
『嵐の前、華のゆらぎ』
「……なんでお前まで一緒やねん」
癖のある独特の関西弁で不機嫌に抗議するのは助手席に座る光晴である。
彼の視線は運転席でハンドルを握る華鬼に向けられていた。
「華鬼は重箱の中身につられたんだよね」
後部座席の右側から楽しげに水羽が意見する。
街灯さえない山道を月明かりに導かれるように走り続ける車中に人影は五つ。
ハンドルを握る華鬼、その隣に座る光晴、そして後部座席に右から水羽、神無、麗二の順に座っている。
水羽の視線は、紫紺の風呂敷に包まれた重箱をしっかりと両手で支えている神無に向けられていた。
それに気づいた麗二が手にした紙袋を軽く指先で弾くと、ガラス瓶を叩く音が小さく響いた。
「つられたのはアルコールじゃないですか? もえぎさんがとっておきの日本酒を出してくださったんです。
ちなみに二本ご用意しました」
「鬼殺しとかいう名前とちゃうやろな?」
「――なにおっしゃってるんですか光晴さん。袋から出さなきゃ名前なんて見えませんよ」
どうやらそんな名前のお酒らしい。
きついのだろうかと興味津々で見つめていた神無は、麗二と視線が合ってちょっとだけ気まずさを感じた。
「神無さんもご一緒にいかがですか?」
「麗ちゃん、麗ちゃん、未成年に酒すすめたらあかん」
「……未成年……そうですね。鬼と人とは年の取り方が違うから、どうしても間違えてしまいますねぇ」
「神無は僕とウーロン茶で乾杯するからいいの!」
「え? 水羽さんもお酒飲まないんですか?」
水羽の外見は高校生どころか中学生に間違えられかねないが、実際にはすでに成人ずみである。
年齢的に言えばお酒は飲めるのだ。しかし彼は首を横にふった。
「僕はお酒、あんまり得意じゃないからね。お酌くらいならしてあげるけど」
「お酌なら神無ちゃんにしてもらうからええわい。なー、神無ちゃん?」
「大盤振る舞いで俺が酌してやろうか?」
光晴が上機嫌で後部座席をのぞき込んだ直後、思わぬタイミングで思わぬ人物から声がかかり、
光晴は奇声を発しながらドアにぶつかった。
「なんや華鬼、新手の嫌がらせか!? それとも毒でも盛るつもりなんか!?」
「希望ならそうしてやるが」
いつもの華鬼なら完全に無視をしていただろう。あるいは殺気を込めて相手をねめつけているに違いない。
しかし今はなにか興味ひかれるものがあるらしく、その視線はまっすぐ山道に向けられていた。
「光晴、ハンドル握ってるの華鬼なんだから絡まないでよ。事故起こしたらどうするの」
「そんなんいうなら場所交替!」
「あ、残念。僕も代わってあげたいんだけど走行中だから無理」
「水羽……!!」
「そんなことで揉めなくても、もうすぐ目的地ですよ」
シートベルトをガタガタ鳴らす光晴を見て麗二が苦笑する。
なんとなくみんながそわそわしているような気がして神無が小首をかしげると、
大量の闇を含む森が途切れ、視界が白く染まった。
月明かりのもと、踊る風に合わせるように揺れる樹木――視界を埋めんばかりの山桜だ。
「きれい」
そこに淡い月の光を集めたような、現実離れした景観。車はゆるやかにスピードを落とし、やがて路肩に停車した。
「すごいやろ。超穴場なんや。鬼ヶ里の中で、ここが一等きれいな場所や」
光晴の声を聞きながら、神無は身を乗り出すようにしてフロントガラスから山桜を見上げた。
小ぶりな花が集まると一つの大きな花のように艶やかになる。
よく見れば花はほんのりと桃色に染まり、わずかな濃淡が目を楽しませてくれた。
「降りてゆっくりご覧になったどうですか?」
麗二に言われ、神無ははっとした。神無以外はすでに車から降り、思い思いに桜を眺めていたのだ。
慌てて外に降りると風が意外に冷たい。
神無は無意識に身をすくめ、そして、柔らかなものが肩を包んだことに気づき視線を下げた。
見えたのは、肩にかけられたコートと、神無の手から重箱の包みを奪う華鬼の姿だ。
呆気にとられる彼女をおいて、華鬼は水羽がしいたレジャーシートの上にどっかりと腰を下ろした。
今日の華鬼は本当に驚くほど積極的だ。
状況を図りかねて立ち尽くした神無は、彼の視線が桜に向けられていることに気づいた。
他の三人と同じように、どうやら彼も桜に惹かれているらしい。
「コップとお箸はこっち。――神無、どうしたの?」
コートに視線を落とした神無は、水羽に声をかけられてはっとした。
「なんでもありません」
答えながらみんなの元へ向かうと、
「では、無礼講ということで」
麗二がさっそく日本酒の蓋を開けた。
「なんや、ホンマに銘柄隠す気か」
「酒は風情を楽しみながら飲む物ですよ。水羽さんは本当にいいんですか?」
「いらない。ウーロン茶……あ、あったかいのも入れられるんだった。神無、あったかいほうがいい?」
「はい」
「よーし、じゃあ神無は僕と二人で乾杯しようね」
「ホンマに水羽だけ神無ちゃんと乾杯する気か!?」
「だって光晴は日本酒でしょ」
「乾杯の音頭には関係ないやん!」
「こんなことで揉めないでください」
「そうだよ、鬱陶しい。なんで乾杯ごときでそこまで騒げるんだ。風情って言葉の意味を知らないのか?
酒がまずくなるだろうが」
ふいに、本当になんの前触れもなく第三者の声が加わって、神無たちがぎょっとして振り返った。
五人の視線を受けて不敵に微笑むのは堀川響――“敵”であるはずの男だ。
「響! お前、どうしてわざわざ声をかけるんだ!?」
桜花が舞う中、響の奇行に血相を変えて駆けてきたのは貢国一である。
「酒宴だろう。だったら加わらない手はない」
国一を一瞥した響はそのまま神無たちを見つめて当然のように言い放った。そして、光晴を見て鼻で笑う。
「なんだ、“鬼頭の”? 桜花の宴に水を差すなんて無粋な真似をする気か?
だいたい、先客は俺たちのほうだ。嫌ならお前たちが場所を移動しろ」
「なんやと……!?」
「光晴さん、こんな場所で争いは……」
拳を握って腰を浮かせた光晴を麗二が慌てて抑える。その隣で、神無はじっと響の顔を見上げた。
確かに殺気のようなものは感じない。
どちらかというなら光晴の反応を純粋に楽しんでいるような雰囲気で、響から戦いを仕掛けてくる様子もなかった。
神無は視線を落とし、もえぎが予備に持たせてくれた桜の柄が入った可愛らしいレジャーシートを引き寄せる。
「どうぞ」
神無がレジャーシートを差し出すと、響は虚をつかれたように神無の手元を見た。瞬きし、やや間をあけて肩をすくめる。
「正気か?」
「え?」
「……まあ、いい。――宴に揉め事は無粋だ」
口元に笑みを刻み、響は先刻と同じ言葉を繰り返してレジャーシートを受け取りさっそく広げはじめた。
それを見て光晴が顔を引きつらせる。
「ホンマに酒盛りに参加する気か!?」
「これは……いいんですか?」
「神無がいいならいいんじゃないの? 料理はいっぱいあるし、人数多い方が楽しいでしょ」
「敵やぞ!? だいたい、華鬼は――」
光晴が言うのを聞いて神無は慌てて振り返る。確かにこの場で一番問題になるのは華鬼だ。
華鬼は視線に気づいたのか、神無、水羽、光晴、麗二と順に見て、それから響を見上げて溜息をついた。
「好きにしろ」
言いながら豪快にコップを傾ける。そして、手酌で新たに酒をついだ。
どうやら響と光晴が睨み合っている隙に一人で酒宴をはじめていたらしい。
「……なんで一人で勝手に飲んどるんじゃ」
「鬼頭といい三翼といい、相変わらず統一感のない集団だね」
「部外者は黙っとれ」
響を睨みつける光晴の目は金色に染まっている。
怒りを示すその色に神無は身を乗り出し、しかし、まるでそんな神無の行動を抑止するように魔法瓶が差し出された。
魔法瓶がついっと移動する。今度は光晴の目の前だ。
「なんの真似や?」
「いや、……とりあえず今は争うつもりはない、らしいから」
魔法瓶を手にした国一はちらりと響を見る。
レジャーシートをしいて胡座をかき、さらに手近なコップを引き寄せた響を確認してから国一は魔法瓶を軽く叩く。
「これでも飲んで落ち着け」
「……中身は?」
「卵酒」
――卵酒。
神無は魔法瓶をじっと見つめた。あの甘くてふわふわした飲み物が魔法瓶の中に入っているらしい。
卵酒は子どもの頃に一度だけ、珍しく風邪をひいた神無のために母が作ってくれたときに飲んだ。
辛かったのに幸せだったできごとを思い出していると、腰を浮かせた光晴がびしっと魔法瓶を指さした。
「なんで卵酒やねん!」
「体があたたまると思って用意した。もらうばかりというのも気が引けるからな……あ、アルコールは飛ばしてあるから」
それはまさしく子ども用の卵酒である。
どうして響と国一の組み合わせでそんなものを用意することになったのか――
ぽかんとする光晴の肩を、水羽がなだめるように叩いた。
「光晴、もうやめたほうがいいんじゃない?」
「せ、せやかて、水羽!」
「光晴さん、今日は桜に免じて無礼講ってことにしましょう。……神無さんも、どうやらそれでいいみたいですしね」
言われて神無は視線を落とす。
「あの……、私は……」
熱心に魔法瓶を見つめすぎてしまったらしい。国一もそれに気づいて首をかしげた。
「飲むか?」
まっすぐな問いに神無は一瞬だけ躊躇い、しかし誘惑に負けてうなずいた。
「いただきます」
「はい、それじゃあ交渉成立。光晴、コップ取って」
「今ので成立!? ……な、なんでこんなことになったんや。今日は神無ちゃんと仲よう花見酒としゃれ込む予定やったのに!」
「……馬鹿か」
のろのろとコップを手にする光晴を見てそう漏らしたのは華鬼だ。ペースを落とすことなく酒をあおっている。
顔色も普通。声にも変化はない。しかし、目がすわっている。
「華鬼、酔ってる?」
神無は内心驚きながらそう問いかけた。返ってきたのは、殺気こそないがいつも通り不機嫌な声だった。
「酔ってない」
「……酔ってない?」
手に持たれた一升瓶の中身はすでにほとんどなかった。いくら酒に強くとも、まったく平気というわけはないだろう。
そこまで考えて、彼の隣に未開封の一升瓶が一本、さらに麗二がもう一本持っていることに気づく。
華鬼のものを合わせると合計三本――持ってきた本数と違っていた。
「華鬼、その一升瓶どうしたんですか?」
「ん? あれ、本当だ。麗二が持ってきたのと違うね」
「俺の秘蔵酒」
「秘蔵酒って――なんやそれ! そうゆーのはみんなに振る舞わんか!!」
「お前に飲ませる酒はない」
「なんやと!?」
「光晴さん! 酔っ払いに本気になったら負けです!!」
麗二が割って入るも、肩をいからせ睨み合う二人が落ち着く様子はない。
それをうんざりしたような顔で見つめ、響は眉をひそめた。
「なんでここはいつもこんなにうるさいのかな」
「響も卵酒飲むか?」
「……国一、お前は俺に喧嘩を売る気か?」
「え? いや、……うまいぞ? 昔は好きだっただろう? 味は保障する。鬼頭の花嫁も気に入ったみたいだ」
「ご、ごちそうになります」
騒がしい一群を眺めていた神無は、国一にいきなり水を向けられ律儀に頭を下げた。
甘くて優しい味は、どうやら堀川家のものらしい。
響は額を押さえ、盛大に溜息をついた。
そしておもむろにぎゃあぎゃあと騒ぐ華鬼たちに向かって身を乗り出し、件の一升瓶を奪って手にしたコップについだ。
コップをかかげ持ち少し考えるように動きを止めて、
「乾杯の音頭」
そう言いながら神無を睨む。
「え?」
「聞こえなかったのか、鬼頭の花嫁。乾杯の音頭だ」
「は、はい」
鋭い響の声にまごついたのは神無だけではない。彼女が手にしたコップにはすでに卵酒がつがれている。
一方、麗二たちはコップさえ持っていないのだ。
この場を響がしきっているのに抗議の声をあげることも忘れ、
生真面目な神無が音頭を考えているのを前に麗二たちは慌てふためいた。
「水羽さん、コップを取ってください!」
「麗ちゃん、お酒開封してええか?」
「ほら、貢も! コップ持ってよ!」
「俺もいいのか?」
「一人だけ突っ立ってる気? って、僕はウーロン茶だったら!」
「……本当にうるさい連中だな。鬼頭の花嫁、いいからさっさとはじめろ」
「堀川響! お前は場の空気を読まんか!」
「うるさいよ、“鬼頭の”。準備くらい静かにできないのか?」
「お前がおらんかったらなんぼかマシになるわ」
「もー、僕ウーロン茶って言ったのに……」
「はじめの一杯はお付き合いということで、水羽さんも一緒にいただきましょう。おいしいお酒らしいですよ」
「……じゃあ一杯だけね」
「…………」
酒を愉しみながら月と花を見上げているのが華鬼、コップ片手に睨み合うのが光晴と響、
とりあえず準備を整えてほっとしているのが麗二と水羽、そんな光景を大人しく眺めているのが国一と神無である。
「あ、あの……」
音頭を取らなければ、そう思って神無が声をかけると、不思議なほどすんなりと誰もがコップを差し出した。
夜桜の元でかかげられたコップは七つ。
神無は緊張したままみんなの顔を一巡眺め、そして視線を夜空に投げる。
空にはまんまるなお月様がぽかりと浮き、地上の喧騒など知らぬげに世界を柔らかく照らしている。
この月も、ここにいたからこそ見ることができたのだろう。
神無は口元をゆるめた。
「――出会いに」
風にさらわれそうな小さな声――人の聴覚ではとらえられないだろう言葉を聞いた皆の顔に、いつもとは違う表情が浮かぶ。
静かにコップが触れあう。
嵐の前、宴の夜。
鬼たちの愛する花が、美しく色づいた。