おまえの作る弁当を食うたび、俺がおかしくなっていく気がする。
 ずっと昔の記憶、俺にも父親と母親がいたころのことを妙に思い出してしまう。
 あの頃のことを進んで思い出したいなんて考えてねえのに、勝手に蘇ってくる。
 おまえのせいだ。
 おまえが作ってくれる料理は、俺が求めている『何か』の味がする。
 もしかしたら、コレが家庭の味とか呼ばれるもんなのかもしれねえが、
 親と暮らしたことのないおまえが、そんな飯を作れるなんて妙な話だ。


「鬼崎くん?」
「……なんでもねえよ」

 俺は、くだらねえ思考を振り払って弁当箱を開けた。
 不思議そうな声を出した沙弥のほうは見ない。
 
 もし、目が合ったら、
 
 俺の内心を全部見透かされちまうような気がする。
 保温された弁当はこの中身は、花の形に切ったにんじんが入っている筑前煮。
 同じ大きさに揃えられた甘酢あんのミートボール。
 それから、出汁巻き卵には桜エビが入っているようだ。
 少し焦げ色があるのもご愛嬌か。
 飯の上には、炒り卵、桜でんぶ、鶏そぼろの三食がきれいに並んでいる。
 他にも、水筒にはいつものように味噌汁が入っているんだろうし、
 デザートには何かの果物が別添えで用意されているはずだ。

「おまえな……」

 今日という今日は限界だ。
 俺はすっかり呆れ返って、横目で沙弥をにらみつける。

「手間かけすぎだろ。何時に起きたんだ?」

 こいつの料理は嫌いじゃねえ。
 和食も洋食も、どっちもいけるって言ったのは俺だ、献立にだって不満はない。
 弁当作りも年季が入ってるっつうか、まずいものを出されたことは1度もない。
 むしろ、こいつのせいで好きなものが増えてるかもしれないくらいだ。
 今まで、子供向けの惣菜を食う機会はあんまりなかった。
 親と暮らしてたころは食ったんだろうが、今ではもう記憶が曖昧になっている。
 だから、ミートボールだのハンバーグだの、ガキっぽい料理はなんだかむずがゆい。

 ……嫌いじゃねえけどな。


「昨日は、ちょうど時間があったから」

 
 沙弥は困ったように視線をそらす。
 
 それで寝不足の目を隠したつもりかもしれねえが、
 まっすぐすぎるくらい素直なおまえが、俺にいちいち隠し事なんてできるはずねえだろ。


「バカ。俺のために無理するんじゃねえよ」


 思わずため息をついてしまう。
 もう自分の不機嫌を隠すつもりはなかった。
 怒っているわけじゃないんだが、つい、目つきが厳しくなってしまう。

「おまえの負担になるくらいなら、毎日の弁当とかいらねえ」

 最初から弁当なんて必要なかったんだ。
 この学校には購買があるんだから、俺が飢え死にするわけじゃねえ。
 大体、こいつの弁当はヤバイ。
 間違いなく中毒性がある。
 こいつの手料理を毎日食べていると、なんだかこいつが
 俺のものになっちまったような気がして、すげえマズイ。
 俺が理性を保つためにも、ここらで少し距離を空けるのも悪くないんじゃないか――と思ったんだが。
 沙弥は頬を染めると、蚊の鳴くような声で言う。

「でも、鬼崎くんに美味しいものを食べてほしいから……」
「な……」

 なんだよ、それ。
 手の中から箸がぽろりと転げ落ちた。
 信じらんねえ……俺のために無理できるとか言うなよ。

「なんだよ、それ……」

 ようやく呟いた言葉は数秒前に心の中で思ったものだった。
 
 頭が動かない。
 どうすりゃいいんだ。
 
 言葉にならない衝動が胸に溢れて、このままでは何か取り返しのつかないことをしてしまいそうだ。
 ちょうど空いたこの手で、こいつを抱きしめればいいのか。
 幸い、屋上には俺たちの他に誰もいない。
 もう冬も間近というこの季節に、好き好んで屋上に来るようなバカは少ないからな。


「…………」

 
 手を伸ばすべきか、伸ばさないべきか。
 考えてみるが答えは出ない。
 こんなとき、何がいけなくて、何が許されるんだ?
 必死に頭を働かせようとしているうちに、沙弥はまだ赤らんだままの顔を上げ、
 俺のことをまっすぐに見つめた。

「少しでも鬼崎くんに喜んでほしくて……」
「!」

 俺はまた、こいつの眼差しに心まで射抜かれてしまう。
 沙弥は恥じらうように眉を寄せながらも、決して俺から視線を外そうとはしない。
 胸が詰まって、息もできなくなりそうだ。

「だから、頑張ってしまうの。適当になんて済ませられない」
「…………」

 負けた。
 完全に負けた。
 俺の理性が撃沈した。
 こんな衝動に抗うのは不可能だ。
 そう思うと同時に俺は動いていた。
 彼女の肩をつかんで、その細い身体をぐっと強引に抱き寄せる。

「あ、あの、鬼崎くん……?」
「……今日は寒いからな」

 我ながらへたくそな言い訳だと思う。
 だが、それでも沙弥は何も言わず、ただ俺に身を預けてくれた。

「…………」
「…………」

 吹き抜ける木枯らしの音を聞きながら黙り込む。
 ずっと沙弥を抱いたままでいたいとは思うが、
 せっかくの弁当に手をつけないまま昼休みが終わってしまったら後悔してもしきれない。

「そ、そろそろ、飯、食うか」
「う、うん。昼休み、終わってしまうものね」

 俺たちはぎこちなく顔を見合わせると、慎重すぎるくらい慎重な動作でゆっくりと身を離す。
 無事に元の距離感を取り戻したころ、沙弥が不意に尋ねてきた。

「そ、そういえば、鬼崎くんはどこに住んでいるの?」
「天意が用意したマンションがある」
「ひとり暮らしよね?」
「ああ」

 俺は、質問の意図など深く考えずに頷いた。
 落とした箸を拾って、沙弥が用意してくれたウェットティッシュで先を拭う。
 それから、いざ昼飯を食い始めんと弁当箱を抱えて――。

「あ、あのね」
「?」
「今度、ごはんを作りに行ってもいい……?」
「――――」

 再び俺の手から落ちた箸が、乾いた音を立てて屋上の床を転がった。
 思わず弁当箱まで落とさなかった自分を盛大に褒めてやりたいところだ。

「あぁ!? 何言ってんだ!? ダメに決まってんだろ!!!」
「ご、ごめんなさい!」

 びくっと身をすくめる姿に、言い過ぎたかと思うが後の祭りだ。

 くそ……。
 好きな女を、ひとり暮らししてる部屋に入れられるわけねえだろ。
 密室にマジでふたりきりになっちまうんだぞ。
 俺は複雑な気分で、伏せられた沙弥の横顔を眺める。

 おまえ、わかってねえだろ……。

 男の部屋に飯を作りに来る意味、おまえ、ぜってえわかってねえだろ……!!

                                              Fin


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