酒と恋と古代種と


満月が、夜空の1番高い場所へと昇る頃。
湖のほとりには、談笑する3つの影があった。

「よくいらしてくれましたわ、ヴァローナ。今宵は久しぶりに呑み明かしますわよ!」
「何を言うておる! 明日も授業があると言うのに、夜通し酒を呑むつもりか!」
「ふふ……相変わらずだな、2人とも」

ミルス・クレア魔法院守護役のイヴァン、ヴァニア。
そして2人の古くからの友人であるヴァローナが、同じテーブルを囲んでいる。
テーブルの上には様々な種類のボトルが置かれ、
それぞれが手に持つグラスには甘い香りの酒が注がれていた。

「それにしても……あなたの方から呑みたいと言ってくるなんてめずらしいですわね?」
ヴァローナはグラスを傾ける手を止め、ローブに隠れた瞳で2人の姿を捉えた。
「……無垢なる娘――ルルが属性を得てからというもの、妾の元へ訪れる機会が減ってな」
口調は淡々としたものだが、彼女の吐息にはわずかに寂しさが含まれている。
未来視の魔女に寂しさを訴えさせるなど、ルルの影響力は凄まじい――双子は同じことを考えていた。
「ルルはどうしておる? 全という属性が定着するまで、今しばらく時間がかかるはずだが」
ヴァローナの問いに、2人は揃って目を伏せる。
脳裏に浮かんだ彼女の様々な失敗に、ため息をつかずにはいられなかった。
「元気ではやっていますわ。……ええ、元気過ぎるほどにね……」
「……野暮なことを聞いたな。すまぬ」
「いや、構わん……。ルルも、落ち着いたらまたそなたのところにも顔を出すじゃろうて」

「……しかし、最初にあの娘を視たときには、よもや全属性を得るなどとは思いもしなかったな」
呟かれた言葉に、ヴァニアはからかうように小さく笑った。
「あら? 未来視の魔女でもこの結果は予測できなくて?」
「無論、可能性の1つとして視えていた。だが、彼女が本当にその道を選び取るとは……、
誰の色にも染まらぬとは、妾も驚いておる」
「あの年頃というのは、周囲の環境に流されやすい。
傍にいる者の影響を受けてもおかしくないんじゃがの」

「そうですわね……。もしルルが、誰かと熱烈な恋に落ちていたら、
いったいどんなことになっていたのかしら?」
ヴァニアの発言に、イヴァンは顔をしかめ、ヴァローナは口元に笑みを携えた。
「また妙なことを……その誰かとは誰じゃ」
「本当に愚兄は鈍感で嫌になりますわ。
可能性が高いのは、いつも傍にいるあの6人だと思いませんこと?」
「……ユリウスたちのことを言っておるのか? あやつら、一癖も二癖もあるような連中じゃぞ?」
「ふふ、ヴァニア。そなたはどのようになると思うのだ?」
そう促され、ヴァニアは、恋人の色に染まったルルの姿を想像した。
そして楽しげに、脳内の様子を語りだす――。

「まずユリウスですけれど……。あの子はクールな外見に似合わず、熱い魂を秘めていますわ。
ルルを好きだと自覚すれば、きっと熱烈なアタックを仕掛けていくでしょう」
「ほほう、……それで、ルルは?」
「ルルも猪突猛進タイプですから、それはもう熱烈にレシーブしますわ!」
「……はあ……まったく意味がわからん……」
知らずにユリウスの口癖を呟くイヴァンに、ヴァローナは笑みを向ける。
「では、イヴァン。そなたはどうなると思うのだ?」
「……そうさな……。あの2人は、生徒の中でも特に魔法が好きな者たちじゃ。
共に図書館でも通い、勉学に励むのではないか?」
「勉学に励むって……まさか本当に勉強だけをするつもりだとか言いませんこと?」
「? 無論じゃ。想いが通じたからとて、学生の本分を忘れてもらっては困るからの」
「……ふふ、そなたららしい回答だな」
「ヴァローナはどうなると思いまして?」
「そなたらの想像は、少々行き過ぎてはいるが、間違っているとも思わぬ。
……ただ、そうだな。恋を知り暴走するユリウスに、ルルが振り回されるかもしれぬ。
……あの娘も、惚れた相手には弱そうだからな」

「では、ノエルの場合はいかがかしら?」
「ノエルか……。あやつは小心者だが、それゆえに堅実な努力を重ねるタイプであるからして……」
「あるからして、なんですの?」
「共に魔法の技術を磨いていくことだろう」
「だから! どうしてそうなりますの? まったく、これだから堅物は嫌になりますわ」
「ふん、ではおぬしのたわけた妄想を話してみよ」
「ノエルは、現代に珍しい筋金入りのロマンチストですわ!
きっと、王子と姫のような、エレガントな恋愛を好んでいるはず……」
「具体的にどうするのじゃ? 王族の真似事でもするというのか?」
「お姫様になるのは乙女の夢。
ルルも、【ああノエル、あなたはどうしてノエルなの!】なんて、1度は叫んでみたいはずですわ」
「……そなたのやりたいことがまるで理解できん。親が名づけたからノエルなのであろうが」
「そなたらの想像は聞いていて飽きぬな。
……妾には、ノエルはあの娘を大事にするあまり、触れることすら躊躇うように思える。
ルルはとにかく、あれに飴を与えてやる必要があるだろうな」

「ビラールは……情熱的な国ファランバルドの出身ですもの。
きっと誰よりも燃えるような恋をするに決まってますわ!」
「ほほう、どのようにだ?」
「視野は広く、心は狭く! ルルに近付く輩に、片っ端から魔法を打ち込んでいくでしょうね」
「それは魔法士規範に違反するであろうが!」
「それくらいの心意気ということですわ。ルルも攻撃的なビラールの愛に心打たれることでしょう」
「そもそもビラールは祖国のため留学してきた身、浮ついた恋愛などしている場合ではなかろう」
「あら、では浮ついていない恋愛というのはどういうものなのかしら?」
「最近のビラールは精霊について学んでおるからな。ルルも共に学び、新たな知識を得てゆけばよかろう」
「……それでは、ノエルと教科が変わっただけじゃありませんの」
「だが、ビラールにとって精霊を学ぶことは重要なこと。
もしルルを得たならば、イヴァンの言う通り、共に学んだであろうな」
「ほほう、やはりそうか」
「……しかしビラールは、ノエルとは反対に、過剰に愛でることでルルを戸惑わせるだろう。
無垢なる娘はまだ幼いが……意外にあの男は堪え性がないのかもしれぬ」

「ラギはもう簡単ですわ! これしかありませんわ!」
「これとはどれじゃ」
「変身体質というおいしい設定をフルに活用したストーリー。
愛するルルからのキスで、呪いが解け成体のドラゴンへと姿を変える――これこそラブコメの王道ですわ!」
「何がらぶこめじゃ。ラギのあれは呪いではないであろうが」
「とにかく、変身ものは外せませんわ。
愚兄は、これよりも素晴らしいアイディアがあるとおっしゃるのかしら」
「……ルルの熱心な説得により、不良であったラギがまじめに授業に出席するようになる。
これこそが理想の学生恋愛像じゃろう」
「……っ! 確かに学園ラブコメの定番ではありますわね……!」
「じゃが途中から授業に参加しても、真なる意味を理解できるとも思えん。
……ラギには1度、特別授業を施す必要があるかもしれんのう」
「ああ、本当にわかっていませんのね。
ルルと同じ授業に出なければラブコメ的にはおいしくありませんわ」
「……ラブコメ、かどうかはともかくとして……。
ヴァニアの想像ではないが、ラギのあの体質が2人を阻む障害となるであろうな。
ルルは恐らく、寄り添うのが心だけでは足りぬと思うのであろうが……」

「アルバロは……、……」
「……アルバロか……」
「……ふふ、随分と問題児のようだな?」
「問題児なんてかわいいものではありませんわ。……ルルは、あんな男にはもったいなくてよ」
「……正直、あやつとルルが……いや、誰かと結ばれておるところなど想像できん」
「そうですわね……。
悪い男に騙され、貢がされる少女。どれだけひどい扱いを受けようとも【愛しているよ】の一言で、
少女は離れることができなくなってしまう……。そう、たとえそれが嘘だとわかっていても――。
……と、こういう悲劇のヒロインものとしては良い設定ですけれど」
「……はあ。その【悪い男】の悪さの度が過ぎておる。そのような者に心惹かれることなどあるのか?」
「……ルルは、捨て犬がいれば迷わず拾うような優しい子ですわ。
ああいうダメな男を放っておけない性質だと思いますけれど」
「……まあ、そなたらがそこまで心配することもなかろう。
確かに一筋縄ではいかぬ相手だろうが……、ルルは思い切りがよく、意外に容赦がない。
その気になれば、相手を鎖で縛ることも厭わぬだろうよ。
……案外、似合いの相手となるやもしれぬぞ?」

「お花畑で花冠を作り、笑顔で蝶々を追いかける――
絵本のようなメルヘンな世界観が、エストとルルにはお似合いだと思いますけれど」
「我輩は全力で拒否するエストの顔が思い浮かぶぞ。
それに、あれは子供扱いされることを嫌がるじゃろう」
「ならこういうのはいかがかしら。黒の塔の最上階、ラティウムの夜景を見下ろしながらのディナー。
グラスに注がれたオレンジジュースを傾けながら、【ルル、あなたのきれいな瞳に完敗です】……」
「……おぬしの大人の恋愛感が、いかに子供じみているかわかるの」
「随分と失礼なことをおっしゃってくれますのね?
なら愚兄はどんな素晴らしいご意見を聞かせてくれるのかしら?」
「ごほん。エストと結ばれたルルは、毎日どの教科も見てもらうことができる。
エストはあれで教職に向いておるからの、ルルの成績はうなぎのぼりじゃろうて」
「……ですから、どうしてすぐ勉強に話を持っていきますの?
本当に、愚兄の頭の中はそればかりですのね……」
「妾としては、どちらの意見を聞くことも愉快だがな。
……しかし、エストか。……ルルに振り回される図が、目に浮かぶようだな。
純粋無垢なあの娘が、自らの気持ちを率直に伝える。その度にエストはうろたえるのであろうな」


気付けば、テーブルの上のボトルは何本も空になっていた。
それらを魔法で片付けてから、ヴァニアはぽつりと呟く。
「……ルルは、これからどのような恋をしていくのでしょうね」
誰の色にも染まらず、自分だけの色を見つけ出した彼女は、きっと
古代種たちの想像など簡単に超えていくのだろう。
「……我輩は色恋のことはわからん。……じゃが、良い方向に向かえば良いがの」
「大丈夫だ。誰と結ばれることになっても、ルルはルル。我らが心配することなど何もない」
「……そうですわね。あの子が誰と、どんな恋に落ちるのか……楽しみですわ」

ささやかな酒宴が終わりを迎える頃、いつしか満月の姿は消え、東の空は照らされ始めていた。

翌日。ミルス・クレアのあちこちから酒の匂いがし、問題視されるが――
それが古代種の2人から香っているものであると判明すると、
誰もそのことを口にすることはなかった。