第3回 レイン編 住居代わりと定めたホテルに戻る途中、レインは高架下で死体を見つけた。 最下層では死体などはそう珍しくはない。環境が劣悪なため、行き倒れる者、病死する者は多い上に、現在は朝だ。 無視して通り過ぎようとした足を止めたのは、その死体がうめき声をあげたからだ。 「……」 不意に、先ほど聞いたファームでの話が頭に蘇る。 ナンバー・ナイン・ナイヴスという男がしていること。 「……チッ」 そんなことを心に留めていた自分にイラついて、レインは舌打ちをした。 「……ア、あー……」 絶えかけた命を震わせるように男が声をあげた。想像したよりも若いようだ。 そのことが酷く気に障った。か細い呻きも震える肩も、まるでレインに救いを求めているようで苛々する。 「……めんどくせーな」 考えることも、止めてしまった足を動かすのも億劫になり、レインは人生で一度だけの気まぐれを起こすことにした。 「おい、どうした」 レインの声に反応して、男の目が開かれた。焦点の合わない視線がぼんやりとレインをとらえる。薄汚れた作業着を見るに、どこかの労働者らしい。 「事故にでもあったか?」 男は倒れたまま首を振ろうとして、果たせずむせ返った。怪我のせいで呼吸が乱れているのかと思ったが、そもそもあまり酸素を取り込めていないのかもしれない。 「……おれ、は」 レインの問いに、なぜ自分がここにいるのか思い出そうと、男はかき消えそうな声を上げた。 「工事の、最中に、落ちてきた資材の、下敷きになって。 言葉を発したことで意識が少しクリアになったのか、男の目にかすかな理性の光が宿った。それを見下ろして、レインは軽く息を吐く。 「んで? ここで寝ててどうすんだよ。怪我したんなら医者行け医者。 「ちが……おれは、上流階級層で、怪我、して」 その単語に、レインの顔が激しく歪んだ。 他の階層で負傷した労働者が、最下層に捨てられる。 夢限界楼の階層は5つ。 特権階級層・通称「ヘヴン」。 そして、最下層――貧困層と飛ばれる、名無しの階層。 階層という言葉の通り、それぞれの生活エリアは段階的に区別され、各階層の住人が入れ替わったり混じりあったりすることはほとんどない。 重要なのはどこで生まれたかということ、その一点のみだ。 「……あァ、そういう理由で死にかけてんの、おまえ。 もう十年以上胸の奥に張り付いている苛立ちがまた燻り始め、レインの声が低くなる。 「ずっと、上流階級層で、働いてて……そんで、今朝――きのう、かな。怪我したから、使えないって」 中流以上の階層に、肉体労働をする労働者などはいない。 「……最下層の奴は、『社員』じゃねえからどうでもいい。 「……」 男は返答もせず、ただ少し考え込むような遠い目をした。 あっけなく切り捨てた上層の人間を恨んでいるのか、 そもそも、最下層に生まれた自分が悪いのだと。 「……かえりたい」 ぽつり、と血まみれの吐息で男が呟いた。 「家にか?」 問いかけたレインに、ぼんやりと男が返す。 「家……じゃ、ない。家は、ない。家族がいないから。 また意識が混濁してきているのか、男の言葉が不明瞭になり、その目が閉じた。瞼が震える。 「こんなのは、いやだ、しにたくない」 誰しも思う当たり前のことを、今頃気づいた真実のように口にして、男が続けた。 「こんなふうに死にたくない。 男のまなじりから一筋の涙が零れ、顔を伝い落ちた。 「―――――。くそ」 呟いて、レインは膝を地についた。膝と服が汚れたがどうでもよかった。 「死ぬな馬鹿。すぐ近くに診療所がある。そこまでもたせろ」 再び男の瞼が震え、レインを見返した。 「誰に会いたいんだかどこに行きたいんだか知らねえが、 「……」 男は、何か言ったようだった。 「なんだ、おまえ――」 それを聞き返そうとしたときに、がくん、と急に男の体が重くなった。 「――――」 息が絶えている、その一点を除いて。 「……あぁ……馬鹿だな、おまえ」 ほんの一瞬目を伏せて、レインは嘆息した。 こんなことは珍しくもない話だ。 立ち上がり、レインは男を見下ろした。 「……違うな。馬鹿は俺か。 気がつけば摩天楼の隙間から日が登り、世界を明るく照らし出している。 陽にさらされた死体は、さっきまで生きて会話を交わしていたことの方が嘘のようで、レインは白昼夢を見たような錯覚に囚われた。 すでに死んでいた男と、まだ生きているレイン。 「――じゃあな」 レインは何事もなかったようにその場を歩き出す。 *** 「上流階級層で事故があった」 ネムレスからの報告書を眺めていたバウンティアCEO、ゼクスは、呼びつけてあったエルとクーロンに向かってそう言った。 「特権階級層に繋がるダクトが破壊され、 え、と上がった声は一つ。クーロンのものだ。 「現地調査って、上流階級層ですか」 うげ、と酷く嫌そうな顔をしたクーロンと、それに反して無表情に返したエルが二人で社長室を出ていく。 「……人が死んでいるな、これは」 死亡報告は書かれていないが、事故の規模からして人的災害がないはずがない。 「……」 僅かに目を伏せたゼクスは、報告書をデスクにおいて立ち上がった。 「……ノワールが戻る時間だな。行くか」 呟いて社長室を出ていく。 END ©2010 IDEA FACTORY/DESIGN FACTORY |