タイトル:運命はかく扉をたたく
作者:かずら林檎


「ん……」
ふと目が覚めたのは、ムリに曲げた首が痛んだからだ。
「もう朝か……」
また机に突っ伏して寝てしまった。
もっと研究を続けたかったのに、どうして人間は眠ってしまうんだろう。
レポートによだれの染みがついていないか確認しながら、俺はぼんやり考える。
「夢の中に、確か――」

あの子がいた。
1週間前、街で出会った子。
彼女が、ユリウス、と俺の名前を呼んでいた。

「また、会えるといいんだけど」
ミルス・クレアの制服を着ていたし、いずれ会えると思うんだけど。
そのときは思う存分、彼女の不思議な魔法について聞いてみたい。
俺はぼやけた視界をなんとかしようと、ごしごし目をこすりながら自習室を出る。

 

「ユリウス!」
俺が寮の部屋に戻ると、ルームメイトのマシューが驚いたように声を上げた。
「君、昨日一晩どこに行ってたんだ?」
「自習室」
マシューは何か言いたげな顔をしていたけれど、
こうして彼が言葉を飲み込むのはいつものことなので気にしない。
彼が黙っている間に、俺は制服を引っ張り出して、のそのそと着替え始める。
「……って、出かけるのかい?」
「うん。許可はもらってあるから」
「でも君、すごくフラフラしてるじゃないか。あ、マントが裏返しになってる。
ていうか、せめて顔は洗おうよ、それにひどい寝癖だ!」
「うん。でも、マシューは細かいことを気にしすぎじゃないかな」
「いや、最低限のことだよ、これは……。それで食事はどうするんだい?」
言われて時計を確認すると、もう昼食の時間だった。
だけど、これ以上、出発が遅れると用事が済ませられなくなる。
「街で適当に何か買うよ」
「……そう言って結局、何も食べないんだろう……?」
がっくり肩を落としているマシューを残して、俺はのろのろと部屋を出る。

途中、コート掛けに正面衝突した。
痛かった。

 

「わっ」
廊下を歩いていたら、今度は小柄な生徒にぶつかった。
もしかすると俺が不注意だったのかもしれない。
何故ならその相手は、じっと俺を睨みつけていたのだから。
「……あなたはどこに目がついているんです?」
「う、うん、ごめ――」
そこにいるのは、大きな魔導書を抱えた少年だ。
常にこんなものを持ち歩いている生徒、俺はこのミルス・クレアでも1人しか知らない。
そう、彼の名は――

「――エスト!?」

俺が彼の名を呼ぶと、何故か眉をひそめられた。
「よかった! エスト、君に聞きたいことがあるんだ!」
「こんにちは、ユリウス。うるさいので少し黙ってくれませんか?」
「1つの魔法に2つの属性を宿すなんてどんな状況下なら可能だと思う!?」
「…………」
彼はしばらく沈黙――きっと質問の答えを考えてくれているんだ――したけれど、
やがて小さな笑みを浮かべつつ口を開いた。
「すみません、ユリウス。僕は少し急いでいるんです、失礼します」
「何か用事?」
「ええ、今日はラティウムまで買い物に――」
「俺も街に出るところだから、よければ一緒に行かない?」
「…………ああ、すみません。そういえば図書館に急用があるんでした」
「そっか……」
エストはかなり忙しいらしい。
休日なのにいくつも用事があるなんて大変だ。
「じゃあ分かれ道まで一緒に行こう。その間、エストの考えを聞かせてほしいんだけど」
「……ええ、それでしたら」

俺たちは属性について話しながら歩き出す。
でも、エストはやっぱり疲れているみたいだった。
だって、そうして話している間にも、何度となくため息をついていたから。

 

エストの話は勉強になる。彼のおかげでまた少し研究が進みそうだ。
すっかり眠気が覚めた俺は、足早に学校門を通り抜ける。
そして、ここからがラティウムの街、と言うところで――

「ラギ、遠慮しないでくだサイ。ワタシたち、仲良しデス」
「遠慮してねーし、仲良しじゃねー!」

聞き覚えのある声がこちらに近付いてきていた。
「あれ……。ビラールとラギ?」
「こんにちは、ユリウス。イイ天気デスね」
異国の青年は、今日もにこにこと微笑んでいる。
「あ? てめえ何してんだ、こんなとこで」
ハーフドラゴンの彼は、今日も目を吊り上げている。
「……うん。間違いなくビラールとラギだ」
「出会い頭にわけわかんねーこと言ってんじゃねーよ!」
「フフ。ワタシたち、いつも通りデス。ユリウスも、いつも通りデスね」
「うん、そんな感じかな」
「おいコラ、右脳で会話すんな。オレには何ひとつわかんねーぞ!?」
簡単に挨拶したところで、俺にはハッと閃くものがあった。
「ところでビラール、質問していいかな」
「ええ、構いまセン」
「水属性の魔法を使っているときに、土の魔力が反応したことはある? 
違う属性が紛れ込んで、通常では考えられないような結果が発生したとか」
「違う属性、ですカ? そんなこと一度もありまセン」
「そっか……」
俺たちの会話に、ラギは首を傾げていた。
「よくわかんねーけど、魔法って属性ごとに使うもんなんだろ?」
「ハイ。そうなりマス」
「水を使ってるときに土が反応するとか、有り得ねーんじゃねーの?」
「けど、その有り得ないはずのことを起こした子がいるんだ!!」

俺は彼女がいかに意味がわからない魔法を使ったかを全力で説明した。
ビラールは目を丸くして、ラギは何故か眉間にシワを寄せて、俺の話を最後まで聞いてくれる。

「魔法的にはよくわかりまシタ。それで、どんな格好の子だったんですカ?」
「ミルス・クレアの制服を着てた。それから確か……、杖を持ってたかな」
「そりゃ媒介が杖なヤツ多いよな。他は?」
「えーと」

………………………。

「他に何もねーのかよ!?」
「……動物にたとえるなら、俺のイメージだと、うさぎ」
「っだー!! わかるかー!!」
「それから、こう、気がついたら真横に立ってるような感じの子だった」
「ハハ、素敵な表現デスね」
ビラールは朗らかに声を上げて笑っている。
「ほんっと、てめえと話してると疲れるな……」
ラギは、どうしてかわからないけれど、少し怒っているようだった。
何か嫌なことでも思い出したのかもしれない。
「それ、マジにうちの生徒か? ゴーストかなんかじゃねーの?」
「いや、多分、生きてたと思う」

けど、別にゴーストでも問題ないかな。
あの魔法のこと、きちんと教えてくれるなら。

 

そして、2人と別れた俺が、広場までやってきたときだった。
「ユリウスー!!」
顔を真っ赤にしたノエルが、こちらに向けて駆けてきていた。
彼は、インセクトアンバーをつけた手で、びしっと俺のことを指してくる。
「これと言うのもすべて貴様のせいだー!!」
「? う、うん。大変だね?」
「他人事みたいに言うなー!!」
ノエルは意味がわからないけど、これはいつものことだし仕方ないと思う。
俺はちょっと考えてから、改めて質問することにした。
「俺、何かしたのかな?」
「ああ。元はと言えば、この前、おまえが図書館で借りた本がすべての原因だ!」
「この前……? 【古代種の属性行使について】?」
「そうとも! 僕もあの本を借りようとしたんだが、あのパルーが僕を邪魔してだな。
今日もこうしてわざわざソロ・モーン魔法具店まで行ったというのに、ああ……!」
うん。意味がわからない。
俺が反応に悩んでいると、横合いから声がかけられた。

「――つまり、また偽物をつかまされたってわけ?」
「そうだ! ……あ、いや、断じて違うが、その……」
「ん? どっちなのかな?」
急にしどろもどろになったノエルの肩を、声をかけてきた青年がポンと叩く。

「あ、アルバロ」
「やあ、こんにちは。ユリウスくんも大変だね」
アルバロは笑いながら、視線を俺に移してきた。
彼は頬にタリスマンを埋め込んでいる。
ノエルも媒介を肌身離さず持っているけど、アルバロみたいな身につけ方をするタイプはかなり珍しい。
「……そうだ。属性のことで2人に聞きたいことがあるんだけど、いいかな」
「何? ユリウスが僕に質問!? ……いいだろう、答えてやろう、さあ言え、今すぐ僕に訊ねるんだ!」
「まあ、俺も構わないけどね」
ノエルは快く頷いてくれたし、アルバロも苦笑しながらだったけど耳を貸してくれる。
「ありがとう、2人とも。……実は俺、1つの魔法に2つの属性が宿った事例を目撃したんだ」
「なんだって? そんなこと有り得ないぞ、ユリウス。魔法物理学的にも不可能が立証されているじゃないか」
「うん、そうなんだけど……」
「あのさ、ユリウスくん。どんな状況で起きたのか詳しく教えてよ」
アルバロは目を細めて微笑んでいた。
もしかすると、この件に興味を持ってくれたのかもしれない。
「実際に、俺たちで再現してみればいいんじゃない?」
「! それ、いいかも」
「ふ、ふん。僕の力が必要だというなら、貸してやらんでもないぞ、ユリウス!」
「じゃあノエル、そこに立って、魔法で火を生み出してもらえるかな」
「いいだろう!」

ノエルは媒介であるインセクトアンバーをかざす。 
「レーナ・フラマ――」
そして、定められた呪文を唱えれば【火】が動き始める。
「燃え盛る赤き炎よ、我が手に!」
彼が命じる結果を生み出すため、琥珀を通して魔力がひとつに集約する。
まばゆい光が放たれたかと思うと、彼の手中には確かな火の球が生み出されていた。

「アルバロには、水を作ってほしいんだけど」
「いいよ? レーナ・アクア――」
アルバロの指が頬のタリスマンに軽く触れる。
すると今度は【水】が静かにさざめいた。
「清らかなる水よ、この声に応じて空へ集え」
魔力の輝きが生まれると共に、ちょうど人の頭くらいの高さに水の塊が現れる。

あの状況を再現するには、あと一手。
「レーナ・ベントゥス。水の運び手、炎の侵略を阻む雨とせよ」
俺は杖を構えると、あのときと同じ呪文を唱えた。

強い光が辺りに満ちたかと思うと――紡ぎ出された【風】は俺のイメージした通りに、
アルバロが生んだ水を押しやり、ノエルが持っていた火に降り注ぐ!

音を立てて、盛大な水飛沫が舞った。

「…………」
「…………」

「けど、やっぱり属性は1つだな……」
そう。本来ならあのときだって、こういう結果が生まれていたはずなんだ。
なのに、どうして彼女は違ったんだろう。
「ユリウスくんってさ、悪気ないからタチ悪いよね」
「えっ?」
アルバロの呟きに顔を上げると、彼はやれやれと肩をすくめていた。
「おのれユリウス、貴様ッ……!!」
「?」
びしょ濡れになったノエルが、ぶるぶると肩を震わせている。
「大丈夫、ノエル? もしかして寒い?」 
「寒くないといえば嘘になるが、重要な問題は僕が濡れていることだろう!?」
「え? そんなの、魔法ですぐ乾かせるよね?」
「――――」
俺の言葉に、彼は何故か凍りついたように動かなくなる。
「ノエルくん、ノエルくん」
そんな彼の肩を、ぽんぽんとアルバロが叩いた。
「相手はユリウスくんなんだから、さ」
「僕が、僕がいけないのか……!?」

生ぬるい微笑みを浮かべるアルバロと、苦悩しているかのように呟いているノエル。
そんな様子を眺めながら、俺は思わず首を傾げていた。
2人とも、ちょっと変わっていると思う。

 

彼らと別れて、俺が用事を済ませる頃には、すでに日が暮れかかっていた。
朱色に染まった空を見上げ、ふと思う。

「あの場所に行ってみようかな」

初めて彼女に会った路地。
もしかすると、彼女が使った魔法の影響が、まだ残っているかもしれない。
そう思うと、いても立ってもいられなくなった。

「……うん。行こう」

何故だか胸の鼓動が早くなる。
自分でもよくわからないまま、俺は夕焼けの道を駆け出した。

 

もしかすると……。

俺はこのとき、呼ばれていたのかもしれない。
大きな流れのようなものに、導かれていたのかもしれない。

そう感じたのは、あの日ボヤを出した家の前に立つ、ピンク色の髪の女の子を見つけたときだった。

「……ご、ごめんなさい。私が魔法を失敗したせいで、大変なことになっちゃって」

家の壁に手を当てながら、もごもごと謝罪する声。
自分の記憶と照らし合わせるより前に、勝手に口が動いてた。

「あれ……、君は――」
「えっ……?」

振り返った彼女の瞳が大きく見開かれる。
多分その声よりも、姿かたちよりも、この好奇心いっぱいの瞳を見た途端に確信した。
……うん、やっぱりそうだ!

「ルル」

ようやく会えた彼女の名を呼んだ瞬間、なんだかすごくしっくりきたのが不思議だった。

 

この意味がわからない感情が何かはまだわからないけど――
それはこれから先、こうして出会った彼女と同じ時間を過ごす中で、きっとわかっていくんだろう。

何故だか、そんな予感がしたのだった。

 


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