第4回 エル編

Aクラスハンター、アズライト・エル・マリオネイションはあまり名の知られていないハンターだ。
ハンターとしての活動期間は僅か2年という短い時間にかかわらず、駆除した賞金首の数は非常に多い。
通常であれば相当目立つ存在であり、人の口の端にもその名前がのぼるだろう。

だがしかし、エルの名を知る者は非常に少ない。
その理由は二つ。

エルの駆除が相手の活動停止、すなわち殺害が目的であり、エルの目撃者が残らないため。
そして、もうひとつはAクラスハンターとして登録しておきながら、バウンティアがエルの名を完全とは言わないまでも隠匿しているためである。

「……でもさぁ、いくら隠してるつってもそんだけ派手な見た目してりゃあ意味なくねーか? 誰の趣味だよ、ソレ」

ぶつぶつ言いながら隣を歩く男、アルバトロス・クーロン・アイズに、エルは無言で返した。
クーロンはそんなエルの反応に慣れているのか、はたまた最初から独白だったのか、気にせず続ける。

「それで諜報活動って言われてもな。ぶっちゃけ困るっつうの。
俺にゃそういう繊細な活動向かねぇし、ツレがこんだけ派手じゃあ目立つなっつー方が無理だ」

そう言うクーロン自身も、決して人ごみに溶け込めるような外見ではない。派手な赤と黄のモヒカンにサングラスの長身は、暴力的な雰囲気で周囲を威圧する。
それを自覚しているから、更に言えば二人が現在歩いている場所が特権階級層、いわゆるヘヴンであるから、クーロンの愚痴も酷くなっていた。

「おまえの付き添いなら俺よりノワールの方がまだマシだろ。
アイツの方がよっぽど地味だし、フード被ってりゃ顔わかんねぇし」
「ノワールは今朝駆除から戻ってきたばかりです。
休養が必要なのではありませんか」
「わかってる。愚痴だから聞き流せよ」

エル自身は特に何の感慨も抱かないが、クーロンにとって特権階級は非常に居づらい場所のようだ。
確かに粗野なクーロンが特権階級に溶け込むことは難しいが、それは本質的にはどうでもよいことだろうとエルは推測している。
なぜなら、特権階級の人間は同階級未満の存在が視界に入らないからだ。
たとえその場に何十人、何百人の人間がいようと、それが他界層の人間であれば特権階級の人間は無人と同じようにふるまう。
特権階級の人間にとって、他の階層の人間は無機物と同じ扱いなのだ。

「……で、この先か? 犯行現場は」
「まだスナッパーの犯行と決まったわけではありません。
断定するのは早すぎます」
「エル、おまえどう思う?」
「わかりません。状況を見て判断するだけです」
「いやでもさ、予想で」
「外れたら困るので言いません」
「……困るんか」
「はい。困ります」

カットスロート・リッパー・スナッパーは、現在最もバウンティアが注視する賞金首だ。
クリミナル11のNo.2というポジョションに見合うだけの犯罪歴と実力を持ち、けして尻尾を掴ませない。
スナッパーの犯行は目撃者はほとんど消されてしまうため、凶悪な敵でありながらその容貌すら把握できないのが現状だった。

「……でもこれ多分ヤツの犯行じゃねえよな」

沈黙の後、ぼそぼそとクーロンが呟いた。

「スナッパーの仕業だったらもうとっくに凶行は終わってるはずだ。事故の直後に特権階級の人間に死人が出てなきゃおかしいだろ。
ナンバー・ナイン・ナイヴスと逆の意味で名の知れたスナッパーの、模倣犯とかってセンねえかな」
「可能性はあると思います。が――」

エルが言いかけて言葉を止める。一瞬遅れてクーロンが斜め前方の高層ビルに視線を向けた。

「不自然な破壊音がしました」
「だな。俺が現場行く。おまえは裏口へまわれ」
「了解です」

言い終わると同時に二人で駆け出した。クーロンはまっすぐに不審な音がした建物へ走りこんでいく。中から遠く悲鳴が聞こえた。

***

乱れ気味な足音を追って、エルはビルの裏口から伸びる路地を走る。
敵の足は速いが、幾分歩調が乱れている。警備員にやられたか、クーロンと戦って負傷したか。いずれにせよ何らかの傷を負っているのは間違いないようだ。

と、唐突に前方が開けた。路地が終わり大通りに抜けようとしている。通りに出られると厄介だ。エルは一気にカタをつけることにした。
招くように両手を広げる。ごく短い、刹那の集中。

「――踊れ、アンドロマリウス」

一瞬の間をおいて、天から煌めく糸が下りてくる。
召喚に応じて現れたのは、エルのCA、アンドロマリウスだ。
光をはじきながら展開する美しいワイヤーが、舞うように、その実激しく狭い路地を駆け巡った。

『ッ……!』

すぐ前方で息をのむかすかが音がした。それも当然で、アンドロマリウスは既に蜘蛛の巣のようにビルの間に張り巡らされている。
触れれば切れるワイヤーを前にして、敵はたった数メートル先の大通りに出られないでいた。

「貴方はスナッパーではありませんね」

ようやく男の後ろ姿を視界におさめ、エルはそう問いかけた。
男の手に握られているのは板のような形状のCAだ。スナッパーのCAとは形状が違う。

「……ハンターに出会うとは思っていなかったんですけどねぇ。
ホラ、特権階級には、賞金首もハンターもそうそう立ち入りできないでしょう?
ちょっと間が悪かったかな?」

肩を竦めながら男が呟き、くるりとエルの方を向き直った。
燕尾服めいた黒衣に帽子。古風な紳士然としたその手のCAは、恐らく盾なのだろう。
棺桶の蓋のような形の板の端に、攻撃用と思われる刃が見えた。

「そのCAは『エピタフ』ですね。
ということは、貴方はNo.13の賞金首、ストーン・コールド・クレイジーですか」
「おや。バレてしまいましたね」

面白くもなさそうに言ってストーンは笑顔を作る。
笑顔を作る余裕を見せつつも、体のどこかにダメージがあるのだろう。額に薄く汗が浮いていた。

「せっかく特権階級へ穴が開いたので、ちょっと悪戯してみようと思ったのが間違いでした」
「貴方の目的は悪戯ではなく犯罪でしょう。
ストーン・コールド・クレイジー。無差別連続強盗殺人が貴方の罪状でしたね」

エルはわずかに腕を上げる。アンドロマリウスが引き絞られる音が空気を震わせた。

「……ここで戦いますか、ハンター君」
「貴方を狩れという命令は受けていませんが、見かけた賞金首を逃がす理由もない。
ストーン、貴方はここで駆除します」
「やれやれ……まだ陽も高いというのに無粋なことですね……!」

片手を上げてポーズを付けたストーンは、突然エルに向かって疾走した。
盾の刃を前に、エルに向かってすさまじい速度で肉薄する。

「――アンドロマリウス」

その動きは読んでいたのか、エルの指先が招くように動いた。
アンドロマリウスの牙めいた先端が、背後からストーンに襲いかかる。

「っ……!」

風を切る音で攻撃を察したのか、ストーンがかろうじて身をかわした。だが完全にはかわしきれず、アンドロマリウスはストーンの脇をえぐる。
血しぶきがあがり、ストーンは呻いた。しかしそれでも疾走を止めない。

「エピタフ!」

短く叫んで盾を前に押し出す。面での打撃を狙った攻撃に、エルはアンドロマリウスを引き戻し、眼前で蜘蛛の巣のように展開する。
そこにエピタフが直撃した。

「――はァッ……!」

振り下ろされた黒い盾にアンドロマリウスが一瞬たわむ。それをバネに、ストーンはエルの頭上を飛び越えた。激しい動きにストーンの脇腹から大量の血液が溢れ、エルに上に落ちかかる。

「上……!?」

ストーンの体重とついていた加速分、アンドロマリウスに引きずられてエルは地に片膝をつく。
ザリっという強い衝撃を膝に感じた時にはすでにストーンその場を駆け抜けていた。

さすがに意表を突かれ、エルは背後を振り返る。最後の力を振り絞ったのか、血の跡を残しつつもストーンは路地の奥へと消えていく。
エルが立ち上がりストーンを追おうとした時、聞きなれた声が響いた。

「エル!」

入れ替わりに走ってきたのはクーロンだった。エルの前にたどり着き、ぎょっとして足を止める。

「なんだその血……ペンキ? なわけねーか。あの盾野郎の返り血か」
「返り血です。敵はNo.13のストーンでした。かなりの深手は負わせましたが、逃げられました。追いますか」
「……いや、いいだろ」

珍しく消極的に言って、クーロンは自分の肩にCA、オロチを乗せた。オロチはシンプルな棍の形状のCAで、クーロンは随分と気に入っているらしい。

「俺も骨の1・2本折ってやったし、そんだけ大量出血してんならすぐに死ぬ。
それに、これが他の階層なら追って始末するべきなんだろーが、ここ、特権階級だろ。やめとけやめとけ。
ここで賞金首と追いかけっこなんざやって損害を出せば、そっちの方がシャレになんねーよ」
「では、ストーンはこのままで」
「だな。……どうせ明日には死体が発見されるってのがオチだ。ほっときゃいい。
行こーぜ、エル。とりあえず社長に事の成り行きを説明して、そっから指示待ちだ。おまえの返り血も落とさねえとな」

召喚終了したオロチがクーロンの手から消えていく。歩き出したクーロンについてエルも無言で後を追った。
赤黒く陽光をはじいて、エルの髪の先から血が滴り落ちた。

***

「エル、クーロン」

バウンティアに戻ると、出迎えてくれたのはノワールだった。
二人の帰りを聞いて待っていたのか、それとも偶然か、上層階へのエレベーター前に黒衣の少女が佇んでいる。

「おー、おまえが寝てる間に特権階級行ってきたぜ。
土産はねーけどよ」

ノワールは相槌を打つ代わりに、クーロンの顔を見返した。クーロンは面倒くさそうに息を吐く。

「ったく社長も鬼だよなァ……特権階級とか俺は性に合わねえっての。
エル、俺は先に行っとくから、おまえはもういっぺんシャワ―浴びて着替えてから来い。近寄るとすげー臭いだぞ、それ」

クーロンはさっさとエレベーターに乗り込んで去っていく。首を傾げたノワールは、不思議そうにエルを見返した。

「……におい?」

近づこうとするノワールをエルは首を振って制した。

「賞金首の返り血を頭から浴びました。
簡単には洗い流してきたんですが、取りきれていないようです」
「エルの怪我は?」
「オレは大丈夫です。損傷はほぼゼロです」
「……ほぼゼロは、ゼロじゃないと思う」

ノワールはエルをじっと見つめた。話の先を促されているのだと気づいて、エルは言葉を続ける。

「……地面についたので、膝を少し。ですが、本当に大したことはないのです」
「どこ?」
「……左の膝ですが」

ノワールはその場に腰を落とし、エルの膝を見つめる。
その視線に居心地の悪さを感じて、エルは一歩後ろに引きそうになった。
同時に、そういうことを感じるのは機械の自分にはイレギュラーなのではないかとも疑問を抱く。

「……膝が少し切れてる。痛くはないの?」
「大丈夫です。オレには痛覚がないので。
あったとしても、それほどの痛みを生じる傷ではありません」
「そう、よかった。でも、怪我は治さなきゃ」

ノワールはその場でエルを見上げてくる。視線が合って、エルは思わず目をそらしそうになった。
どういう理由かわからないが、ノワールの視線をまっすぐに受け止めることを難しいと感じることがある。それもきっと機械には不向きな思考なのだろうが。

「エル、行こう。先に調整でいいんだね」

ノワールは立ち上がり、エレベーターを開けて乗り込んだ。エルが入るのを待ってドアを閉める。エレベーターはゆっくりと上がっていく。

「……貴女も昨夜は駆除だったと聞きましたが、休養は取れましたか、ノワール」

長い長いエレベーターが上がっていく間、エルはノワールに問いかける。ノワールはわずかにうなずいた。

「こっちは、そう難しい敵じゃなかったから……。
少しだけ時間がかかったけど、捕獲した。
私はネロのおかげで怪我もしてない」
「そうですか。それは良かった」

捕獲という言葉を聞いて、エルは不意に昼の戦いを思い出した。
逃げ伸びたストーンは今頃どこかの階層で死んでいるのだろうか。まさかその人生を、今日終えることになるとは思ってもみなかっただろう。

捕獲するノワール。殺害するエル。
それを思う時、奇妙な違和感を感じる。殺すために生まれた自分の存在は人にとってどれほど凶悪なのだろうと、ほんの少しだけ考える。

だが、それは大したことではない。疑問とも呼べない疑問だ。機械の自分が造られた理由を考えること自体が、そもそもおかしいのだから。
ただ、――もしも。

「……そういえば、最近はエルと駆除に行ってないな」

もしも、殺すためではなく、誰かを守るために戦うことができるのなら。

「貴女もAクラスに届く実力を持ったハンターなのですから、もうオレのサポートなどは不要でしょう」
「でも、エルがいてくれたら安心できるし、嬉しい。
エルは……迷惑かもしれないけど」
「……」

エルを見上げながらノワールが言った。エルはまた戸惑う。
こういう時どうするべきだろう。――ああ、そうだ。

「迷惑ではありません。そう言ってもらえるのはオレも嬉しい。
ありがとうございます、ノワール」

微笑を浮かべてそう返すと、それは正しい対応だったようだ。
どことなくノワールの表情が和んで、笑顔の一歩手前の表情になった。
その時、エレベーターがようやく到着した。ノワールがドアを開けてエルを促す。

「行こう、エル」
「はい、ノワール」

エレベーターが到着してしまったことを、エルは少しだけ残念に感じた。

***

最下層。999街区。

「そこで寝ているのは、誰かな?」

外出から戻ってきた医師の足元に、自らの血だまりの中であえぐ男がいた。

「……あぁ、怪我をしているね。入りなさい」

その男を穏やかに見下ろして、医師は診療所のドアを押しあけた。
男は手にした黒い盾を杖のようにし、体を引きずってドアをくぐる。どうやら、喋る気力はもうないらしい。

「――と、しまった」

通用口をしめながら、思い出したように医師・クリムソンは顔をしかめた。

「……そろそろ診察終了時間だった。またシャンタオに怒られるかな」

ファームの扉が閉まり、元通りの沈黙がその場に落ちた。



END



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