寒名の地下深くに存在する封印の地。
清らかな空気で満たされた静謐の世界は、今まさに砕かれんとしていた。
ただの人間が決して立ち入ることのないこの地に――玉依姫の力で再び封印が施された黄泉ノ門を前に、
今、揃いの影が佇んでいる。
背格好だけを指すなら人間の双子に見える。
彼らは、封印と共に意識を閉ざしていたはずのカミだった。
「おはよう」
「…………」
片割れが片割れに声をかける。
しかし、反応がない。
「おっはー」
寝惚け眼をこすりながら、恭介は再び弟に挨拶した。
鉄平はしばし硬直していたが、やがて――。
「起こしてンじゃねェよ、バカ!!」
全力で叫んだ。
世の理不尽を呪うように叫んだ。
平穏な眠りを妨げられたというのに、笑顔で応えることなどできようか。
できるはずがない。
だが、鉄平が睨みつけた相手は心外そうに緩く首を横に振る。
「いや、俺は悪くない。勘違いしないでほしい。俺が鉄平を起こしたわけじゃない」
「あァ?」
鉄平は目つきを鋭くして、一歩、二歩、恭介との間合いを詰めた。
すでに充分すぎるほど喧嘩腰である。
「ンな舌先三寸でオレサマをやり込められるとでも思ってやがンのか、ゴルァ!?」
「真実なんだから仕方ない」
顔をしかめる鉄平に対して、恭介は淡々とした態度を崩さない。
むしろ、心外だとばかりに冷めた眼差しを弟に返す。
「というか俺は鉄平に起こされた気がしてた」
「ほォ……」
鉄平は意外そうというより、疑い深げに顔をしかめた。
「念のため言っとくが、起こしてねェぞ」
「嘘つきは死罪の始まり」
言葉が終わるか終わらないかのうちに恭介の左腕が唸る。
「グハァッ!?」
停滞していた空を切り、上から下に叩きつける強烈な打撃を食らい、
鉄平は錐揉み回転しながら鮮やかに宙を舞った。
すざぁっと地面を削りながら落下する。
「…………」
「…………」
土埃が収まる頃、ゆらりと鉄平が身を起こした。
「始まンねェよ、ボケ!!」
口の端から血を流しつつも全力で拳を打ち出す。
鋭いアッパーを数ミリの差で回避しつつ、恭介は怒りとは無縁に凪いだ声音で応じた。
「俺が起こしていない以上、鉄平が俺を起こしたに違いない」
「だから――」
「弟よ」
言いつのろうとする鉄平を手で制し、不意に恭介は真顔になる。
「……なンだ」
恭介はきっぱりと断言した。
「陪審員は皆、俺の味方だから諦めたほうがいい」
「死ね!!」
恭介は数瞬、悩んだ。
何が弟の琴線に触れたのか。
しかし、すぐに迷いを振り切った。
「挑戦は受けて立つ」
やはり戦いに背を向けてはカミの名折れである。
幾度の攻防を乗り越えただろう。
先程まで穏やかな静謐で満ちていた空間は、荒れ狂う雷撃と凄まじい風刃により、カミの戦場へと姿を変えた。
飽きるほど互いを大地に叩きつけれども暴力の嵐は止むことがない。
だが、不意に片割れの声が響いた。
「オイ、バカ恭」
鉄平は何か閃いた様子で片割れを見返す。
「オレサマもおめェも起こしてねェのに、オレサマとおめェが起きちまう可能性、ひとつだけ、あンじゃねェか……?」
「…………」
恭介は浅く息を吐いた。
「御託はいい。決着をつけよう」
「いやマジ聞けこのバカ」
正面から打ちつけられた拳と拳が大気を震わせた。
その態勢を崩さないまま、鉄平は苛々と声を荒げる。
「だからよォ、地脈に異常でも出てンじゃねェーかァ!?」
「地脈」
その言葉に恭介は、ぴたり、と動きを止めた。
「ふむ……」
緩々とした仕草で突き出した拳を引き、恭介は悩むように腕を組む。
その所作を見守りながら、鉄平はやや恐る恐る腕を引いた。
片割れの行動は、先が読めなくていろんな意味で頭が痛い。
「それは興味深い」
「だろ!?」
「なかなか笑えない冗談だし」
「冗談じゃねェし!?」
恭介は、律儀にツッコミを入れてくる弟を静かに見つめた。
「鉄平……」
「あァ!?」
「どうしてもっと早く言わなかった」
「…………」
鉄平はぶるぶると怒りに肩を震わせながら声を絞り出す。
「……殴られてェのか、おめェは……!!」
しかし、ここで怒りに我を忘れているときではない。
鉄平も恭介も、その存在意義は玉依姫と共に封印の門を守ることにある。
その封印に異常があるかもしれないと考えられる今現在は、
決して目先のイラつきを優先して片割れを殴りつけている場合ではないのである。
「何がどうおかしいのかわからないが、俺たちが目覚めるということ自体、異常。
その原因が地脈にあるとすれば、封印が微妙に緩みかけている可能性も高い……」
「玉依姫に何かあったのか、そうじゃねェなら、やっぱ地脈に何か起きてンだろ……」
「…………」
「…………」
「ど」
「どうするかオレサマに聞く前におめェで考えろ」
「…………」
「…………」
恭介は珍しく真面目に考え込んだ。
「じゃあ、まず、さらさらストレートの様子を見に行く」
「おォ、おォ、イイんじゃねェーの、バカ恭にしちゃァ」
鉄平は上機嫌に目を細める。
これは、恭介としては真面目に検討した結果の意見だが、鉄平の思索に比べるとやや利己に偏った判断でもある。
異変を口実にさらさらストレートを堪能できる機会があれば幸い、というのが偽らざる恭介のどうしようもない本音なのだから。
「玉依姫に異変が起きてねえなら、この寒名を支える『土地』自体の問題だろォな。
原因追究と同時に、オレサマとバカ恭の力だけで解決できる問題なのかも調べねェと――」
もし、双子の力で解決できる話なら玉依姫には伝えないほうがいいだろう。
あの娘はやたらと心配性で、細けェことにもすぐ胸を痛めるタチだし、
できればやっと取り戻したフツーの生活を満喫させといてやりたい。
「鉄平」
「あァ?」
鋼をも裂く速度で、風を纏う拳が鉄平の身体をえぐる。
全力でえぐる。
「ガハァッ!?」
派手に吐血しながら大地を転がる弟を見下ろし、兄は相変わらずの、あまり感情をにじませない淡々とした口調で告げた。
「バカとか言うな」
「…………」
鉄平は思いのほか静かに立ち上がる。
「そういうこと言うのはなァ――」
口から漏れた血は、手の甲で乱雑にぬぐいながら、思い切り怒鳴った。
「考える前に手ェ出す癖なくしてからにしやがれ!!」
こうして、第三次双子大戦(本日付)の悲劇が幕を開けたのである――。
Fin
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