
「……神無?」
寝室に入り、彼女からの返事がないことに首を傾げる。
ふと視線を壁掛け時計に移し、合点がいったとばかりにうなずいた。
「――そうか。もう、こんな時間か」
いつも彼女が寝入るのは日付が変わる前。
だから、神無が眠っているのはまったく珍しくはない。
ただ1点、布団がかけられていない点を除けば、だが。
その理由を探し、俺は思案に落ちた。
「俺を……、待っていたのか」
瞬時に、いとおしいという気持ちがわきあがる。
俺は体を縮こめて眠る神無の額にキスを落とし、布団をかけてから隣に寝転ぶ。
そして彼女の体を腕の中に引き寄せ、満足げな吐息を吐いた。
「…………」
幸福感が溢れ、いつまでもこうしていたいという欲求に駆られる。
今も昔も1日の大半を惰眠にあてている生活に変わりはない。
だが、そこには大きな違いがある。
昔はただ目を閉じているだけで、寝入っているのはほんのわずかな時間だけだった。
それが神無と一緒になって、こうやって眠るように
なってからはちょっとやそっとのことでは起きなくなった。
「ずっとこうしていたい」
四六時中神無を抱きしめて、惰眠を貪れればどんなにいいだろう。
しかし、それには【学校】という名の大きな障害が立ち塞がっている。
「……卒業するまでの辛抱だな」
俺はそう心の中で言い聞かせ、神無をさらに強く抱きしめるのだった。
END
(……本当についていませんねぇ)
彼女に聞こえないよう、小さくため息をついた。
2人で一緒に帰れる日に限って、いつもの倍近く仕事が持ち込まれる。
さっさと終わらせてしまおうとペンを走らせ、
ふと神無さんが退屈してはいないだろうかと不安を覚えた。
「すみません。後少しで終わり――神無さん?」
私が顔をあげた先には、丸椅子に座って寝入る神無さんの姿があった。
彼女の小さな口から可愛らしい寝息が聞こえ、思わず頬を綻ばせる。
「ふふ。恋人の前とはいえ、無防備に寝るのは危険ですよ?」
返答がないところを見ると、よほど深く眠っているらしい。
椅子から立ち上がり、神無さんの隣に腰掛ける。
「夜遅くまで頑張るのもいいですが、あまり無茶はしないでください」
彼女の艶やかな黒髪に手を伸ばし、一房掴んでそっとキスを落とす。
神無さんは変わらず固く目を閉じ、寝息を返すだけ。
眠りの浅い彼女がここまでして起きないのは、とても珍しいことだ。
(それだけ、疲れているんでしょうねぇ)
神無さんから部活の地方大会が間近に迫っている、
という話を聞いたのは一週間ほど前。
頑張りやな彼女のことですから、無理をしなければいいと心配はしていたのですが……。
どうやら的中してしまったようですね。
「あなたのそういう姿勢はとても好ましいですが、
もし倒れてしまったらと、私は気が気ではないんですよ」
今日も職員宿舎に帰ってから練習するのでしょうが……。
今日くらい、早く眠るようにと神無さんを説得してみましょう。
ですが今は、彼女をちゃんとした場所で寝かせるのが先ですね。
私は神無さんを抱き上げ、ベッドに寝かせてから耳元に口を寄せる。
「おやすみなさい、神無さん。どうか良い夢を――」
END
「神無ー? どこやー?」
この時間帯はいつもリビングにいる神無が、今日に限っていない。
どっか出かけるって話は聞いとらんから、家におると思うんやけどなぁ……。
首を傾げつつ、ダイニングキッチンの扉を開く。
「……ここにもおらんのか」
となると、残りは寝室くらいやな。
俺が寝室に足を向けると、そこにはベビーベッドで寝息を立てる我が子と、
その傍らに座って眠る神無の姿があった。
やっと見つけたその姿に安堵し、ほっと息をつく。
「寝かしつけてるうちに、寝てしもうたんやな」
俺は2人を起こさないよう忍び足で近づいた。
そして幸せそうな顔をして眠る息子に笑いかけてから、神無に視線を移す。
「よう眠っとる」
こんな気持ち良さそうに眠っとる神無を起こすのは忍びない。
かと言って、この体勢だと身体を痛くするやろうし、何より風邪を引いてしまうかもしれん。
俺は神無の膝裏に手を入れ、起こさないようそっと抱き上げる。
そのままゆっくり、慎重に――それこそ壊れ物を扱うように神無を運び、ベッドの上に寝かす。
「これでよし、と。
……そういえば、そろそろ洗濯物を取り込む時間やな」
茜色に染まる空を見て、これくらいの時間帯に神無が洗濯物を取り込んでいたことを思い出す。
「いつも嫁さんにやってもろとるし、今日はいっちょ俺がやるか」
そうと決まったら善は急げや!
俺は神無の頭をひと撫でしてから、部屋を後にしたのだった。
END
「神無、今日は楽しかったね。
今度のデートは食べ歩きなんかも――」
肩にかかる重みに、言葉を切る。
もしかして……という予感のままに首を横に傾け、
自分の考えが当たったことを知った。
「……寝ちゃってる」
頬をつついてみたい衝動に駆られたけれど、
直前で伸ばした手を大人しく引っ込め、
改めて神無の顔をじっくりと見つめる。
「寝顔、かわいいな」
同じベッドで寝起きしているから、神無の寝顔を見る機会は多い。
だけど、何度見たって飽きることはない。
むしろ、もっともっと見たいって欲求が溢れてくるくらいだ。
「…………」
神無の額にかかった髪を、指で払う。
少し身じろぐ気配はしたけれど、起きる感じじゃない。
「うーん、このまま寝かせてあげたいところだけど――」
図ったように車内アナウンスが流れ、僕は眉を下げる。
運悪く、次が僕たちの降りる駅だ。
だから、そろそろ神無を起こさなきゃいけないんだけど……。
「……決めた! 神無が起きなかったら、僕が彼女を背負って職員宿舎に帰ろう」
こんなに気持ち良さそうに眠っている神無を起こせるわけがない。
だったら、僕が彼女を運べばいいだけの話だ。
「神無。安心して眠ってていいからね」
神無が起きないよう小さな囁きを落としてから、下車ブザーに手を伸ばした。
END
「出迎えはなしか」
ちっと舌打ちをしてから、リビングへと向かう。
帰ってきたら出迎えるようにと神無に言っておいたが、どうやら忘れているらしい。
まあ、それもいいだろう。
俺にとってはあいつに言うことを聞かせる口実ができただけのことだ。
口の端に笑みを刻んだまま、リビングの扉を開ける。
「おい、神無。お前――」
ソファの上で丸まっている神無の姿に、続く言葉を飲み込む。
「……なんだ、寝てるのか」
眠りの浅いこいつにしては珍しく、よっぽど深く寝入っているらしい。
物音1つで過敏に反応する神無がぴくりとも動かない様子に、俺は笑みを深める。
「何もしないのは、相手に失礼だよな」
神無の髪をかきわけ、現れた首筋にきつく痕をつけてやるが、まったく反応を返さない。
俺好みの反応を返さない神無をいじったところで、面白くも何ともないな。
俺は早々に神無をいじることをやめ、テレビのリモコンに手を伸ばす。
そのまま電源ボタンを押そうとして、視界の端に映った神無の姿に舌打ちする。
「俺の手を煩わせるのは、お前くらいだ」
握っていたリモコンを放り投げ、神無を抱きかかえる。
能天気に眠る神無の耳元に口を寄せ、低く囁いてやった。
「……起きたら、たっぷりお返しをしてもらうからな」
神無から返事は返ってこないが、そんなことはどうだっていい。
俺がしてもらうと決めた時点で、それは決まっていることだ。
「起きた時が楽しみだな――」
END
「…………」
暗闇の中、スクリーンの大画面に映像が映し出される。
実に興味深い内容で、時を忘れて夢中になっていると、右肩にちょっとした重みを感じた。
「……?」
不思議に思い、首を横に向けて思わず大声を出しそうになった。
(な、な、な……)
バグバグと高鳴る心臓を必死に抑え、何度か深呼吸を繰り返す。
(よ、よし!)
気合を入れなおしてから、再度隣を窺う。
そこには気のせいでも何でもなく、気持ち良さそうに眠る神無の姿があった。
「……っ」
思わず神無が寄りかかっている肩を震わせてしまい、
起こしてしまっただろうかと焦るが、
彼女は少し身じろいだだけで起きることはなかった。
「……はあ」
良かったと安堵する気持ちと、神無の息遣いすら感じられる距離に緊張感を覚える。
(こ、これ以上意識するのはまずい。ここは映画に集中しよう)
そう心の中で言い聞かせてスクリーンに視線を移すが、内容が一切頭の中に入ってこない。
とにかく神無のことが気になって、ちらちらと隣を窺ってしまう。
(……かわいい寝顔だな)
頭の中にぱっと浮かんだ感想に、慌てて首を振る。
俺と神無は恋人同士だが、だからと言って
相手の許可も取らず、寝顔に見蕩れていいわけがない。
(これが終わるまで我慢。我慢だ……)
その後。
ひたすらスクリーンに集中したが、内容はまったく頭に入らなかった。
END
「…………」
次から次へとひっきりなしに現れる選定委員をあらかた片付けたわたしは、
残処理と家の見回りを他の庇護翼に任せ、生家へと駆け戻る。
(神無様の身に何事もないとは思いますが……。万が一という可能性もある)
神無様の眠る部屋まで行き無事を確認さえすれば、
心の中に渦巻いた不安を消すことができるはず。
わたしは走る速度を緩めず、ひたすら神無様の部屋目指して駆けていく。
そしてようやく部屋の前まで辿りつき、数回深呼吸してから音を立てないようそっと襖を開けた。
(……よく眠っていらっしゃる)
神無様は布団を被り、穏やかな寝息を立てている。
その姿に信じられないほど安堵している自分に対し、それもそうかと心の中でうなずく。
神無様は忠尚様の客人であり、身辺を守るようにと忠尚様から仰せつかっている。
だから、これほどまでにほっとしているのだろう。
(神無様の無事を確認したのだから、戻るべきだ。しかし……)
『何か』が私をその場にとどまらせた。
わたしは糸に引かれるように神無様の傍まで歩いて行き、顔を覗きこむ。
安らかな寝顔を見ているうちに、胸のうちにあたたかな灯火が灯った。
(……もし命が解かれたとしても、あなたを守りたい。
彼女を守る庇護翼として、叶うならば――)
そこまで考え、明らかに行き過ぎた自分の感情に戸惑いを覚える。
わたしは、神無様に一体何を……。
「……今日は早めに寝た方が良さそうだ」
こんな分不相応なことを考えてしまうくらいには、疲れているらしい。
「おやすみなさい」
小さな呟きを落とし、どこか後ろ髪を引かれる思いで部屋を後にした。
END