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薄桜鬼異聞 ベレジンスキーの魔女

スペシャル

SHORT STORY

Vol.02 ザビーネ・アルブレヒト
実験の合間の出来事

「これも失敗ですか……ふう……今回の実験はなかなかうまくいきません……一度休憩したほうが良さそうですね」

 ある日の真夜中。己の部屋で実験を続けていたザビーネは、軽いため息と共に手を止めた。だが、その表情は何かうれしそうに見えなくもない。
 それもそのはずである。ちょうど昨日、待ち焦がれていた菓子作りに欠かせない調味料が届いたばかりで、それを使って菓子作りをしたいという想いが頭から離れなかったからだ。
 こうして気持ちの切り替えという意味合いも込めて、実験の休憩時間に菓子作りをすることを決めた。そして実験器具もそのままに、部屋から出ようとしたとき。
 ドアをノックする音とともに、部屋に現れたのはアレクだった。

「ザビーネ、少しいいだろうか」
「アレク……ええ……構いませんよ。どうぞ」
「すまないな。実は今から領内に視察に行くのだが、先日住民から相談があった壊れかけの橋も見てこようかと思っている。それについて――」
「ええ、橋を修理するかどうかでしたね。……そんなこともあろうかと、修理計画と予算案をまとめてあります。これを視察先の担当者に渡すと話はスムーズに進むはずです」
「おお……そうか、既に予算案を作っていたとは、さすがザビーネだな。では、これを持って視察に行くとしよう。実験の邪魔をして悪かった」

 ザビーネから書類を受け取ったアレクは、満足そうな顔で部屋から立ち去っていった。
 立ち去った後のドアを見つめながら、ザビーネは少しばかり心が痛んだ。本来ならもう少し時間をかけて計画書と予算の説明をするべきだったのだろうが、少しばかり手短な対応をしてしまったのではないかと……。だが、アレクの満足そうな顔に安堵しつつ、念願の休憩に入るザビーネだった。
 そんなことを考えながら廊下に出たザビーネに声を掛けたのはジョナだった。

「ザビーネ」
「……何か用ですか?」
「ああ。今週末から国外に出かける用事がある。最近は何もかも値段が上がっていて、現地では思っている以上に金を使うことが多い。前から話していたように費用について相談したい」
「成る程。旅費や現地で使用できる予算を上げてほしいという話でしたね?」
「簡単に言うとそうだ。我がベレジンスキーの内情については俺もある程度はわかっている。だが、現地で無駄な金を使っているわけではなく――」
「わかりました。予算を倍にするようにマインスターに伝えておきます」
「――む? いいのか?」
「ええ。問題ありません。これで用事は終わりですか?」
「あ、ああ……」

 唖然とするジョナの返事を聞くか聞かないかのタイミングで、ザビーネは颯爽とその場を立ち去った。アレクに続いてこちらも時間をかけて吟味する内容だと思いながらも、既にザビーネの気持ちは別の所に向かっていたのだった。
 元々、ベレジンスキーの予算についてはザビーネが掌握しているので、彼が決めてしまえばそれまでなのだが。

「ふたりから声を掛けられて随分と時間が掛かってしまいました……早くキッチンに向かわなくては……」

 ふたりと交わした会話など大した時間ではないのだが、ザビーネは長い時間のように感じていたらしい。珍しく足早になりながら、一階のキッチンへと向かうのだった。

 やがて、ザビーネの姿が一階のキッチンの扉前に現れる。これ以上、誰かに邪魔をされないかと彼は用心深く周囲を見渡した。この時間はちょうど料理人のエドワードが休憩で離れている為、思う存分キッチンを独り占めできる時間でもある。開始時間が遅れれば遅れるほど、その時間は短くなる。ザビーネが残り時間を気にしつつ、そっとキッチンに足を踏み入れると――。

「なんだ、ザビーネじゃねえか。部屋に籠もってばかりのあんたが出てくるなんて珍しいな!」
 キッチンに入ったザビーネを出迎えたのは、テーブルの上でなにやら物色していたマエルだった。
「あの……マエル……ここでなにをしているのですか?」
「あ? ああ、見てわかるだろ? 小腹が空いたんでな。なにか食うモンとかねえかなって思って探してたんだ。そっちは……もしかして実験でも煮詰まったか? 休憩がてら菓子作りとか――」
「いいえ。少し喉が渇きましたので、飲み物を飲みに来ただけです」
 マエルの言葉を、丁寧に、だが感情の籠もらない声音で返すザビーネ。それを聞いたマエルは、その意をすぐさま察知した。
「お、おう……そうか……いやあ、たまにはザビーネが作った菓子が食えるかもって思ったんだが残念だぜ」
「私の菓子など……趣味の延長ですから。人前にお出しできるような代物ではありません」
「まあまあ、そう言うなって。とはいえ、あんたの邪魔するつもりはねえんだ。茶でもゆっくり飲んで、好きなだけ休憩してけばいいぜ。オレは他で食いモンを探すからよ」

 そう言うと、マエルはさっさとキッチンから退出してしまった。さすがは察しの良い年長者ではある。これがアレクなら菓子作りを見学したいと言い出したり、自分もやってみたいと言い出したりするだろう。ジョナならば、俺が居ても気にせずに料理してかまわない、などと言い出す始末。
ザビーネにとって菓子作りは実験と同じ。それ故、菓子作りは他人を交えず、ひとりで行いたいものだったのである。

 さて、マエルも退出してくれたこともあり、ひとりになったザビーネが菓子作りに取りかかろうとした、その瞬間――。

「ねえ、ザビーネ! お菓子作りをするんだって!?」
 扉を開ける大きな音と共に現れたのはラファだった。
「……ラファ、その話を誰から聞きました?」
「えーと、マエルからだよ。ふふっ、どんなお菓子か気になって来ちゃった」
「他に何か聞かされませんでしたか?」
「えーとお菓子を作るから、あれ……? なんだっけ……」
 そう答えると同時に再び大きな音をたてて扉が開くと、今度は苦笑いのマエルが駆け込んでくる。
「おい、ラファ! 人の話を聞いてたか? 聞いてたよな!!」
「確かザビーネがお菓子を作るから――」
「ザビーネが菓子を作るからキッチンには近付くなって言ったよな?」
「えっと……そうだっけ?」
「悪かった、ザビーネ! オレは近付くなって言っただけなんだ」
「そう言えば、そんなことも言ってたかも。僕、お菓子のことで頭がいっぱいで――」
「よしよし、行くぞ! 菓子は他で探してやるから」
 マエルに引きずられるように、ラファが部屋から連れ出されるのだった。

「ふう……ようやく菓子作りに……」

 嵐のようなふたりが立ち去ると、ザビーネは小さなため息を吐いた。そしてようやく菓子作りに取りかかれそう……というときに、室内に現れたひとつの影に気付いたのである。

「今度は誰ですか!」
「すみません……あの、私です……」
トゲを含んだザビーネの誰何に返事をしたのは、サラだった。
「う……あなたでしたか……」
「お邪魔、だったでしょうか……」
「邪魔、というわけではありませんが……今、私は少しばかりその……気が立っているというか……」
「ノックもせずに立ち入り、声を掛けてすみません! 失礼します!」
「ま、待ちな――」
「すみませんでした!」

 ……ザビーネに叱られたと勘違いしたのか、彼女は謝罪の言葉を発しつつ足早に立ち去ってしまった。その姿が消えた扉を見つめながら、ザビーネは眉間に皺を寄せて小さなため息を吐いた。それは自分の身勝手のために、彼女を傷つけてしまったのではないかという後悔に近いもの……。それはザビーネが他人に向けるには珍しい感情だった。
この日、ザビーネの菓子作りは行われなかったという。

END
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