――吹き抜ける風に乗り、無限に舞う桜。その色は、自分が焦がれる女の瞳とよく似ていた。

視界いっぱいに広がる桜吹雪に、そんなことを考える。
思わず笑みが浮かびかけるが、口の端に薄っすら残る傷がピリリと痛んでそれを阻止した。
「ってて……揚羽のヤツ、あそこまで殴ることはねえだろ……」
当の本人に聞かれていたら、呆れられるだろうか。それとも新たな折檻を加えられるだろうか。
恐らく後者だろうと身を震わせながら予測しつつ、その悪寒を誤魔化すように手に持っていた杯を煽った。しかし酒に酔うことはなく、舌を軽く刺激されるだけ。それなりに度の高い酒のはずなのだが……
「酔えるわけがねぇよなぁ……」
酔えない理由は、自分が元々酒豪である他にもある。

『………ヴィオレット! やっと会えた! 俺の、……俺の運命の女!!』

対面式でやらかした失敗……もとい暴挙を思い出し、軽く頭を抱えた。
「馬鹿か俺は……よりによって、いきなりあんなことしちまうなんて」
揚羽に袋叩きにされたのも、程度はともかく完全な自業自得といえるだろう。
けれど俺だって、最初からあんなことをする気はなかったのだ。堪えに堪え、対面式を終えた後でしっかり想いを伝えよう……と意気込んでいたのに、

――ふわりと宙をたゆたう薄紫の髪。透き通る桜の瞳。肌は雪のように白く艷やかで。

『北の騎士・レオン。そう呼ばれるのは嫌……?』

2年間、ひたすらに追い求めてきた女。姿絵でも夢でも幻でもなく、本物が目の前にいて、その声で自分の名を呼んでくれている。
その実感を噛み締めた瞬間、身体は衝動のままに動き出してしまって。

――ああ、やっと会えたと。
愛しい女を、泣きかけるほどの歓喜と共に胸に抱きしめた。……その結果が、あれだ。

話に聞けば、ヴィオレットはショックのあまりあのまま気絶してしまったらしい。
……悪いことをしてしまった。素直にそう思う。無論反省もしているが……
(細いのに、柔らかい身体だったよなぁ……。髪もすげえサラサラで、ちょっと触れた肌なんかシルクかと思った)
あの時の感触を喜ばしく感じてしまうのが、まあ男というもので。無意識ににやけた顔が、杯に張られている酒に写り込んだ。
(それに何か、いい匂いがしたし……)
そう。控えめではあるが、抱きしめたヴィオレットの肌からは確かに甘い香りがした。
花人とは己が司る花の匂いを纏うのだろうか。だとしたら、彼女から香ったのは桜の匂い? 惚れた女に会えた衝動に、こちらを惹き込むような甘い香りが加われば、理性を失くして当然だ。

だがこれはあくまで、こちらの事情。いや例えどんな事情があろうと、あんな狼藉をしていい理由にはならない。
ヴィオレットが落ち着き次第、詫びを入れにいかなければなるまいが……。
(……嫌われてねえかな)
心配なのは、そこだ。自分が悪いとわかっていても、近づかないで……なんて言われたら間違いなく立ち直れない。それを避けるためにも、まずはきっちり謝罪し、その上で自分の想いを訴えていかなければ。
――彼女の心を得るのは、それからだ。
「2年間、ただこのためだけに耐えてきたんだ。もう我慢なんてできるかよ」
酒を杯に注ぎ、軽く掲げる。すると、ひらりと一枚の花弁が吸い込まれるように水面の上に落ちた。
「覚悟しておけよ、ヴィオレット。――必ず、俺のものにしてみせるからな」

出会えただけで、満足するものか。
彼女の心も美しさも、すべて独占し、目いっぱいに愛したい。

決意と共に、酒を花ごと煽る。その花弁に、愛しい女の姿を重ねて。

END