「ふふ、これで準備は万端ですね」

掃除は済ませ、おやつの準備もした。
後は神無さんがやってくるのを待つだけ――。
私は満足げにうなずいてから、テーブルの上に置かれた皿を見つめる。

「これを見たら、神無さんはどんな反応を返してくれるんでしょうねぇ」

そこには、動物の形をしたマカロンが乗っている。
神無さんの喜ぶ顔が見たくて、通販で取り寄せたのだ。

かわいいと頬を綻ばしてくれるのか。
はたまた、何も言わずにじっと見とれてしまうのか。

その光景を想像して、否が応にも心が弾む。

「……早く、会いたいです」

私の呟きが、空中に溶けて消えた。
1分が1時間にも、1日にも感じられる。
それくらい、神無さんがやってくるのが待ち遠しくて仕方がない。

私がそわそわと時計と扉の間で視線を行き来させていると、保健室のドアが控えめに開いた。

 * * *

「……失礼します」

おずおずと顔を覗かせた神無さんに、満面の笑みを浮かべる。

「神無さん、お待ちしていましたよ。さあ、こちらに座ってください」

彼女に丸椅子を勧める。
神無さんは丁寧にお辞儀してから、ちょこんと丸椅子に座った。

「少し、こちらで待っていて頂けますか」

「はい」

私は机の上に置いてある【取り込み中】のプレートを持って、外に出る。
辺りに誰もいないことを確認してから、それをドアにかけ、扉を横に引いて室内に戻った。

「神無さん、お待たせ――」

そこで、言葉を切る。
神無さんは私が用意したマカロンを食い入るように見つめ、
私が戻ってきたことに気付いていないようだった。

「…………」

幸せそうに頬を緩ませる彼女の姿に、胸の奥が甘く痺れる。
見ているだけで【幸せ】なんて、本当に私らしくない。
だけど、それが嫌ではない。
むしろ、自分の心境の変化をうれしく感じていた。

「……あ! す、すみません……!」

私の視線に気付いたのか。
神無さんがマカロンから視線を外し、私に向かってぺこぺこと頭を下げる。

「謝る必要はありませんよ。
 それは、神無さんのために用意したものなんですから。
 今、お茶を淹れますから、ちょっと待っていてくださいね」

「え、あ、は、はい……」

神無さんは恥ずかしそうに俯く。
そういう姿がかわいらしいと言ったら、彼女は顔を真っ赤に染めて、
すぐにでもここを出て行ってしまうだろう。
それがわかっているからこそ、私はあえて何も言わずに、2人分のお茶を用意した。

「――はい、どうぞ」

「ありがとうございます」

カップを彼女に渡してから、私は神無さんの向かいの椅子に腰を下ろす。

「どうぞ、召し上がってください」

「は、はい。い、いただきます……」

神無さんは両手を合わせてお辞儀をしてから、マカロンに手を伸ばす。
――が、触れるか触れないかぎりぎりのところで手が止まった。

「……どの子にしよう」

神無さんの口から、ぽつりと呟きが零れる。

「うさぎさんもかわいいし、パンダさんもかわいいし、ブタさんも……」

「時間はたっぷりありますから、ゆっくり選んで大丈夫ですよ」

「は、はい……」

神無さんはこくりとうなずくと、真剣な表情で悩み始めた。

(本当にかわいらしいですねぇ……)

幸福感に包まれながら、じっと彼女を見つめる。

最初、彼女に印を刻んだ理由はただ、守るためだけだった。
それがいつしか、胸が焦がれるほど神無さんに惹かれていた。

日に日にその想いが募り、今では彼女の姿を見ているだけで幸福を感じるようになっている。

(私は神無さんと一緒になれて、とても幸せです。ですが、神無さんは……?)

直接、幸せだという言葉を聞いていても、もっともっと幸せにできるのではないかと思ってしまう。
私は神無さんを1度不幸にしてしまった。
だからこそ、ここまで敏感になっているのだろう。

(……違いますね。
 私が、1番大事なことを彼女に告げていないから、臆病になっているだけです)

神無さんのことを思うのなら、今すぐにでも伝えるべきだ。
だけど、いつも直前で躊躇してしまう。

伝えたら、彼女が悲しむことがわかっている。
それならば、このまま伝えずに暮らしていくのが1番いいのではないか?
心に忍び込んだ声が、そう囁いてきた。

(……それでも、いつか伝える時がくるでしょうね)

心の冷静な部分が、隠し事をしたまま、ずっと神無さんと暮らしていけるはずがないと訴えてくる。
真に彼女を幸せにしたいのなら――、すべてを告げることだ。

告げるな、告げるべきだという相反する声に頭を悩ませていると、
彼女の涼やかな声が耳に飛び込んできた。

「……高槻先生、大丈夫ですか?」

「ああ、すみません。少し、考えごとをしていました」

神無さんの瞳が不安げに揺れている。
私は安心させるように微笑みかけてから、お茶に口をつけた。
未だに葛藤する気持ちはあるが、神無さんの前でそれを見せていいわけがない。

「どれを食べるのか、決まったんですね」

きっぱりと意識を切り替えてから、彼女の手に握られているマカロンを指差す。
彼女は悩んだ末に、うさぎを選んだようだ。

「は、はい……」

神無さんは消え入りそうな声で答える。

「あの、高槻先生は食べないんですか……?」

「はい」

私がそう告げると、彼女は私に向かって手にしているマカロンを差し出した。

「……これ、高槻先生が食べてください」

「いいえ、私はあなたが食べる姿を見るだけで、十分ですから」

「でも……」

迷ったように視線を泳がせる神無さんの様子に、
私が食べない限り自分も食べないだろうと悟った私は、皿に手を伸ばす。

「では、パンダを頂いてもよろしいですか?」

「はい……!」

私がそう答えた途端、うれしそうにはにかむ。
――この笑顔を、崩したくない。
私は心底、そう思うのだった……。

END

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