「海辺にて」【暁月】
シナリオ:高瀬美恵
(やっぱり、ちょっと子供っぽかったかなあ……)
更衣室の鏡に全身を映してみて、真奈はため息をついた。
胸元にフリルのついた、ドットプリントの水着。試着したときは「可愛い」と思ったのだが、周囲の女性たちと比べると激しく見劣りがする……ような気がする。
暁月が突然「海に行こう」と言いだしたのは、3日前。テレビで海水浴の映像を見て思い立ったらしい。
久しぶりの遠出のデートはもちろん嬉しかったが、真奈は水着を持っていなかった。高校を卒業して以来、海にもプールにも縁がなかったのだ。
あわててデパートに買いに行った。結構大胆なものも試着はしてみたのだが……やはり恥ずかしくて、結局おとなしいデザインにしてしまったのだった。
こっそり周囲をうかがってみると、真奈と同年代の女の子たちは皆セクシーな水着を身につけている。真奈みたいな水着を着ているのは、せいぜい中学生までか。
(うー……しまった。もう少し勇気を出せば良かった……)
後悔しても、後の祭りだ。
暁月はたぶん気にしない……はず、と自分に言い聞かせて更衣室を出た。
暁月は海の家のテラス席に座って、サイダーを飲んでいた。
背後から近づこうとした真奈は、思わず足を止めてしまった。
暁月は一人ではなかった。大胆なビキニの女の子が二人、暁月にまとわりつくようにして、きゃっきゃと笑い声を上げている。
「あ、暁月っ!」
思わず、大声を上げて駆け寄ってしまう。暁月は振り返って、「お、早かったな」と言った。
二人組の女の子が真奈を見て、バカにしたような表情を浮かべた……ように見えたのは、真奈のヒガミかもしれない。
真奈は、トゲトゲした口調で言った。
「待たせたら悪いと思って、急いで着替えてきたの。でも楽しそうだね、暁月」
「ん? 何が?」
「何がって……その……」
暁月はひょいと立ち上がると、二人組に向けて愛想よく言った。
「じゃーな。連れが来たから」
つまらなそうに肩をすくめた二人組に背を向けて、歩き出す。真奈は暁月と並んで歩きながら、小声で言った。
「暁月ったら、逆ナンパされて、デレデレしちゃって」
「逆ナンパ? 何だよ、それ。声かけられただけだぜ。一緒に泳ぎませんか、だって」
それを逆ナンパと言うんだーっ!
と思ったが、暁月に説明しても無駄な気がする。ツンツンしていると、暁月は笑った。
「なんだ、真奈。妬いてんのか?」
「妬いてなんかいませんっ」
「機嫌直せよ。焼きそば買ってやるから」
暁月の笑顔を見ていると、怒るのが馬鹿馬鹿しくなってくる。真奈はつられて微笑んでしまった。
もちろん、暁月が悪いわけではない。暁月は、中身はともかく外見だけならモデル並みにカッコいい。本人にその気がなくても、寄ってくる女がいるのは仕方がない。
「焼きそばで機嫌直るんだもんなー。おまえ、ほんと気楽でいいよな」
「……何よーっ! 機嫌直せって言ったくせに!」
砂浜で追いかけっこが始まった。
暁月を追って走っているうちに、真奈はすっかり楽しくなって、笑い出してしまった。
(水着はちょっと失敗だけど……やっぱり、海に来て良かった!)
借りたパラソルを砂浜に立てて、二人は並んで海を眺めた。
休日とあって、かなりの人出だ。波打ち際では、小さな子供たちが水しぶきを上げている。お弁当を広げている家族連れもいる。そしてもちろん、ぴったり寄り添う恋人たちも。
(私と暁月も、ちゃんと恋人同士に見えてる……よね?)
なんとなく、そわそわしてしまう。さっきから、周囲の視線が自分たちに集まっている気がしてならない。原因は、もちろん暁月だ。
(……目立つんだよね、暁月は)
本人は、気づいているのかいないのか、ボーッと海を眺めているが……。
いや、違った。暁月が見ているのは海ではない。目の前を行き来するビキニ姿に気を取られている。
「……暁月?」
「あ?」
「ああいう水着好きなの?」
口にしてから、真奈は赤くなった。自分が気にしていることがバレバレだ。
暁月は怪訝そうな表情になった。真奈はますます顔を赤くして続けた。
「あ、あのね。私も、来年はああいうの着てみようかなーと思って……」
「やめとけ」
ずばっと、斬るように言われて、真奈は言葉を失ってしまった。
「似合わねえよ。おまえには、今日みたいなのがいいよ」
「……どういう意味っ!?」
「別に」
「どうせ私は……っ」
喧嘩になりそうな場面を救ってくれたのは、転がってきたビーチボールだった。
「すみませーん」
ボール遊びをしていた子供たちが走ってくる。暁月はボールを投げ返してやって、立ち上がった。
「座ってるのも飽きた。泳ごうぜ」
「……うん」
暁月の口が悪いのは、今に始まったことではない。それはわかっているが、やっぱり気分がへこむ。
(私には、色っぽい水着なんて似合わないと思ってるのかな……?)
月のことだから、すぐに海に飛びこんではしゃぎ回るかと思ったのだが、違った。彼は波に足を洗われながら、しばらく水平線を見つめていた。
「……やっぱり、越後の海とは色が違うんだな」
ぽつんと聞こえたつぶやきに、真奈は顔を上げた。
「うん、こっちは太平洋側だから……」
そう言いかけて、自分の間違いに気がついた。
越後というのは、単に地名ではない。あの時代のあの海を、彼は思い浮かべているのだろう。
暁月は、海に潜るのが得意だった。エビや貝を獲ってきて、みんなに食べさせてくれた。なつかしい澄んだ海は、もうどこにもない。
「暁月……」
ふいに寂しさに襲われて、真奈は暁月の顔を見上げた。
暁月は、真奈の頭にぽんと手を置いた。
「ここじゃエビは獲ってやれねえなあ」
「……そうだね」
「仕方ねえ。焼きそばで我慢しろ」
暁月は真奈の手を取ると、波打ち際を歩き出した。
海の色も、周りの風景も、あの時代とはかけ離れてしまったけれど――波の音だけは、変わっていない。
帰りの電車はすいていた。車窓から、沈みかけた夕陽が見える。
暁月は、真奈の隣でウトウトしている。今日一日、たっぷり遊んで疲れたのだろう。
オレンジ色の陽射しを浴びた横顔に、真奈は一瞬みとれてしまった。
普段はあまり意識しないのだが、こうして眠っていると、やはり暁月の顔立ちは端正だ。赤みを帯びた髪も、燃えるように美しい。
「……何みとれてるんだよ?」
目を閉じたまま暁月が突然、口を開いた。真奈は飛び上がりそうなほど驚いた。
「べ、別にみとれてないよ!」
「見てたじゃねーか。ひとの寝顔を、じろじろと」
「み、見てただけだよ……」
暁月はやっと目を開けて、あくびを噛み殺した。
「海、楽しかった。また来ような」
「うん」
「俺、今日のおまえの水着、好きだ」
「え?」
暁月はまた目を閉じてしまった。寝言のように、もそもそと続ける。
「あんまり、その……見せすぎないほうがいい。今日ぐらいがいい」
暁月の顔がかすかに赤くなったことに気づいて、真奈は唖然とした。
「それ、ひょっとして……他の男の人に見せたくないって意味?」
「……」
「自分は、すごいビキニにみとれてたくせに」
「みとれてない。見てただけだ」
「はいはい」
自然に、笑いがこみ上げてくる。暁月の肩に、真奈はコトンと頭をもたせかけた。
電車の揺れが、まるで波の寄せ返しのように思えて、いつしか心地よい眠りに落ちていった。