夏が過ぎて、秋が訪れて、季節はもう冬へ向かおうとしている。
 けれど温室の空調は一定に保たれているから、生い茂る緑を見ていると少し感覚が麻痺してしまいそうだ。
 僕は、植物に囲まれたこの場所が好きだ。
 超高層ビルに囲まれた寒名市では、
 あまり感じられない土の匂いがするせいか、不思議と気分が落ち着いてくる。
 でも、満ち足りた心地になれる理由は、温室という場所柄のおかげだけではない。
 彼女が隣にいてくれるから、僕の心はいつも穏やかな幸せで満たされるんだ。


 あの日の昼休み――。
 僕たちは温室内のベンチに腰かけ、ペーパーディスプレイを覗き込んでいた。
 植物図鑑のデータを呼び出し、冬から春にかけて咲く花を調べている。
 生徒会予算の関係で、園芸部は冬休みが来るまでに、
 来季に植える花の種を決めなければならないそうだ。

「何がいいかしら……」

 彼女は、空の花壇に目を向けた。
 少し前まで綺麗に咲いていたコスモスも、すっかり枯れ落ちてしまった。
 あの花は僕たちにいくつもの思い出をくれたから、少し寂しくも感じられる。
 でも、花は実を結ぶために生きるのだから、
 ここに咲いていた彼らはきちんと『やり遂げて』いったのだろう。
 そう考えると、次に育てる花々のことも、なおさら大切にしなければならないと思えてくる。

「鴉取くんは何がいいと思う?」

 彼女は花壇から僕に視線を移し、いつもの柔らかい声音で訊いてきた。

「そうですね……」

 僕はどこか浮かれた心地のまま相槌を打つ。
 彼女が頼ってくれているのだから、真面目に考えて答えてあげたいのだけれど、
 彼女と時間を共有できることが嬉しくて、
 今はあんまり頭が働かない。
 考えているフリをするのも気が引けて、僕は心に浮かんだものをそのまま言葉にした。

「来年の秋は、あなたと紅葉狩りに行きたいです」
「来年の――」

 彼女は僕の意図を探るように頷いて。

「来年の?」

 不思議そうに目を丸くした、それから、ぱちぱち、と2度瞬きする。
 そんな彼女の挙動ひとつひとつが、どれも愛おしくてたまらない。

「紅葉狩り、したことありますか?」
「う、ううん……」

 戸惑いながらも律儀に答えてくれる。
 彼女の誠実さを改めて感じて、僕ばかりがどんどん嬉しくなってしまう。
 申し訳ないとは思うけれど、幸せにならないようにブレーキをかけるなんて、できそうもない。


 寒名市にも四季はある。
 街に植えられた木々も寒暖に合わせて姿を変える。
 春になれば青々と葉を茂らせるし、冬が近付けば葉を落とす。
 けれど、どうしたって寒名は大都会だ。


「紅葉に囲まれてみたいと思いませんか?」

 真っ赤に染まった山に登るほど、秋を感じられることは他にないと思う。
 僕は紅葉の本当の美しさを伝えたかった。
 自然の中に息づいた命は、街中で寂しげに佇む木々より、ずっと自由にのびのびと生きている。
 彼女と共に、土を覆う紅葉の絨毯を歩きたい。
 赤や黄や橙の葉の間から覗く青い空を見上げたい。
 今は以前と違い、望めば寒名からも出られるようになった。
 彼女も自然を愛する人だから、実りを肌で感じられる秋の山を、きっと気に入ってくれるはず。
 今年はもう紅葉の見ごろを過ぎてしまったけれど、
 来年なら最高の時期に行くこともできるだろう。

「僕は、先の約束がほしいんです」

 欲張りだろうか。
 でも、この幸せはずっと続いていくんだと刻むために、
 彼女の未来の予定をたくさん『僕』で埋めていきたい。

「……いけませんか?」

 僕が尋ねると、彼女は柔らかく微笑んだ。

「私も行きたいわ」
「よかった……!」

 僕は安堵と歓喜から、つい、子供のようにはしゃいでしまう。
 紅葉に囲まれた彼女は紅葉以上に美しいはずだ。
 透き通るような肌の白さもなおさら際立つだろうし、
 鮮やかな秋の山は彼女の艶やかな髪を引き立てるだろう。
 正直、今すぐにでも来年が来てくれないかと思ってしまう。
 ――と、心に浮かんだことを素直に告げると彼女の頬が赤らんだ。

「そ、そんなこと……」

 すぐ照れるところも可愛らしい。
 ありのままの事実を口にしているだけなのに、彼女はますます魅力的な顔を見せてくれるから、
 僕はまたひとつ得をしたような気分になる。

「紅葉狩りが楽しみです。紅葉に彩られたあなたはきっと素晴らしく美しいだろうから」
「…………」

 彼女はますます赤くなってしまう。
 ちょっと悪いことをしたかなと思うけれど、彼女に対して不誠実な態度を取りたくなかった。
 だから、本当の気持ちを隠して、嘘をつくわけにもいかない。
 曖昧な態度で流してしまうには、僕の想いはあまりに大きすぎるのだと思う。


「そろそろ教室に戻りましょう」

 僕はハンカチを取り出すと、彼女の手をつかまえた。

「あ――」

 花壇の世話をして、泥で汚れた白い指先を丁寧にぬぐう。
 彼女は困惑と照れの狭間で何か言いたげに唇を開いたけれど、
 僕がにっこりと微笑み返すと、また赤い顔を隠すようにうつむいてしまった。
 また少し、困らせてしまったかもしれない。
 でも、僕はそうせずにいられないのだ。
 彼女が大切で仕方なくて、もっと愛したい、もっと慈しみたいと思う気持ちを止められないから。

「今日も一緒に帰りましょう」

 いつもの約束を確かめるように口にしながら、僕は彼女の手を引いて歩き出す。


 これから午後の授業が待っている。
 彼女に再び逢える放課後が、恋しくて仕方なくなる時間だ。
 だから、離れなければならない教室までは、こうして彼女の手を握り続けていたかった。
 彼女と同じ教室で授業を受けられる鬼崎くんのことが羨ましい。
 こんなの、子供っぽい感情だとわかっているけれど、それでも思わずにいられない。
 僕は今日も、また彼女と触れ合える放課後を心待ちにして憂鬱な午後を過ごすのだった。

                                               Fin


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