――桜色に染まる地。桜色に染まる天。

その狭間に立ち尽くしながら、天を突く巨大な桜樹を見上げる。
万物の栄えを促す神秘の力【グラース】。それを宿す、聖域パルテダームの象徴たる【生命の樹】。
「まさか、それを直接目にするときがくるとはね」
感嘆と感慨をもって、一人呟いた。

そもそも、すべては蒼天の霹靂だった。
花紋の選定を受け、自分が南国カンパニュールの騎士と定められたときは、あまりのことに思わず失笑してしまったものだ。
何故、自分が。
何故、――今更。
思うところは多々あれど、騎士位を辞退するという選択肢はなかった。……そもそも花紋の選定が絶対である以上、拒否権はなかったのだが。
とはいえ、【死んでも】嫌ならば、迷わず死んで見せただろう。そうしなかったのは、少なからずこの事態を面白いと思ったからだ。
古の女神が創った天上の地。
女神の依代たるレーヌ。
そして、彼女を支える4人の騎士。
地上に住まう多くの種人たちにとっては、既にただの【伝説】に過ぎないものを、この目で見ることができる。それが今、ここにいる理由だ。

実際目の当たりにしてみれば、この地にあるものすべてが美しさのみで構成された、と言っても過言ではないほど、神秘的な世界だった。
そしてそれは、花人と呼ばれるグラースの化身たちにも言えること。誰も彼もが穏やかで、醜さの欠片もない善良な者ばかり。
この上なく美しく、平穏な理想郷――つまりは【退屈極まりない場所】と結論づけるのに、そう時間はかからなかったのが、残念だ。
「……失望とは、即ち期待の裏返し。私にもまだ何かに期待する余地があったとは、逆に驚きだ」
生半可なことでは心動かず、また感動も持続しない、厄介な性質であるという自覚はある。
そう考えれば、わずかなりとも目を喜ばせてもらえただけ、騎士になった意味はあるのだろう。
所詮、この世のすべては、うたかたの夢。
地上に在ろうと、天上に在ろうと、流れるまま生きていくことに変わりはないのだから。

「ああ、でも――ある意味、まだ可能性は残されているのかもしれないな……」
ふと、思い出したように呟く。
脳裏をかすめたのは、先日の対面式で顔を合わせた面々のことだ。
東の騎士は小突けばいい音がしそうなほど頭が固く、あろうことか主たるレーヌに否定的。西の騎士は純朴に見えて場の空気を操るのが上手い小悪魔。北の騎士は……もしかしたら、生涯初めて遭遇した正真正銘の【馬鹿】かもしれない。まさかレーヌ相手に、対面一番抱きつくとは。
(ふふ……、まあ嫌いではないがね)
見ていて面白いという点においては、むしろ好ましい。からかい甲斐もありそうだ。
いずれにせよ、共に騎士としての役目を果たすに不足はない、個性的な顔ぶれが集っている。転がりようによっては、予想以上に面白い舞台が見られるかもしれない。

だが、そのすべてを握るのは、あの少女だ。
――空中楼閣の姫、レーヌ・ヴィオレット。
姿絵一つで心を奪われたという北の騎士の気持ちもわからなくはない。清廉にして気高く、この聖域の主に相応しい美貌には、それなりに世慣れした自分でも一瞬心惹かれたほどだ。
(しかし、やはり箱庭の主……。少々垢抜けない雰囲気があったかな)
おそらくそう仕向けているのは、彼女の傍らにいた宰相だろう。善良な花人たちの中で唯一の闇を抱く者。伏魔殿と名高い祖国カンパニュールの王宮でも、あれほどの切れ者はそういない。
どうやら彼の姫は、宰相をいたく信頼しているようだったが――もし彼女が単なる傀儡に過ぎないのなら、わずかに見えた光明も消え失せる。
「美しいだけの人形を愛でても、空しいだけだ。私が求めているのは――」
口に乗せかけた言葉を、一筋の風が閉ざした。

薄紅色の欠片たちが、ひらり舞い落ちる様を目で追いながら、思う。
美しく儚いこの姿は、まるであの姫のようだ。
運命という名の風に容易く翻弄される欠片――
「……求めるか、奪うか。まずは深窓の姫君との恋愛遊戯に興じてみようか」
果てに紡いだのは、不遜極まりないそれで。

ある意味自分らしいと、苦く笑った。

END