「あの男は……本当に『生き返った』のか……?」

玄葉がぼそりと呟き、苛立たしげに溜め息をついた。もうそろそろ日付が変わる。いつもの彼なら最も研究が捗る時間だと自分の研究室に閉じこもっているはずなのに、今夜は所長室の長椅子で頭を抱えている。

「立ち上がり、言葉を交わしていることは誰が見ても間違いないだろうな。しかし昨日は確かに『死亡』と判断したのだろう」
「それは間違いない。叉梗殿だって一緒に確かめた、心臓も脈も、瞳孔も、全く反応はなかったんだ」
『私は……何故ここに? あなたがたは……私の知り合いではないのか?』

一昨日、骸が『あの島』に流れ着いた。男は立ち入ることを許されない、陽の女神が御座す天女島の浜辺に。
見つけたのは彼女、稀少な【白】の生き残り。そして骸は──彼女と同じ姿を持っていた。

「ただまぁ、奇妙な死体であったのは間違いない。死後硬直も外傷もない、死因の予想が出来ない状態で……まるで眠ってるみたいだったからな」

玄葉の言葉通りだった。俺も一度近付いて確かめたが、まるで微睡むような穏やかな姿だった。

「もっとも、マレビトとはそういうもんだ、と言われたらどうしようもない。時貞が流れ着いた時は叉梗殿が診たし、俺もそっち系は詳しくない」
「こう言った尋ね方は失礼だと承知ではあるが……マレビトと俺達は、何か身体の機能が大きく異なったりするのか? 慈眼や時貞は何も話さないが」
「数字的には殆ど変わらん、少なくとも生きている状態では」
「そうか……俺達は『マレビトの死』をまだ知らないのだな」

彼等は、海の向こうで命を落とした者なのだという。しかしこの島でも最も長く生きているマレビトは俺の父である男で、病一つせず壮健だ。

「有り得ないだろ、絶対に。死体が平気な顔して起き上がり、何の後遺症も残らないなんて」

医師として、研究者として、受け入れ難いだろう。そう、有り得ない男なのだ、様々な意味で。蘇生したことはもちろん、あの──髪の色。

「あいつのことを悪く言いたくはない。流れ着いた以上ここで暮らしていくことになるんだろうし、穏やかにやりたいよ、叶うなら」

叶うなら。
その言葉に、俺はすぐ応えられなかった。彼がこの島にどんなものをもたらすのか、考えただけで心が重くなる。玄葉が言うように、穏やかにやりたいのだ、叶うならば。

「朱砂、慈眼殿は何も?」
「昨日の今日だからな、【赤】には戻っていないし、語らう時間がない」
『慈眼、珠藍。このアキ殿を、我が屋敷に招いてもいいだろうか』

アキ、と名乗ったその男は道摩屋敷を仮の住まいとした。今頃あそこで彼女と語らっているのだろうか。それとも──あの彼女でさえ、彼と向き合うことに戸惑うだろうか。

『『価値』って人によって変わらない? 私にとっては貝殻も硝子の欠片も小瓶も手紙もみんな大切なものよ。もしかしたらあの瓶の手紙が、いつかこの島に素晴らしい影響を及ぼすかも知れないわ。だから、出来るならこの世界のものを全部残して欲しい』

笑顔でそう言える彼女が、俺にとって何より残したいものになった。この俺がずっと守り、愛すのだと決めた。その彼女と──同じ姿を持つ男。

「なぁ朱砂、俺にくらい本音を吐けよ。あのアキって男……【白】だと思うか?」
「月黄泉と彼女に言わせると、この世の何処にも【白】の男は存在しないらしい」
「だよな、それらしいことは俺も聞いてるし、現に今までの記録にもない。そもそも海の向こうからやってきたならマレビトであるはずで、【白】ではない」

そんな簡単にいくだろうか。あの男を見る島民の眼差しは明らかに【白】への畏怖と羨望だ。それくらい、あの姿はこの島で大きな意味を持つ。

「玄葉、俺の本音としては……──『難しい時に難しい存在がやってきた』だ」

彼はがっくりと肩を落とし、白衣のポケットのペンを探る。

「お前を煙たく思ってる連中が祭り上げるには、格好の人材だよな」
「【白】というのは、卑流呼様を除いたこの島の頂点。【色層】にのっとれば【原色】すら支配可能。つまり、もし彼が【白】と認められれば……【赤】の俺を消すことも容易い」

そう──【白】とは本来【特色】と呼ばれ、俺や慈眼、父である道摩殿よりも上位なのだ。彼女は俺達を隷属させようなどと冗談でも考えないだろう、しかし。

「流石にいきなりお前を殺るまではいかないと信じたい。だがあの男が処刑推進派につけば島の均衡が崩れる」
「俺は『叛逆者』だからな」

どうしてもこの島を変えたかった。苦しむ者がいるのなら変えなければならない。このまま手をこまねいているなら、島は緩やかに滅んでゆくだけだ。しかし、改革には痛みと反発がつきものであり、彼等が俺の言動に苛立つ気持ちも理解している。

「どうするつもりだ、所長殿」
「ひとまず様子を見る。これでも俺は彼をもてなしたい気持ちも本当にあるんだぞ。『波は求めし者へ』……きっと、佳きものをもたらしてくれると信じている」

波はこの島に必要とされるものを運ぶという。ならば一体、何処の誰が彼を願ったのか。俺によく似た貌の神とやらは、知っているのだろうか。問い質す術は──ない。



「ところでさっき広場で耳にしたんだが、島の者達があんたのこと勝手に妙な名で呼んでるよな」
「妙? おかしな名とは思わなかったが」

玄葉の問いに、男はそう答えた。彼女と連れ立って、彼はコトワリへとやってきた。時貞と友になれたように、流れ着いたからにはこの島で幸せに暮らして欲しい、そう思う俺も確かにいたというのに──巷では『ナタナエル』という名が広がり始めていた。

「この島では珍しい響きですね」

俺は嫉妬していた。同時に、怯えのような苛立ちもあった。何もその姿で、その名を、と。

「名というのは大事なものです。慈眼からは『アキ』と伺いました。そちらを名乗られた方がよろしいのでは」
「『ナタナエル』で構わない」

僅かな迷いもない眼差しに、その場の空気がひりつく。

「先ほど、彼女にも話したことだが私は記憶を無くしている。その『アキ』が本当に私の名かどうかなど、誰にも分からない」
「まぁ確かにな」

玄葉は曖昧な表情で白衣の襟をさりげなく直してみせた。昨夜の会話が蘇る。医師としてはやはり手放しで歓迎出来ないのだろう、骸となった肉体に触れた身としては当然だ。

「未練とかないんですか」

剃刀のような切れ味で、海浬が空気を切り裂いた。まるで、彼女を守ろうとするように一緒にやってきた。体面としては彼女の部下だったが、ナタナエルを見る眼差しは完全に恋敵だ。

「未練とは……執着のことを言うのだろうか」
「え……」

彼女も、俺も、玄葉も、そして海浬も戸惑った。

「昨夜、床の中で考えた。私はもしかしたら旅の途中であったか……もしくは旅に出ようとしていたのではないかと」

この海に来る前のことを一切覚えていないと聞いた。それも奇妙だった、今までのマレビトは全て生前の記憶を残している。

「何故そう思うのですか? 何か……」

俺が言い終えぬうちに、彼がこう遮った。

「記憶は全く戻っていない、私の中は空虚だ。ただ私の中に……何処かへ帰りたい、戻らなければという思いが見当たらぬ気がする」
「は?」

訝しさを隠そうともしない海浬に、つい笑いそうになってしまった。

「それは言い方を変えれば……何処かから逃げようとしていた、ということか」

玄葉が身を乗り出す。医師として困惑しつつも、医師として彼の記憶に興味が沸いたらしい。

「……そう言われてみれば、そのような気もする。もしくは……──帰る場所がもうない」

何かがおかしい。でも誰も、その理由を言葉に出来ないのだった。



「半年後の貴女の誕生日に、婚儀を執り行うのは如何です?」

彼女の髪に指を絡めながら、俺は囁いた。

「はい明日、というわけにもいかないでしょう、色々と支度がありますからね、特に女性は」
「それはまぁ……きっとあるのでしょうね、色々と」

面食らったまま、彼女はそんな返事をした。嬉しくないわけではないはずだ。ただ──懸念が大き過ぎるだけで。

「突然で申し訳ありません、忘れていたわけではなかったんですよ」
「そんなこと思ってないわ。お互い色々と慌ただしかったし」

【白】である彼女がどんな【色】の男でも選ぶことが許されたのは、【白】の男がいなかったから。であれば、もし──彼が。

「きりがないな、と思いまして」

卑怯な言い方をしている。だが、彼女も恐らく察しているだろう。

「島のことが一段落ついたら、と考えてはいました。でも一つ叶えればまた次の一つが出てくる。このままでは永遠に貴女の夫になれそうもありませんから、このあたりでどうかなと」
「私達には野望が沢山あるものね」

そう、俺達にはすべきことが沢山ある。だから立ち止まる暇などないのだ。



「孵れ、我が呪いよ」

そう──俺達はすべきことが──

【end】