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『客待チ、雨ガ止ムマデ』

 朝には青空が見えていたのに昼頃になると雨雲が空を覆い、今にも降り出しそうな中を今日もあちこち回っていた。
 私は注文を取る仕事を任されているが、普通の店なら私のような若い娘にはさせない。どんな仕事でも店の信用にかかわるが、特に客先に直接足を運び注文を聞く仕事は店の売り上げを左右する為、店の顔役が行う。それなのに私のような者が御用聞きをしているのは、(ひとえ)に旦那様のお陰だ。外に出て町中を移動するので土地勘を養うことが出来たし、色々なお客と接して世間を知ることも出来た。長屋と店の行き来だけでは学べない多くのこと学ぶことが出来たのだ。

(それに最近では自分の自由な時間も作れるようになったもんね)

 気前の良いお客だとお茶とお茶菓子を出してくれる。そういうお客の処には昼過ぎに行くように調整したり、途中で市場に寄って夕飯の食材を注文しておいたり……と、容量良く(自分の都合良くとも謂うが)仕事をこなせるようになってきた。もちろん、こんな処を久史坊ちゃんや店の丁稚達に見つかれば容赦ない文句を浴びるだろう。
 今日も段取りを考えて注文を取りに出かけていたのだが、天気まで考える余裕がなかった。急に降り出した雨に右往左往して、やっと見つけた軒先に勢いよく身体を投げ込む。注文を取りに行く順番を考えるよりも先ず、天気のことを考えなければならないのに……と自分に呆れる。

「……おけいさんか。奇遇だな」
「徳さん……? 徳さんも雨宿りですか?」
「いや、俺はここの屋敷に用があってな」
「屋敷? あっ……!」

 飛び込んだ軒先、と思っていた場所は長屋門だった。左右に続く大きな塀に頑丈な門は、お屋敷と呼ぶにふさわしい。身分の高い立派な方が住んでいるのだろう。失礼があってはいけないと慌てて出ようとすると引き留められた。

「急な雨だ、雨宿りぐらい問題ないさ。ここの屋敷の主は気さくな人だから心配するな。傘は持っていないのか?」
「はい……降りそうな天気だなぁとは思っていたのに」
「もう少ししたら小雨になるかもしれないな。ここでしばらく待ったらどうだ?」
「そうですね……」

 長屋門の下、徳さんと肩を並べ、私は雨宿りをすることになった。
 徳さんとは仕事の合間に会って話をする程度だ。朝早く仕事に出て、夜遅くに戻る徳さんとはなかなか会って話す時機会がない。仕事を休みにすることは殆どないらしく、黄身丸がいつも暇そうにしてなかなか帰らぬ主を退屈そうに待っている。
 徳さんについて私が知ることは少ない。どんな人かと尋ねられたら、真面目でいつも働いているとしか答えようがない。それほどに私はこの人のことをよく知らないのだ。もう何年も同じ長屋で暮らしているのに。

「夕立のような雨だな。今日壱日雨か……」
「雨の日も仕事……ですよね」
「ああ。客は少なくなるが(ほろ)があるお陰で何とかな」

 お抱え俥夫になればいいのに、と以前謂ったことがある。お抱えになれば収入が安定するし、住み込みで働くことも出来る。主の用だけを聞けばいいので客捜しの為に(みち)を流す必要もないし、こんな場所で雨宿りをして客を待つこともない。

(わざわざ徳さんを指名して呼び出したんだろうな……重宝されているのね。身体も濡れていないし俥も濡れていないから、雨が降る前からここで待っていたんだわ。けっこう待っているのかなぁ……俥屋って待つのも仕事だって聞いたけど)

 そんな風にして横目で観察していると、徳さんが手にしている袋に視線が止まる。

「……徳さん、その手に持っている袋って……」
「ん? これか?」
「昆布ですよね。袋から飛び出ていますよ。その昆布、まさか……」
「雨に濡れるとだめになってしまうと思って、こうして持っているんだ」
「それは分かりますけど」
「昆布は料理をする時に使う」
「普通はそうですね。普通は」

 黄身丸の世話をトミさんや私がしていることが多く、ご飯の残りをよく食べさせているのだが、時々徳さん自身も“餌”を買ってきて与えている。私が知っている“餌”は昆布に鰹節、干瓢(かんぴょう)に干し椎茸(しいたけ)だ。どれも保存がきくという理由で大量に買い込んでいたらしいが、当然食べるはずもなかった。

「黄身丸は食べませんよ?」
「こいつを柔らかく煮て味をつけたら食べるかもしれないだろう?」
「そりゃあ食べるかもしれませんが、黄身丸の為に料理するんですか?」
「まさか」
「やっぱりそのままあげるつもりだったんですね……」
「ははは、ばれたか。はぁ……やはりだめか。お前やトミさんに世話を任せっぱなしでは悪いと思い買ってきたんだが……」

 こんな調子だから、どうしてこの人が犬を飼っているのか今でも不思議だ。
 それにしても一向に止みそうにないので、ずぶ濡れ覚悟で外に出ることにした。このまま雨宿りしていても身体が冷えてしまうし、そろそろ店に戻らなければ心配をかける。

「気持ちは分かるが……急ぐのか?」
「急ぎ、ということではないんですが、旦那様達に心配をかけますし……走っていけば何とかなります!」
「そう甘くはないぞ? ……そら、これを使ってくれ」
「えっ、で、でも……」
「いいから遠慮するな。予備の笠ならもっている」

 手渡されたのは徳さんが使っているかぶり笠だ。この格好で身に着けるのは恥ずかしい気もするが贅沢は謂っていられない。私はかぶり笠を受け取ると礼を謂い、頭に乗せてぎゅっと顎紐を結んだ。

「……これで何とかいけそうです! あ、泥が跳ねるから着物をまくって……」
「おいおい、こんな処で足を出すな!」
「気にしないで下さい。袖を短くして……これでよしっ!」
「お前が気にしなくても俺が……ぷっ、すごい恰好だな」
「えっ? そうですか? そう……ですよねぇ」

 徳さんの笠をかぶって着物の裾をあげ、袖を帯にねじ込んだ姿を見たら、嫁入り前の娘がする格好じゃないと母が見たら叱るだろう。

「あ、それから……これも持っていけ。手ぬぐいと、あとは……」
「も、もういいですから! 大丈夫です! それじゃ!」
「気を付けろよ!」
「ありがとうございました!」

 今度会ったら笠のお礼をしよう。何か好きな食べ物は何だろう? 食べられない物はあるのだろうか? 徳さんについて知りたいことが増えた壱日だった。