『優しい人間』
実は僕、時々廻妖町に【偵察】に行っているんだ。
なんてったって人間は、僕たち狸一族の敵だからね。騙されないためにも、敵情を偵察して、不測の事態に備えないといけないんだよ。
だから時々廻妖町へ行って、偵察ついでに商店街の古いお菓子屋さんに立ち寄って、買い物をしている。
廻妖町のお菓子を食べることも、見聞を広げるために大切なことなんだ──
※ ※ ※
久しぶりに廻妖町のあんみつが食べたくなって、買い物……ううん、【偵察】に行こうと思って家を出たら、途中で狸一族のおじさんにつかまってしまった。
おじさんは、これから狸一族の集会を行うから、僕にも出席しろと言う。
「え~、今から? 嫌だよ、面倒くさい」
だけどおじさんはしつこくて、結局、僕は集会に出席することになった。
会場の神社の広間には、既にたくさん集まっていて、ぎゅうぎゅう詰めの状態だった。
「これって既に定員オーバーだよね? 座布団の数、足りないみたいだし、残念だけど僕、辞退するよ。じゃあ、またね~」
なんとかうまく理由をつけて出ようとしたけど、おじさんに腕をがしっとつかまれてしまった。おまけに別のおじさんが新しい座布団を持ってきて、僕に差し出してくる。
「え……この座布団、どこから持ってきたの?」
そんなのどこだっていいだろ!……と言われて、結局僕は集会に参加することになった。
(まあ、いいや。隙を見て逃げ出そうっと)
僕はすぐに抜け出せるように、できるだけ目立たないところ……後ろの隅の方に座布団を敷いて座ることにした。
そのうち集会が始まったけど、特に話し合うような議題もなく、やっぱりみんなで人間の悪口を言うだけだった。
(結局、こうなっちゃうんだよね。もっとまともな話をすればいいのに……)
狸一族は人間が大・大・大嫌いで、昔からずっと敵視している。
もちろん僕も、人間のことは好きじゃないし、絶対に騙されたくないと思っている。だからといって、悪口をずーーーっと聞いているのは、あまり気分のいいものではない。
それに僕は、みんなと違って、一人だけ優しい人間がいることを知っているんだ。
(人間がみんな、茂孝さんみたいな人ならいいのに……)
茂孝さんは人間で、しかも陰陽師だけど、妖怪のことをむやみに嫌ったりはしない。だから僕も、茂孝さんなら信用できるかも……と思って、仲良くなった。
(そういえば、最後に茂孝さんに会ったのっていつだっけ。数年前? ううん……数十年前かも)
記憶があいまいで、正直よく覚えていない。
でも数年と数十年の違いなんて、そんなに変わらないよね……と思ったところで、ふと僕は考え直した。
(僕にとっては変わらなくても、人間にとっては、めちゃくちゃ変わるんじゃない?)
人間は妖怪と違って命が短く、びっくりするくらい成長が早い。もしかしたら茂孝さんも、既におじいちゃんになっているかもしれない。
(おじいちゃんになった茂孝さん、ちょっと気になる……)
集会はまだ続いていたけど、早々に飽きてしまったので、僕は気付かれないように、そっと広間を抜け出した。
駆け足で神社から離れて、幻怪の森の奥の廻妖町との出入り口付近まで行ってから、ようやく息をつく。
「ふぅ……さすがにここまでは追いかけてこないでしょ」
茂孝さんのことも気になるけど、やっぱりここは【偵察】を優先させなくてはいけない。
(僕には、商店街であんみつを買うというミッションがあるからね)
「じゃあ、廻妖町へレッツゴー♪」
終わり
『目覚めの兆候』
ガシャン……!
耳をつんざくような音がして、私の【体】が砕けた。
体のかけらが、ものすごい勢いで方々へと散らばっていく。
(くっ……あ、あぁぁぁ……っ……!)
激痛に耐え切れず、私は意識を手放した──
※ ※ ※
──長い年月を経て、ようやく私は意識を取り戻した。
(何年経ったのでしょうか……もしかしたら何十年……いえ、何百年かもしれませんね)
時間の感覚があいまいで、どれだけの年月が経過しているのか、まったく見当がつかない。おまけに辺りは真っ暗で、何の音も聞こえてこなかった。
(封印された時のままなら、ここは幻怪の森で間違いないはずですが……)
あまりにも静かすぎて、自分は本当に幻怪の森にいるのだろうか……と、疑いたくなるほどだった。
(私の身に起こったこと、すべて夢だった……というわけではないですよね)
夢ではないという証拠に、体にはまだ鈍い痛みが残っている。砕かれて散らばってしまった体は、残念ながら自然と元には戻らないだろう。
(九尾の狐として復活するためにも、まずは体のかけらを探さないと……)
そこまで考えて、すぐに私は違和感を覚えた。
(この感覚……どうやら二重に封印されているようですね)
石そのものはもちろん、石の周りにも強力な結界が張られていて、相当な妖力を持っているものでも、私の傍に近づくことはできないだろう。
この状況では、飛び散った体のかけらを探すどころか、私がここに封印されているという事実すら、誰も気付かないかもしれない。
(用心に用心を重ねたということでしょうか。参りましたね……)
それでも私は、なんとか復活する方法はないかと考え続けた。
(せめて誰かに、私がここにいることを認識してもらえれば……)
でも、どれだけ考え続けても……解決策を見つけることはできなかった。
(そもそも、なぜ私が封印されなければならないのでしょうか……私はただ、自分の欲望に忠実になろうとしただけなのに)
ただ欲しいものを手に入れようとしただけなのに、どうしてこのような仕打ちを受けなければいけないのか、理解に苦しむ。
(ああ……退屈です。早く封印が解ければいいのに……でも、何百年……いえ、何千年かかることか……)
※ ※ ※
それからさらに月日が流れて、退屈だと思うことすらなくなってしまった頃──
遠くの方から、かすかな笛の音が聞こえてきた。
(? なんでしょう、あの音は……幻聴でしょうか?)
不思議に思いながら、耳を澄ませてみると……確かに笛の音が聞こえてくる。
(! 今まで何も聞こえなかったのに……)
驚きを覚えながら、しばらく耳を傾けているうちに、廻妖神社の陰陽師が毎日夕刻に笛を吹いていたことを思い出す。
(なんて美しい音色なんでしょう……)
それから毎日一定の時間になると、笛の音が聞こえるようになった。私はその笛のおかげで、時間の感覚を取り戻すことができた。
笛の音を聞いているうちに、陰陽師が複数いることに気付いた。笛の音は特徴があって、陰陽師によって音色が変わる。
(最も美しいのは、やはり最初に聞いた笛……ですね)
いつしか私は、その陰陽師の笛を心待ちにするようになり、いずれ会ってじかに聞いてみたい……と願うようになっていた。
でもその陰陽師に会うためには、封印を解かなくてはならない。
(一体、どうすれば……)
その時、私は、ざわざわ……と葉擦れの音がすることに気付いた。強い風が吹いているようで、かなり音が大きくなっていく。
(今まで笛の音しか聞こえなかったのに……もしかして!)
葉擦れの音を聞いて、ようやく私は、結界が少しずつ弱まっていることに気付いた。今なら自分の存在を誰かに気付いてもらうことができるかもしれない。
(早く封印を解くために……利用できるものは、何でも利用しましょうか)
終わり