「……私達は何か聞き間違えましたかな? 若様ともあろう方が、そのようなことを仰るなど」

公家筆頭が、笑んだ。つまり彼等はこう言いたいのだ、『絶対に許さない』と。すんなり受け入れられるとは考えていなかったが、これは長い戦いになるだろう。

「ではもう一度話そう。俺は自分がハズシの子であると明かした上で、長となりたいのだ」
「若様!」

幾つもの声が重なった。珠藍殿のお屋敷の広間は、重苦しい空気が立ち込めている。全て俺の責任だと理解ってはいたが、ここで引くわけにはいかない。

「では、お前達に問いたい。嘘を背負ったまま人の上に立つことが正しいのか?」
「つまらぬことを仰いますな。貴方様の父君は颯水様、母君は璃埜様。そうでございましょう?」
「……お前達」

俺を産んだ母は【青】の女だったという。そして【乙】の男を愛し、ハズシとなった。

「若様、我等がここに集ったのはオランピア様との婚儀のお話を進めるためだったはず。新しき【青】の長と、稀少な【白】との結びつきは、島中からの祝福を集めることになるはず。【青】の名に恥じぬ豪華な宴を催さなければと皆も心待ちにしております」
「こういった支度は時間がかかるものでございます。我が儘を仰らずに、どうか」
「我が儘、だと?」

叶うなら穏便に進めたかった。俺は【青】を大切に思っているし、長となる者が公家達を敵に回すなどあってはならない。

「確かにお前達からみれば我が儘と映るのかも知れないな。俺とて軽率な気持ちでこう言っているわけではない。もしも、もしもだぞ? 明かさずに長となり、そこでハズシの子であると知れたら……」
「若様は颯水様と璃埜様のお子でございます」

公家達が俺を凝視める。責めるような眼差しで。

「璃空、貴方の考えは分かったわ。でもこんな状況ではまだ暫くは長など無理ね」
「珠藍様……」

扇子に隠れて、彼女の顔はよく見えなかった。



「璃空、珠藍を余り困らせるものではない」

医療院の庭を歩いていると、叉梗殿が歩み寄ってきた。

「申し訳ありません。決してそのようなつもりでは……いえ、あの方がお心を痛めるであろうことは承知しておりました。しかしこのまま長を名乗ることに、どうしても納得がいかないのです」
「今年の健康診断も問題なく済んだようで何よりだ。これならばきっと跡継ぎも問題ないだろう」

俺は答えにつまった。もしかしたら公家達に説得を頼まれたのかも知れない。

「跡継ぎの前に、まずは婚姻です。しかしその前に公家達を納得させます」
「璃空、君が愚かな人間ではないと理解っているつもりだ。しかしこれはあの【白】の娘まで巻き込む問題になる。彼女はもう知っているのか」
「……いいえ、まだ」
「だろうな」

言えるはずがない、こんな情けないことを。決して彼女を信頼していないわけではないのだ、ただ甘えたくないだけで。

「【白】の娘は子を残すために花婿を求め、そして君が伴侶に選ばれた。医療院としては一日でも早く、君達二人の子を見たいものだが」
「それも理解しています。ですが公家達にも話したように、ハズシの子であると伏せたまま長となるのは正しいのでしょうか」
「困難が多いな。ただでさえ、【白】は【白】の娘しか産めないというのに」

心臓を針で突き刺された気がして、俺は呻いた。

「【青】を産めない女など、【青】の長には不要。だが稀少な【白】の花婿は、この島の栄誉でもある。彼女は何と言っている?」
「……特には、何も」

そう答えてしまってから、慌てて付け足した。

「いえ、考えていないということではないのです。彼女は彼女なりに悩んでおり……しかし、その」
「『愛』とは美しいな」

俺はこの人を信頼している。父のように、兄のように、師のように、俺を導いてくれた存在。だが彼の心の全てを知り得てはいない。

「璃空、両親の名は?」

いつもと変わらぬ声音で、彼は尋ねた。

「【青】の璃空としての、父と母の名は?」
「……──颯水殿と、璃埜殿です」
「それだけのことだよ」


「本当だ! 本当に昨日の男が生き返ったんだ!」
「そんな……まさか……有り得ないだろ……」
「船幽霊じゃないのか!」
「医療院の先生達だって死んだって言ってたじゃない! あれは間違いだったの!?」

俺は、昨日から今日にかけて起こったことが未だ信じられずにいた。否、この島の誰もが信じられないだろう。骸であったものが──起き上がったなど。

「もう一度尋ねるぞ、【青緑】碧蜘准尉。お前は骸の警護のために殯宮に向かい、この男が立っているのを見つけたのだな」

道摩殿の問いかけに、碧蜘が一礼して答える。

「はい、間違いありません。璃空殿と交代する手筈になっておりましたので」
「【青】璃空少尉、そなたが最後に見た時にはまだ骸だったのだな?」
「はい、確かに。この璃空少尉、卑流呼様に誓って」

俺と碧蜘准尉、道摩殿の間に真っ白な髪の男が立っている。俺はとても彼を正視出来ず、さりげなく目を逸らしながら更に説明を続ける。

「昨日、慈眼殿から骸の盗難などを防ぐために暫くの間は軍で見張りを立てて欲しいという要請がございました。それで昨夜は私が殯宮にて寝ずの番をいたしました」

殯宮というのは、寂れた岩屋のことだ。誰も近付く者のいないそこに、流れ着いた骸を運んだ。

「ここは……一体何処なのだろうか」

男が喋ったその瞬間、低いどよめきが重なった。誰もが呆然と、立ち尽くしている。

「私は……何故ここに? あなたがたは……私の知り合いではないのか?」

男の少し奥に、彼女が立っていた。並んで立つとまるで【白】の一対のようで俺の心臓がぎしぎしと軋む。

「そなたを最初に見つけたのが、そこにいるオランピアだ」

何故、彼女なのだ。しかも花婿の俺すら渡ったことのない天女島の浜辺に。

『困難が多いな。ただでさえ、【白】は【白】の娘しか産めないというのに』

俺の半身は彼女だけ、そして彼女の半身も俺のはずだ。だからそんなふうに──彼女の横に立たないでくれ。


『若様、我等の言葉をどうぞお聞き届け下さい』
『貴方様は次の【青】を導く者、そのようなお考えでは珠藍様も嘆かれます』

違うのだ、俺は民を騙したくはないのだ。

『璃空、両親の名は?』

違います、違うのです。何故ご理解いただけないのですか──!

「!?」

目を開けた瞬間、彼女の背中が見えた。そうだ、岬の家に来て泊まったのだ。健やかな寝息が聞こえるということは、気付かれてはいないだろう。俺が嫌な夢にうなされていると知ったら彼女が心配する。

「……違うのです、俺はただ……」

すぐ側にいるのに、彼女が遠い。【青】のことだけではなく、流れ着いた白き男の穏やか過ぎる佇まいに畏怖を覚える。長になれなければ、彼女の横に立てない。誰に命じられたわけでもなく、一人の男として胸を張りたい。それが、意味のない矜持と笑われても。
愛している、と囁くことも出来ずに俺は再び目を閉じた。



「璃空、そろそろ出られる?」
「ああ、俺はいつでも大丈夫だ」

岬の家に泊まった翌朝、一緒に家を出るのは俺の密かな楽しみだった。最初は少し照れくさかったが、正式に許婚と認められた身なのだから必要はないはずだ。

「今日もいい天気だ、清々しい」
「待って、腰紐が少しだけ曲がってる」
「あ……っ」

甲斐甲斐しく直され、恥ずかしさと嬉しさに体温が上がり──

「!?」

気付けば、俺は彼女の唇を塞いでいた。

「……どうしたの、いきなり?」

らしくないことをした。でも確かめたかった、彼女が俺のものだと。俺達を誰も引き離せはしないと。この幸福に酔い痴れたかった、何も解決してはいないのに。

「愛している、掛け替えのない……俺の半身」

彼女を苦しませてはならない、困らせてはならない。こんなにも、愛しいのだから。

【end】