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『昼下ガリノ西洋茶』

 今日は仕事が休みなので、先日差し入れをしてくれた和菓子のお礼の品を持って賢さんの店までやってきた。毎回お礼が出来るほどの余裕はないし等価交換というわけにはいかないので、朝から母と作った野菜の煮物を持ってきたのだ。

「この前、母の給金が入ったんです。余裕があるうちにと思って作ったんですよ。……どうぞ!」
「ありがと。君のお袋さんの作る煮物、旨いんだよねぇ。けど……無理してないかい? お袋さんの給金って針仕事で稼いだ金だろう?」

 母は具合が悪くなる前から家で針仕事をしていた。寝たきりになってからは仕事を休んでいたが、最近調子がいいので仕事を再開したのだ。

「ええ。もちろん以前と同じ量はこなせませんけれど……体調が良くなってきているので少しずつ増やしているんですよ」
「そっか。オレが初めて会った頃は寝たきりだったもんなぁ。立ち話も何だし中に入ってよ。そこに座ってて。いまお茶を入れてくるから」
「お店の邪魔になりませんか?」
「大丈夫。今日は休みなんだ。仕入れがある日は休みにしているのさ。海の向こうから生地(きじ)がまとめてどっさり届くと仕事にならなくて……ご覧の有様でね」

 賢さんの視線の先を見ると、店の奥に大きな木箱や布袋が処狭しと置かれてあった。あれを片付けないことには弐階へは上がれそうにない。

「あれ全部生地なんですか? 賢さん壱人(ひとり)じゃ大変そう……」
「無理なら徳さん達を呼ぶから問題ないさ。さて、お茶を入れてくるよ」

 私は入口近くの椅子に腰を下ろして賢さんを待つことにした。
 舶来屋に私が長居するのはおかしいのでお茶を頂いたら出て行かなくてはならない。これまでここに来ることはあっても、用だけ済ませてさっさと店を後にしていた。ゆっくり出来るのは「ハイカラ流星組」の打ち合わせの時ぐらいだ。

(それにしてもすごい量……全部舶来から取り寄せた物だろうし、高いんだろうなぁ)

 洋服も「ハイカラ流星組」も殿方の世界のものだ。女の私が入る余地など無い。だから無理をしなければならないし、久史坊ちゃんや徳さん達よりも頑張らなくてはならない、そう思って努力しているつもりだが、そもそも何を頑張ればいいのか、成敗と謂ってはいるが……

「……お待たせ。何を考えているんだい?」
「ありがとうございます。頑張っているんですけど頑張っているのかなぁ、と思って」
「難しいことを考えているねぇ……ほら、冷めないうちに」
「……いただきます」

 差し出された器の中には茶色く透き通ったお茶が注がれていた。
 このお茶は確か“紅茶”という名だ。西洋のお茶で帝國にはまだ売られていない、とても高価なお茶だと聞いた。しかし、特価で売られている物か貰い物で番茶しかすすったことがない私にとって、この“紅茶”なるものの良さは微塵も分からない。

「そのお茶、一杯分で君の給金参月(みつき)分だよ」
「……ぶっ!! なっ……す、すみません! 吹き出しちゃった!」
「あはは、予想通りの反応だ。君ってオレの期待を裏切らないよね」
「本当にすみませんっ! 商品に掛かってないといいんですが……」

 赤面しながら慌ててお茶を拭いた。この一杯で参月分とは。

「ジョーダンだって。さすがに参月分ってことはないけどね。生地と一緒に舶来品も取り寄せたんだ。そのお茶に……あとは雑誌かな。今回は靴や婦人用の帽子も仕入れてね。ここでは靴は作れないから別の工場(こうば)の職人に頼むつもりなんだ。オレの仕上げた服と一緒に買って貰えたら収入にもなるし、婦人靴の普及にも繋がる! なんてね。……ん? どうしたんだい?」

 持っていた器を置いて西洋のお茶を眺める。話を聞いていると賢さんが遠い存在に感じた。

「ただ洋服を売るだけじゃなくて色々と考えているんですね。それを実行して……」
「君とは違うって謂いたいのかい? 当たり前じゃないか。オレがこの店をやっていく為の努力と君の頑張りは違うんだから」

 ポンと優しく私の頭に手を添える。
 賢さんの何気ない動作ひとつで、ほんの一瞬だが不安が減ったような心地になった。

「……君はよく頑張っているさ。でも結果が出ないからといって焦っちゃいけないよ。ただ、これだけは覚えておいて」

 私の前にしゃがみ、私と目線を合わせると続けて謂った。

「今こうしてオレがやっていけるのは君のお陰なんだ。君の何気ない行動に助けられている人がいるってことを忘れないで。君は君のやり方で努力したらいいんだ。そしていつか、君が本当に困った時に、オレが君を助ける番が来ると思っているよ」

 そう謂うと立ち上がり、向い側の椅子に腰かけて少し冷めたお茶を飲んだ。

「私が本当に困った時……? どんな時でしょうか?」
「そーだなぁ……久史君にしつこく迫られて、このままじゃ操を無くしてしまうわ! って時とか?」
「えー……」
「銀さんに迫られて、操を奪われてしまうっ! って時とか」
「まさか……」
「徳さんに襲われて、無理やり操を奪われちゃう! って時とか……」
「全部操を奪われるんですね……」
「わはは! 例えばの話さ。あ、煮物のお礼にお菓子持っていってよ。今日届いた荷物の中にあるからさ。ちょっと待っててよ」

 こうしてまた賢さんの差し入れを貰うことになってしまったのだった。