Prequel4:Gilbert Redford


肩で風を切り、夕暮れ時のクレタを歩く。

「ボナ・セーラ、ギル!」
「よう、マッシモ。もう店開きか?」
「ああ。今日は早い時間から予約が入っててね」

クレタはヴィスコンティの土地だ。
俺と親しい人間も多いし、俺の顔を知らねえ奴はまずいない。
ワインが美味いアントニオの店、肉料理が得意なニーナの店。
馴染みの花売り、品揃えのいい本屋、店子を抱える大家。
道行くだけで次々と声をかけられる。

(? あれは――)

クレタとアルカの境に差し掛かったとき、また顔見知りの姿を見つけた。

「……ギルバート」
「よう、オルロック」

足を止めるでもなく、俺たちは歩きながら言葉を交わす。

「これから教会に行くんだが、おまえは?」
「教国に、帰る」
「!」

この時間からとなると、到着する頃には日が暮れてるはずだ。

「報告が終わったら、こっちにすぐ戻る、けど」
「……なるほど。忙しそうだな、おまえも」

これは同情というより、共感だ。
1926年を迎え、王国政府はますます独裁色を強める一方で、
ブルローネマフィアにとっても頭の痛い話だった。
そして――

「おまえの『上』も、政府の動きには影響を受けてるだろ?」

王国政府と教国の関係は険悪の一言に尽きる。
イタリア統一に伴う教国領の消滅をきっかけに、教国は政府との交渉を拒否してきた。
『首席宰相及び国務大臣』殿が無神論者だってのも、聖職者側にすれば面白くねえ話だろう。

「……そういうのは、おれが考えることじゃない、から」

鎌をかけたつもりはないが、警戒させたのか。
オルロックは表情を隠すように顔を伏せた。

「ま、確かにな」

たとえ、何か思うところがあるにせよ。
決めるのは教国の中でも、政治に噛んでる連中だ。

「ギルバートは……ファシストが嫌い?」
「……そりゃあな。向こうも俺たちが嫌いだろ」
「……うん」
「マフィア排斥云々ってのを除いても、気に食わねえ。
 反りが合わねえんだ、俺とは。……たとえば――」

さらに言葉を続けようとしたとき。
クレタに帰る途中の子供たちが、目を輝かせて俺を呼ぶ。

「ボナ・セーラ、シニョーレ・レッドフォード!」
「ああ、走るならちゃんと前見ろ、転ぶぞ」
「はーい!!」

元気な子供たちを見送ってから、俺は話を再開する。

「なあ、オルロック。義務教育って知ってるか?」
「? うん。親は子供を、初等科に行かせる」
「そうだ」

子供は国の未来を担う。
教育を与えるのは、大人の義務だ。

「けど、実際に義務教育をきっちり受けてるガキがどれほどいる?」
「……それ、は……」

都市部はまだしも、田舎じゃ教育は蔑ろにされる。
当然だ。まず、金がない。
学校に行くための金どころか。
飢え死にしないで済むための金が、ねえ。

「教育を与えたいなら、まず子供を稼ぎ手にしなくても
 生きていけるだけの豊かさが必要になる……」

なのにファシストの政策といえば、金を稼ぐ組合なりマフィアなりを押さえつけるばかり。
このままだと国全体が衰退の一途を辿り――貧しくなるだけだ。

「ま、連中と俺は考えが合わねえってことさ」
「……うん。なんとなく、わかった。
 ギルバートが……いい人なんだってことも」
「ははは!」

マフィアは犯罪者。善人どころか悪人しかいねえ。
それはオルロックもわかってるだろうが、その上での『いい人』評価は、ありがたくもらっとくことにする。

「じゃあ、おれは向こうだから。……また、教会で」
「ああ。気をつけて行けよ、おまえも」
「……大丈夫」

オルロックは目を細めて笑った。

「おれは余所見しても、転ばない」

コートを翻して駆け出す後ろ姿を、俺は苦笑して見送った。
顔立ちにはまだ幼さが残るくらいだってのに、俺たちより余程手練れなんだから、教国ってのは怖い組織だ。

(この国の状態を考えれば、俺たちは――
 ヴィスコンティは急がなけりゃならねえ)

拠点をアメリカに移す、準備を。
着実に進めてはいる。だが、まだ少し……少しだけ尚早だ。
今の状態で海を渡っても、俺たちが相手にされねえのはわかってる。
組織のこと。
構成員と、その家族のこと。
夢を叶えるために、背負うものを取り零さねえように、先を見据えた用意が必要だ。

「…………」

ふと、例の報告書が脳裏にちらついた。
シカゴ絡みで気になる名を聞き、オリヴァーに調べさせて。
結果は――悪い予想が的中した。

(ま、向こうはこっちのことなんて知らねえだろうが……)

シカゴに移れば、いつかは顔を合わせる破目になるかもしれないが、
俺から接触するつもりは毛頭ない。

(……それに、先のことより、今のことだ)

俺たちの未来について。
どんな選択をするにせよ、彼女には考える時間が必要だってのに。

(今日、……いや、もう少し地盤を作ってから……)

なかなか切り出せずにいたのは――
俺が彼女に、本気で惚れてるせいだった。