「縁様、今日は一緒に子守歌の練習をしませんか」

僕の部屋を掃除していたカメリアが、唐突にそんなことを言い出した。否、唐突でもない、ここ最近ずっと【白】のための子守歌を自作するのだと月黄泉と話していたから。

「いい曲は出来上がったの」
「はい! 自信作です。なので夫となる縁様にも覚えていただけたらと。歌、お上手でしたよね?」
「嫌いではないけど、子守歌はどうだろう」
「そうそう、これも言っておかないと。赤ちゃんが産まれたら余り我が儘を言っちゃ駄目ですよ、寂しいとか側にいて欲しいとか、抱きしめて欲しいとか。子供を育てるというのは大変なことなんです、父親としてしっかり務めを果たして下さいね」
「いつから子育てに詳しくなったの」
「勝山さんに弟子入りしました」

果たしてこれは人形のすることだろうか。僕どころか月黄泉も想像していなかったであろう方向に変わってきた気がする。意思を持ち、自ら考え行動し、涙すら零す──もう僕達『人間』と同じではないか。

「本当はオランピア様にも言いたいんですよ、早く縁様を本物の花婿にしてあげて下さいね、って。でも色々とお忙しいんでしょうし」
「まぁねぇ」

僕は帳簿の数字を書き込みながら、控えめに返事をした。

『ここには私しかいないわ。だから……泣いてしまっても大丈夫よ』

桜の木の下で彼女に抱きしめられたあの日から、もう二年が過ぎた。【白】を残すための花婿捜しであった割には、未だ僕達は正式な夫婦となっていない。

「朱砂様……大丈夫でしょうか」

コトワリ所長にして次なる【赤】の長──この島で最も将来を有望とされた男は今、つまらない誹りの中にいる。ハズシの処刑に異を唱えることは卑流呼様への叛逆に他ならない、と。【原色】や【独色】の頭の堅い連中が喚き立てているのだ。

「朱砂本人はそんなものに動じる男ではないけど、時期が少し……ね。どうしたって長の交代と結びつけられてしまう。地上が大きく揺れている今の状態では、とても【白】の娘の婚儀どころではない」
「ですよね……」

カメリアにはそう答えたものの、実は他にも火種がある。

『縁。俺な、どうも【黄】の葉金の息子らしいんだよ。こんな笑える話あるか?』

僕に喧嘩の仕方を教えてくれた兄のような男から明かされた、大き過ぎる秘密。今のところ【赤】は朱砂が、【青】は璃空が長として立ち、道摩殿だけ残って導き手となる話に落ち着いている、世間的には。だがそこに前【黄】の長の実子など現れたら騒ぎどころではない。

「いっそ、婚姻前に赤ちゃんなんてどうです? ほら、笹良なんて楽しそうですよ」

夫となる者を拒んだ罪で黄泉に来た彼女は、目出度く愛する男を見つけて子をなした。正式な婚姻を結ぶ前に。

「僕はそれでも構わないけど、やはり稀少な【白】として世間体がね」
「ですよね、言ってみただけです。そもそも、こんなふうにぼやくのは縁様に対してだけですからね、オランピア様に押しつけがましい態度は良くないと理解っているんです。ただ……僕は人形で、命を産むことは出来ないから、早く新しい命というものを見たいんです、それが僕の大好きな二人の赤ちゃんなんて最高です」


「縁、灯杜の食堂の近くに赤ん坊が捨てられてたから、おばばのところに連れてった」

店の前の手紙箱の蝶番に油を差していると、海浬がやってきた。

「そうか、助けてくれて有難う」
「髪の色は【無色】だった。まぁ頑張って生きてけよって感じ」
「生きられるようにするさ、それが僕の役目だ」

【色層】により婚姻と交配が厳しく制限されている地上とは違い、黄泉の人口は増え続けている。新しく命が生み出されるのは悪いことではないが、解決すべき課題は山積みだ。例えば望んだ【色】ではない場合、地上から子を捨てにくることもある。僕一人ではとても目が行き届かないため子供達にも見回りを頼んでおり、海浬はその取りまとめ役だった。

「縁はさ、優しいよな」
「お世辞なんて珍しいね。何か欲しいものでもあるの?」
「ははっ、欲しいものがあったら自分で手に入れるし、そういう台詞はあの女に言え。優しいって言ったのは……赤ん坊を助けて、あんたの得になんのかよってこと」

こう口にする彼の内心が複雑なのは理解っている。まさに海浬もそうやって捨てられた子なのだから。

「損得とは少し違うね。僕は僕なりにこの黄泉をみんなが暮らしやすいよう変えていきたいだけ。ところで海浬、新しい勤め先は順調のようで良かったね。彼女が褒めてたよ」
「は!? 何か言ってたかよ、あの女!」
「地上のことも黄泉のこともよく知っていて、体力があって真面目で働き者の海浬が局員になってくれて良かった、と」
「……ふん」


「初めまして、縁殿。私のことはナタナエルと呼んでいただけるか」
「承知いたしました、と言いたいところですが……」
「縁?」

彼女が小さく戸惑った。

「そのお名前は少々不吉でございますよ、旦那様」
「理由を知りたい」
「彼女が『オランピア』と呼ばれているのはご存知でしょう」
「そのようだ」
「『ナタナエル』というのは、その『オランピア』に焦がれて破滅する男の名だからです」

本当に、一体何処の誰がそんな名をこの男に与えたのだ。流れ着いた時には『アキ』と洩らしたのに、あっという間に広まってしまった。

「名は体を表す、と申します。その名の呪いに縛られるかも知れません。もう少し幸せを運びそうな名を選んだ方がよろしいのでは?」

島の案内をしているのだと、彼女がこの男を連れて死菫城へやってきた。白い髪の男と女が並び立つ──その光景は僕にとって余りにも苦しい。

「とても興味深い」

その言葉に、彼女が言葉を失った。

「興味深い、とは?」
「私を助けてくれたのは彼女だ。そんな彼女と関わりのある名前なら、むしろ光栄なこと」
「左様でございますか。差し出がましいことを申し上げましたね」
「いや、面白い話だった」


「まず、用件を先に話そう。【紫】の者が君に挨拶したいと望んでいる」
「……え」

我ながら、呆けた声が出た。聞き間違いだろうと思ったほどたった。

「定期報告にも書いてあったと思うが、名は菖愁という。11歳になる」
「い……いやいや、待って下さい! その冗談は余りにも残酷ですよ、僕は……」
「そう、今までは面会禁止だった。だが菖愁はこの度、仁徳書院の入学試験に首席で合格した」

どうやら聞き間違いではないらしい。なら、夢だろうか。それくらい、信じ難いことだった。

「ここから先は医療院としての説明となる。今まで面会不可能だったのには大きな理由があった。まず一つ目は、君が背負う【紫】そのものの罪。地上から去り、黄泉で誰とも交配せずにその命を終えること」
「ええ、もちろん覚えていますよ」
「だがそれに関しては、【白】の花婿となったことで放免という扱いになった」

僕の横にいる彼女もまた、どう反応していいか分からない様子だった。

「もう一つは……新しく産まれた【紫】を伝染病や不慮の事故などから隔離すること。知っているとは思うがオランピアもいる。もう一度説明しよう。【紫】は理論上【赤】と【青】の遺伝子を持つ者の交配により、一定の確率で産まれる。だが、そもそも【色層】上位の妊娠及び出生率が低く、新しい【紫】もまだそう数が多くない。そのため、彼等は離れ島の施設にて外界から遮断して育てられるのだ」

聞き間違いでも、夢でもないらしい。僕は必死に平静を装った。今すぐ叫びたかったが、叉梗の前で子供じみたい態度を見せたくなかった。

「君の方で問題がなければ、本日の午後こちらへ連れてこさせる」

そうして叉梗がドアの向こうに去った次の瞬間──僕は彼女を抱きしめてしまった。

「聞こえてたよね? まさかこんな日が来るなんて!」
「ええ、もちろん聞こえてた! おめでとう!」
「いきなり彼が来て身構えてしまったけど……本当に良い報せだった!」
「そうなの、私も実は疑って……でも、何て佳い日なの、本当に良かったわね」

少し前に、彼女をまた占った。花びらが示したのは──波乱の兆し。流れ着いた彼のことかと思いきや、僕のことだったのだろうか。しかし、ならば彼女には関わってこない。それともまだ何か──起こるというのか。どうか、陽の女神アマテラスよ。それが愛しい彼女を苦しめるものではありませんように。

【end】