咲き誇るは生命の花、散るは桜色の息吹。
自らを埋め尽くさんと降り注ぐその色を――
「ふっ……!」
鋭い剣閃をもって、一息に薙ぎ払った。
淡い花びらはその風圧をも利用し、ふわりふわりと楽しげに舞い降りる。剣を振り抜いた姿勢のまま、その光景をじっと睨み、呟いた。
「……気に入らん」

常人ならば心奪われるほど、美しい幻想の世界。
この樹はまさにその象徴に相応しいのだろう。だがそこには、本来在るべき刹那的な尊さを感じない。どれだけ散ろうが、無限に花は開くという余裕がそう見せるのだろうか。
(不可侵の楽園、か……)
荒れ野が広がる祖国クリザンテームの景色とは対極すぎる。この世界そのものが皮肉のようだ。
思えばこのパルテダームに来てからというもの、失望や怒り、苛立ちばかりが込み上げている。

花紋の騎士として選定を受けたとき、選ばれた理由が【運命である】などと、曖昧なものだったことに釈然としない思いはあった。
だが、祖国を救うためならば、自身の何を犠牲にしてでも使命を果たそうと決意したのだ。
実際そのために、何もかも捨ててきた。家族や友、愛馬、果てには人としての身体までも。

(……だが、蓋を開ければどうだ)
先日執り行われた、騎士とレーヌとの対面式の一件を思い出すだけで、頭が痛くなってくる。

――レーヌ・ヴィオレット。
自分が仕えるべき女の名。

目にも麗しい美姫だと褒めそやされていたが、主たる者に求めたのはそんなものではない。
不遜を承知で言うならば、彼女を目にしたとき最初に浮かんだのは【落胆】の二文字だ。
なるほど確かに美しくはあるだろう。それは認めてやらなくもない。だが、主とするにはあまりにも弱く、頼りない小娘であることも事実。
一睨みしてやっただけで震えあがる胆力のなさもさることながら、挙句気絶とは何事だ。確かに北の騎士の暴挙は常識外ではあったが、抱きつかれた程度で倒れるレーヌもレーヌだ。

(……あんな箱入り娘に、世界の命運がかかっているというのか)
地上の厳しい現実などいざ知らず、美しいものばかりに囲まれ、さぞ甘やかされながら育ってきたのだろう。あれが主だと? 笑えない冗談だ。

――狂っている。何もかもが。

嘆息を呑み込み、苛立ちに任せて剣を振るう。
だがその切っ先は微かにぶれ、にわかに突風を生み出すのみ。嘲るように舞う花びらに眉を顰めながら、握り直した剣を見下ろした。
「……迷いが捨てきれないのか。剣にまで乱れが生じるとは、情けない」
軍人として、従うことには慣れていたつもりだ。
だが、あんな未熟な小娘に忠誠を誓うことなどできようもない。とはいえ誓わなければ、祖国へグラースを送ることは叶わない。

ジレンマだ。それも、悪循環を繰り返す類の。
(覚悟は決めたつもりでいたが……、思っていたよりも、俺は割り切りが悪いらしい)
瞳を閉じ、呼吸を整える。
己の為すべきことは既に承知の上。感情に振り回され、祖国の救済を阻害するなど本末転倒だ。
「俺は義と忠誠の国……気高きクリザンテームの民。この誇りを捨てることはできない」
――ならば、
「貴様が、相応しき者となれ……っ!」

再び目を開き、気迫と共に剣を振るった。
瞬間――桜色の雨の狭間に垣間見えたレーヌの姿ごと、数枚の花びらが真っ二つに割かれる。
儚く揺れ落ちる欠片たちは、あの日怯えるように身を震わせていた、か弱き女そのものだった。
「これまで通り、安穏としていられると思うな。――貴様は、俺がこの手で変えてやる」

その美しさも、弱さも、甘さも。
すべて切り刻み、知らしめてやろう。
レーヌという名が背負うべきものの重さ、救いを待つ者たちの嘆きの声を。
どれだけ怯えられようと構うものか。従順になることだけが騎士の務めではあるまい。

……自分は所詮、花をも切り裂く紅蓮の刃。
優しき箱庭の主とは相容れない者なのだから。

END