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『掃除ノ報酬』

「その本を取ってくれ」
「これですか?」
「それではなく横の茶色い方だ」
「……はい、どうぞ」

 今日は朝から銀先生の本の整頓を手伝っている。母さんの面倒を見てくれたこともあったし、それ以外でも日頃から世話になっているお礼の意味も兼ねて手伝うことにした。長屋に住んでいれば住人の誰かを手伝うことに特別な理由は必要ないのだが……

「すまないな、日曜なのに手伝わせて。用事があったのだろう? 私が声を掛けた時、出掛ける処だったようだが……」
「いえ、いいんです。約束していたわけじゃありませんから」

 仕事が休みの日に楓花ちゃんと優花ちゃんと銀座に行く約束をしていたが、日付を決めていたわけではないし、今のところ迎えに来そうもない。楓花ちゃん達とは待ち合わせるというより長屋に迎えに来るのが殆どだ。

 それにしても本当に本が多い。私は本一冊を読む余裕が金銭的にも時間的にも無かったので、ぎゅうぎゅうに詰められた本棚を見て凄いと思うし、羨ましいとも思えた。
 今の帝國では婦人に(がく)があっても無駄だと謂われるのが関の山だ。もし私が男だったらこのような本を沢山呼んで色んな事が学べただろうか?

「読みたい本でもあるのか?」
「いえ……凄い量だなと思って。部屋の本を全部外に出して本棚の掃除をされるんですか?」
「あまり読まない本をまとめて仕舞おうと思ってな。そうしなければ新しい本が買えないし、人類史上最低で呑兵衛(のんべえ)のゴミのような動物のせいで、手狭にもなったからな」
「誰がゴミだって? お弐人ともお揃いで! おはよーサンサン。俺はこれから寝るぜ~」

 銀先生の部屋で暮らしている常良さんが姿を現した。酒の臭いをさせて朝帰りすることはこれまで何度もあったので特に突っ込まない。私も軽く挨拶をすると本の整頓を続けた。

「おい、常良。お前も手伝え」
「手伝え、って……俺は朝まで呑んで今帰ってきたところなんだぜ? んで、何でまた急に本を運び出しているんだ?」
「いいから早く手伝え。お前のせいなんだぞ?」
「ったく、分かったよ……仕方ねぇな。居候の身は辛いねぇ」

 参人で行っていたせいもあって昼前には何とか片付けが完了した。
 外に運び出した本を銀先生が選別し、本棚に仕舞う本と長屋の倉庫に仕舞う本を仕分けたのだが、それでも本棚は再び一杯になってしまった。

「ふーっ、片付けた意味あんのか?」
「畳の上の本は無くなったし、今の私に必要な本のみに整頓出来た」
「銀先生って英語の先生、でしたよね。やっぱり英語の本が多いですね」

 私には英語と区別が付くだけで、本の背表紙に何が書かれてあるのかさっぱり分からない。

「英語以外にも暮らしに必要な本もあるぞ? 片付けを手伝ってくれた礼だ。時間はあるかね?」
「え、ええ……ありますが……」

 そう謂うと銀先生は『暮ラシ手帖』と書かれた本を手に持って私に微笑む。その笑みに違和感を覚えるが長年独りで暮らして来た人だ、掃除でも洗濯でも難なくこなしてきたに違い無い。

「いやまぁ、こなしてきたんだろうけど……アレばっかりはなぁ」

 常良さんの視線の先には炊事場に立つ銀先生がいた。まさか料理をするつもりだろうか? その様子を見ていた常良さんが重い腰を上げて土間に向かう。

「銀之字、止めとけよ。お前にゃ無理だって。何でも出来ると思ったら大間違いだぞ?」
「本の手順通りにやれば問題ないだろう?」
「そりゃまぁそうだが、こういうのには熟練した技ってのが必要なんだよ」

 かまどに火を入れ包丁を持つ。常良さんが何か動く度に銀先生が文句を謂っていた。この弐人は仲がいいのか悪いのか分からないが、いつも謂い合いをしている気がする。
 掃除の礼だと謂われた手前無視も出来ないし、しばらく弐人を観察して待つことにした。

「あ、あの……」

 それにしても一体何を作っているのだろうか? 悠長に観察などと謂える雰囲気ではなくなってきた。

「待て」
「何だよ……お前はいちいち文句を謂いすぎだって。俺に任せときゃいーの」
「水の量を今一度確認しておきたい。この本にある通りの量か確かめる必要がある」
「これ煮物だぜ? しかももう煮えてるし、どうやって計るんだよ?」
「秤を使って釜の重さを引けば内容量が計算出来る」
「理屈じゃそうだが……」
「あの~……」
「黙って座っていたまえ。常良、(はかり)を持ってこい」
「何処にあるんだよ?」
「倉庫だ。トミさんに頼んで鍵を借りたまえ」
「さっき本を片付けてきたところだろ!? それに秤なんて必要ねーよ!」
「あのっ!」

 思わず私は立ち上がり、銀先生と常良さんの間に無理矢理割って入った。皮を剥いていない大根と芋が乱雑に切られた状態で鍋の中で煮えている。味は付いていないようなので急いで鍋を下ろして具材を取り上げ、手を加えて作り直すことにした。

「お、おい! 何すんだよ!?」
「せっかく作っていたんだぞ!?」
「私が作り直しますからそこに座っていて下さいね。掃除のお礼のお礼かなぁ……あーあ、煮崩れしてるし……」

 結局本の片付けのお礼はこの日貰うことなく、私が銀先生と常良さんに食事を支度することになった。
 今度は私の部屋の片付けを手伝って貰うことにしよう。