尾崎隼人 編

「もうすっかり満開だな。ずっと天気も良いし、あっという間に散りそう」

巡回の帰り道、俺達はウエノ公園の桜の下を歩いていた。

「でも雨が降るよりいいわ。春の嵐にでもなったら、更に早く散ってしまうもの」

彼女はとても機嫌良さそうに夜桜を眺めている。
実は昨夜、研究部や事務局の面々とフクロウの花見をしたのだ。もちろん紫鶴さんや昌吾、鷺澤も巻き込んで。
それはそれで非常に楽しかったが、俺はどうしても二人きりで桜を眺めたくて、こうして今夜、道草しているわけだ。

「そう言えば、お前があのアパートに来てもうすぐ一年だな」

重く言ったつもりではなかったが、思い掛けず彼女は足を止めた。

「確かに……そうね。一年って本当に早い」

ヒタキ君のあの事件があったのは、去年の桜の頃だ。
それは俺と彼女の───『再会』を意味する。

「私、実はあんなふうに沢山の人とお花見するのって初めてだったの。
一年前にはとても想像出来なかったことよ。でも本当に楽しかった! 来年は一口くらいお酒を呑んでみようかしら」
「いや、止めとけ。お前は絶対、酒に強くない顔してる。
大体、呑めるようになったらなったで今度は朱鷺宮さんや紫鶴さんに潰されるから、呑めないままでいい」
「潰され……そ、そうね、確かに有り得るわね」

昨夜、もちろん彼女は一口も酒など呑まなかったが、いつもよりは確かにはしゃいでいた。
乱痴気騒ぎ───もとい、賑やかな宴の空気に酔ったのだろう。
『再会』した時の彼女の、この世の終わりのような青ざめた顔を思えば、みんなと明るく笑う姿に感動すら覚える。

「去年はヒタキ君と花見とかしなかったのか」

これも、重く言ったつもりではなかった。
だが彼女はいきなり眉をひそめた後、何故か俺を軽く睨んだ。

「去年はとても桜を愛でるような気分ではなかったわ。顔も知らない『八代さん』との結婚が気掛かりで」
「あはは!!」

思わず笑ってしまい、また睨まれる。

「そこは笑うところなの? あの時は本当に……」

言い掛けて彼女は俯いた。

「そんなに絶望してた? 一体どんな男を想像してた? 札束を燃やして灯りをつけるような?」
「少なくともコロッケやムニエルを美味しそうに食べる男性だとは思っていなかったわね」

彼女は照れ隠しのように、大袈裟に溜め息をついた。
すると、まるで見計らっていたかのようにひらりと桜の花びらが舞って、彼女の前髪に落ちた。

「着けたままでも可愛いと思うけど」

俺は薄紅色のそれを、そっと剥がした。

「……有難う」
「あの時の俺に言ってやりたい。今度こそ好きな子の髪に着いた花びらを取れたって」

彼女は不思議そうに俺を凝視める。

「女学校の時、ここでお前はやっぱり桜を眺めてた。あの時は昼間だったけど」
「え? そ……そんなところまで見ていたの?」
「独り舞い散る桜を見上げるその姿はまさに深窓の令嬢といった趣で、俺なんて畏れ多くてとても声なんてかけられなかった。
その時に……おさげ頭に花びらが散ってさ。お前はそれを自分で取って、迎えの車で去った」
「恐らくそういうことも……あったと思うわ」
「そして現在、俺は目出度く、お前の髪に触れても逃げられない立場になったわけだ。だから今、とーっても嬉しい」

恥じらう彼女を前に、つい抱きしめそうになり───俺は危ういところでその手を引っ込めた。

ここは花見客で賑わう公園で、俺達はまだフクロウの制服を着ている。
昨年、稀モノの事件が帝都を騒がせたことが切っ掛けとなり、
『帝国図書情報資産管理局』という組織はそれなりに有名になってしまった。

こんな場所で、私的で不道徳な行為に及ぶのは良くない。
彼女もそんな俺の態度に気付いたようで、小さく苦笑している。

「昼間は暖かかったけど、夜はやっぱりまだ冷えるな。そろそろ帰るか」

俺はやんわりと彼女の背中を押し、歩き出した。
そう、早くあのアパートに戻ってこの制服を脱いでしまわなければ。
さっき言い損ねた言葉がある。

『また一年後もこうして二人で桜を見よう』───抱きしめて囁いて、口付けるつもりだったのに、制服に邪魔されてしまった。

俺も彼女も仕事を尊び、愛しているが、こんな時だけはこの制服が憎い。
だから早く彼女の部屋に辿り着いて、引き剥がしてしまうのだ。
さっきの桜の花びらのように、速やかに、彼女の躯からこの邪魔な制服を剥ぎ取ってしまうのだ。
俺はそれが許される立場になったのだから。