅玖の姿を見ると、大慌てで去っていった。
「逃げるくらいなら、最初から来なければいいものを……」
雅玖は深いため息をついた後、見廻りを再開した。
町中を歩いているうちに、雅玖は最初に追いかけてきた妖怪を発見した。
妖怪は通りの先を足早に進んで、商店街へと入っていく。雅玖もその後を追って、商店街へ向かった。
商店街を歩いている人間は、皆、妖怪や雅玖の存在に気付いていない様子だった。
霊力のある人間は例外だが、基本、人間には妖怪の姿が見えない。そのため、妖怪が何もしなければ問題ないのだが、すぐに事件が起こった。妖怪が、とある菓子店の商品を盗もうとしたのだ。
「……何をしている」
雅玖が声をかけると、妖怪は驚いたように飛び上がり、ものすごい勢いで逃げていった。
「まったく……困ったものだな」
その時、バサバサという羽の音が聞こえてきて、烏天狗姿の佐吉が飛んできた。
佐吉は雅玖の足元に降り立つのと同時に、妖怪の姿になる。
「雅玖さん、やっと見つけました! 廻妖町に来るなら、せめて書き置きしてくださいよ」
「家に寄らずに、そのまま来たからな……すまない」
「ていうか、急にどうしたんですか? 一人で来るなんて、尋常じゃないですよね」
「少し気になることがあってな」
「気になること?」
雅玖は佐吉に、廻妖町に妖怪が増えていることを説明した。
「先ほども、妖怪が盗みを働こうとして止めたばかりだ。幻怪の森までならまだいいが、町中まで来て人間にいたずらするようでは困る」
「まあ、盗みはよくねえと思いますが……なんでわざわざ廻妖町まで来るんだか。人間なんて信用できねえのに」
「……佐吉」
「……わかってますよ。で、見廻りするんですか? だったら付き合いますよ」
「いや……今日のところは、もういいだろう。ひとまず深月鏡へ戻ろうか」
二人は、そのまま幻怪の森へ向かった。
※ ※ ※
森の中を歩きながら、雅玖は軽く首をかしげる。
「来る時も、少し違和感を覚えたのだが……やはり以前とは雰囲気が変わっているようだな」
「ですね……俺も妙な感じがするって思ってました」
「何かよからぬものが目覚めようとしているのか……」
雅玖はそこまで言って、少し考え込む。
「……いずれにせよ、妖怪たちが廻妖町へ行く原因を調べた方がよさそうだな。今後、廻妖町へ行く機会が増えそうだ」
「なら、俺もお供しますよ」
「だが……本当にいいのか?」
「もちろん、いいに決まってますって! 俺は雅玖さんの右腕ですからね、どこまでもついていきますよ」
「……そうか、頼もしいな」
「でも廻妖町へ行く前に、仕事は全部片付けてくださいね。でないと、補佐官がうるさいんで」
「……わかっている」
二人は、今後のことを相談しながら、深月鏡へと戻っていった──
終わり