恥ずかしながら、俺は男女交際というものにあまり免疫がない。
 ずっと昔から心に決めたひとはいたけれど、この気持ちはもっと俺たちが大人になってから伝えようと思っていた。
 ……いや、もしかしたら度胸がなくて、ただ先延ばしにしていただけかもしれないけれど。
 とにかく、だから俺は『彼女』という存在ができたことはないし、
 高校生らしい『お付き合い』と言われても少し悩んでしまう。
 あの大事件のとき、余裕がなくなった俺は自分の気持ちを押し付けすぎて、沙弥を苦しめてしまった。
 俺の中には、自分でも抑えきれないくらいの激しい想いがあるんだと思い知らされた。
 今度はあんな失敗をしたくない。
 彼女のためにも、俺自身のためにも、この想いは心の奥底に抑え込んでおこう。


 でも、俺は彼女のことが好きだ。
 大好きだ。


 彼女に触れたいと思うし、彼女の傍にいたいと思うし、彼女の声を聴いて、笑顔を見て、
 一緒に生きていきたいと思っている。
 だから、いずれ思いの丈をすべて彼女にぶつける日も来るのかもしれない。
 もちろんそれは今じゃないと思うし、せめてお互いが学生のうちは、
 彼女のお父さんに顔向けできるような健全な交際を死守したいところなのだ。

「というわけで、交換日記から始めよう」
「え……?」

 考えに考え抜いた俺の提案に、彼女は困ったように眉を寄せた。
 確かに交換日記は古臭いかもしれない。けど、俺と彼女は仮にも特別な好意を抱き合っている仲なのだから、
 お互いのことをもっとよく知るための努力を欠かしてはいけないと思う。

「あのね、凌さん……」

 俺の主張を聞いた彼女は、ますます困惑したように首をかしげる。

「私と凌さんは幼馴染よね。もう充分すぎるくらい、お互いのことはよく知っていると思うの」
「いや、『充分すぎる』なんてことはないよ」

 知りすぎて困ることはないはずだ。
 何より、俺は彼女の本質をつい最近まで見誤っていたような気もしているから。

「俺はもっともっと、君のことを知りたいよ」

 俺の、大切な人。
 強くて、凛々しくて、誰よりも優しい人。
 俺は君を知るたびに、もっと君のことが好きになるんだ。
 慈愛に溢れた君の瞳に見つめられるだけで、俺はいつも舞い上がってしまう。
 俺以上に幸せな人間なんて、現世にも常世にもいないって信じられる。
 それくらい、君のことが好きだ。

「……うん。わかった」

 俺の訴えが届いたようで、沙弥は優しく微笑んでくれた。

「私も凌さんのことを知りたい気がする」
「本当?」
「うん。あの出来事をきっかけに、私も変わったけれど……」

 沙弥の瞳を微かな悲しみが過ぎたように見えた。
 寒名を大きく揺るがしたあの出来事は、彼女の心にも深い傷跡を刻んでしまった。

「沙弥……」

 君の痛みを少しでも癒したい。
 俺は勇気を振り絞って、そっと彼女の手を握りしめた。
 彼女は少し驚いたように目を瞬いたけれど、すぐにまた、とびきり優しい笑みを浮かべてくれる。

「凌さんは私より、もっと変わったと思うの」

「そうかな……?」

 なんだか照れくさくて、俺は小さく頬を掻いた。
「そう思うわ」

 俺のことを知りたいと思ってくれるのは純粋に嬉しい。
 ただ、俺の中には、彼女に見せたくないどろどろしたものがたくさん詰まっている。
 知ってもらいたいのに知られたくないなんて、我ながら面倒な心理だ。


 というわけで――。
 その夜、俺は彼女に渡す交換日記の用意を始めた。
 メールでいくらでもやりとりできるこの時代に、交換日記なんて前時代的な手法は不便極まりないだろうけど、
 改めて自分の考えを伝える手段としては悪くないんじゃないか。
 真っ新なノートを開きながら、俺はそんなことを考えていた。


「けど、何から書けばいいのか……」


 たとえば今朝のこと?

 学校まで並んで歩きながら、髪型の話をした。
 髪型を変えてみようかという沙弥に、俺は『そのままで充分可愛いのに』と言ったんだ。
 でも、本音を言えば沙弥はどんな髪型にしていても可愛いと思う。
 たまにはちょっと変えてみてくれても、俺はドキドキさせられること間違いなしだ。
 あとは昼休みのこと?
 俺は好き嫌いなく何でも食べるけれど、沙弥のレパートリーで、
 特にお気に入りのものはあるのかと聞かれた。
 俺は『なんでも好きだよ』と何の参考にもならない答えを返した。
 でも、どれかひとつに絞るなら、俺はおにぎりが好きだよって伝えるべきだったかな。
 君も最初から料理が得意だったわけじゃない。
 昔はかなり不格好なお弁当を作ってくることも多かった。
 だから、おにぎりを食べると、少しずつ上手に握れるようになっていった軌跡をありありと思い出すんだ。

「あれ?」

 はたと気づいた。

「……こんなの、彼女に渡せないような……」

 いけない。
 これでは想いをぶち撒けすぎだ。
 かといって、本音を伏せて書く日記なら彼女に渡す必要もない気がする。
 改めて文字にしなくても、表面的な言葉ならすでに伝えてあるじゃないか。
「どうしたらいいんだ……?」

 わからない。
 どれくらいの想いなら彼女の負担にならないだろう?
 自分の気持ちを押し付けたくはないのに、自分の気持ちを隠しては意味がないなんて、
 あまりにも加減が難しすぎる。

 結局、朝まで白紙のノートとにらみ合ったけれど、俺は1文字も書けないままだった。
 こうして交換日記計画は第一歩から頓挫してしまった。
 正直に『何を書けばいいかわからなくて』と伝えたら、彼女は笑って許してくれたけれど、
 これでは健全な男女交際にさっぱり進展が望めない気がする。
 いっそのこと、俺たちがもっともっと大人になるまで、

   『恋人らしい関係』を築くのは諦めたほうがいいのかな……?

                                              Fin


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