「弔い屋! 一昨日の目玉焼きパンが美味かったから今日も買いに来たぜ! 他におすすめがあるかい?」
「どうも有り難う! えっと……今日はまた新しいのがあるよ。塩漬け肉をくるんでチーズをかけたのと、苺ジャムを練り込んだのと、ココナツの粉とショコラ!」
「それは全部美味そうだな! 全部二つずつくれ!」
「弔い屋、私はジャムの!」
「ボクは渦巻きパン!」
「はい、少々お待ち下さいね」

最近の僕は、亡くなった者を弔うより、生きた者が食べるパン焼いて売る方が忙しい。骸の浜に小さな窯を作ったけれどそれでは全く足らない状態で、近々もっと大きなものを新しく組み上げる必要に迫られている。

「しかし、お前にこんな特技があったとはなぁ、弔い屋。しかも、喋れたんだな」
「……喋れたんです」

妙な返事になってしまった。それというのも、少し前の僕は卑屈で臆病で誰かと目を合わせることも苦手で、弔いの仕事をしていても会話らしいことはせず、黙々と人の子の魂を晶に変えていたのだった。

「それはやっぱり、オランピア様のお陰か」
「……はい」
「しかし、俺はまだ信じないからな。お前みたいのが、オランピア様の旦那になるなんて」
「そうだそうだ! 愛想尽かされないように頑張れよ!」

彼等は笑っていて、僕を傷つけるつもりなんてないのは分かっている。僕自身も今更この程度で辛いなんて思いはしない、それよりも苦しいのはむしろ──

「あれがオランピア様の花婿なのか? 話には聞いていたが何と醜く薄汚い……全く釣り合わない、やはり考え直していただくべきだ」

少し離れたところで、青い髪の男と、赤紫色の髪の男が僕を眺めていた。地上の者が黄泉を訪れる理由の殆どは遊興だ。恐らく彼等もこれから死菫城へ向かうのだろう。

「オランピア様はお優しいからな、同情だとは思うが……そろそろ目を覚ましていただきたいものだ。弔い屋が花婿など、この島の誰も祝福出来ない」

僕が蔑まれるのは構わない。でも僕が嫌なのは、彼女がこんなふうに責められることだ。僕のような者を愛してくれた心優しい彼女が、僕のために傷つくなんてあってはならない。

「ヒムカ、俺にもパンいい?」
「……刈稲」
「縁のお使いで地上から戻ってきたところなんだ。歩き回ったら小腹が空いて」

偶然だろうか。それとも、心ない声を遮ってくれたのだろうか。

「今日のおすすめはこのチーズのだよ。まだ全種類残ってるから、好きなものをどうぞ」
「うーん、迷うなぁ、ヒムカはパン作りの才能あるね」
「それは大袈裟だよ。でも形とか、何を入れるか考えるのはすごく楽しい。それに、才能って言えば刈稲だって大工仕事が得意だ。月時計の梯子を直したって聞いたよ」
「あれは簡単だったしね。黄泉のみんなには色々助けてもらったし、あれくらいお安いご用」

【黄】の公家の息子だった彼は、ハズシの罪で陽の射さぬ場所に追いやられた。そして天三柱の人足として晶を積み、虹の雨の恩赦で方面となってからは死菫城で働き始めた。

「よーし、決めた。チーズのと、ココナツのを一つずつ」
「有難うございます。小さいパターパンも一つおまけしておくね」
「ありがと! そうだ、今度パン焼き窯を新しくするんだろ? 俺にも手伝えることがあったら言ってよ」
「うん、その時はよろしく」

彼は明るく笑う。でも彼が愛する人を喪ったのは──『僕』のせいだ。

「刈稲もすっかり縁のお店に慣れたみたいだね」
「もー最高だよ! 宿舎と比べたらお給金もらうのが申し訳ないくらい! 狭いながらちゃんと個室だし、布団はふかふかだし、賄い飯は美味いし、縁やカメリアも優しいし!」

彼はいつも笑っている印象だ。でも知っている、彼のたった一つの願いは地上の弔いの碑に花を供えることだった。もし【色層】なんてものがなければ、彼の恋人は処刑されずに済んだ。そしてその【色層】を定めたのは──『僕』である卑流呼。つまり、この島の問題は全て僕の責任だ。

『貴方は貴方よ、これからもずっと大好き』

彼女の愛によって人となった僕は、あの日に伊舎那天で決めたのだ。神代はもう終焉を迎え、人が生きる時代となった。だから僕は『人』として出来ることを探さなければならない。

「ヒムカ、時々さ、失礼なこと言う奴もいるけど気にしちゃ駄目だよ。何処からどう見たってオランピアとお似合いだから。早く式を挙げちゃえ! カメリア達だって楽しみにしてるからさ」
「大丈夫だよ。婚儀は……その、考えてる。でも、どう切り出せばいいかは難しいね」

ごめん、刈稲、嘘をついて。婚儀のことはずっと考えているけれど、彼女には何も言えずにいる。ちっとも大丈夫じゃないから、彼女に傷ついて欲しくないから、今の僕では花婿として彼女の横に立てない。

「確かに、婚約期間が長いと逆にいつ言い出すべきか悩むかもね」
『……私が行ったら迷惑? 気持ちだけでも……私は何も出来ないけど、せめて……祈ってあげたい』

黄泉で、二人一緒に命を絶った者がいた。名は沖宿と澪。

『……色層を作ったのは卑流呼様なのかしら』

僕のせいで、もうこれ以上、命が奪われてはならない。僕のせいで、もう誰かが苦しんではならない。

『私……間に合わなかった。助けたかったのに、まさか……死んでしまうなんて。何も……出来なかった……っ』

あの時の彼女の涙を、体温を、僕は忘れない。愛しさと苦しさを、ずっとこの心に刻んでおくのだ。



「時貞殿、ヒムカ殿、お二人とも浜でお見かけした。私はナタナエル、暫くはこの島で厄介になるつもりなのでよろしく頼む」

新しいパン焼き窯が完成した頃、この海に骸が流れ着いた。そして生き返った。でもそんなことはあるはずない。死した者を蘇らせるような真似は、人では叶わない。

「殿、はいいですよ。実は僕もマレビトなんです。海の向こうの『日本』から参りました」
「……貴方もマレビトなのか」
「はい。ですからご相談に乗れることもあるかと」

手伝いに 来てくれていた時貞が、穏やかに微笑む。彼らしい優しさだと思った。でも僕は密かに狼狽えていたのだ、馬車を歩いて降りてくる彼女と彼の、海風に揺れる白い髪が──苦しくて。

「ナタナエル、ヒムカの焼くパンは美味しいの。機会があったら是非」

でも、同じ白とはいえ二人の輝きは少し異なる。彼女の髪は光によって虹のように煌めく眩しい白なのに、彼の白は鈍色の艶を放つ。そして──この島の誰にもない、赫い瞳。だから僕は、つい問うてしまったのだ。

「あ、あの!」
「どうか?」
「『ナタナエル』って……貴方が自分で名乗ったわけじゃないですよね?」
「思い出した名は『アキ』というものだった。だが、もうその名は忘れる。この島から出ること叶わぬのなら……この身が誰かなど意味はあるまい?」

深く沈んでゆくような声に、その場の誰もが言葉を失った。



「ではいただきます」

焼き上がったパンを手にした彼女が、笑顔で告げる。

「いただきます」

そんな彼女を凝視めながら、僕も笑顔で応える。小屋に泊まった朝、浜辺に座って僕が焼いたパンを並べて朝食をとるのはとても幸福な時間の一つだ。毎日でも泊まって欲しいと思うけれど、ここから天女島は見えないから、やっぱりたまにでいい。

「ふふふ」
「どうしたの、思い出し笑いなんかして」
「さっきね、貴方がパンの研究をし始めた時のことが浮かんだものだから」
「あはは、今頃?」
「もうすっかり立派なパン職人ね」
「懐かしいな」

僕はパンをちぎりながら続ける。

「人間になってすぐに、お腹が減るということを理解した。それで……──貴女がここへ泊まった時、目覚めた時に美味しいものを沢山食べて欲しいなって」

そう、僕は人の肉体を得た。彼女と同じ体温を持ち、彼女と同じようにいつか老いて、朽ち果てる。神として過ごした時間に比べたら、人の命などあっという間だろう。だからこそ、僕は絶対に後悔しない。卑流呼ではなく、ヒムカとしてすべきことを見つけてみせる。

『あの男がもし本当に【白】ならオランピア様と結ばれるべきだろ? 確実に【白】が増えるんじゃないか?』

流れ着いた彼は、この島に何をもたらすのだろう。スサノオは一体どうして彼を受け入れたのだろう、災いとなるものなど通すはずがないのに、島は大きく揺れ始めている。

「大好きよ、ヒムカ」
「……僕も、貴女のことが大好きだよ」
「これからも幸せに暮らしましょうね」
「もちろん」

愛している、貴女だけをこれからもずっと。僕の命は、貴女に与えてもらったものだから。

【end】