タイトル:Daily Life.
作者:かずら林檎


●Case.1 鬼崎刀真の場合

俺は朝に弱いわけじゃない。
だが、午前中は1日の中でも特に不機嫌な自覚がある。
自分の立場を考えりゃ学生としての本分なんざクソ食らえだってのに、
わざわざ学校に来なきゃなんねえっていうしがらみがイラついて仕方ねえ。
鞄を片手に嫌々ながら教室に向うと、今日はちょいと珍しいもんが目についた。

「鴉取じゃねえか。朝っぱらから景気悪ぃ顔してんだな」
「鬼崎くん……」
俺が他人のことを言えた立場か微妙だが、そいつは特に気にした様子もなく、
これから俺が入るところだという教室の中を眺めていた。
「なんだ? てめえのクラスはあっちだろ?」
「はい。その……」
鴉取のまわりくどい言い回しが、時折うっとうしくなることはある。
だが、こいつがただ言葉を選んでいるだけなんだと気づいてから、
俺は案外と気長に待てるようになった。
できるだけ相手を思いやった結果の沈黙なんだとすりゃ、
くだらねえ詭弁をろうする奴らとは大違いだ。
「実は僕、今さっき藤森さんと挨拶したんですが。
彼女の様子が少しおかしくて……」
「おい、んなマジな顔して心配することか?
あいつがおかしいのは元々だろ」
「そんなことありません!」
一瞬、俺が怯むくらい、鴉取はきっぱりと言い切った。
「……きっと僕の知らない何かあったんだと思います。
鬼崎くん、彼女の様子を見てあげてくれますか?」
真剣な表情で頼み込んでくる鴉取に気圧されそうになる。
「……気にしすぎだろ」
俺はため息混じりに答え、鴉取を廊下に残したまま教室に入る。
ドアの脇のカードリーダーに学生証を通すと同時にチャイムが鳴った。
もう少しだけでも鴉取に捕まっていれば遅刻になったところだ。
……まあ、別にそんなもん気になんねえが。

鴉取は妙に鋭いところがある。
だから、参考程度には話を聞くが、
そもそも俺は自発的にこの女の世話を焼いてやるつもりなんてねえんだ。

何の因果か、俺とそいつの席は隣同士だった。
そして、俺がそいつの【おかしさ】に気づいたのは、
俺が席についた直後だった。
「――――!」
そいつは、びくっと肩を震わせると、
あわてたようにPCで見ていた画面を閉じた。
「……なんだよ」
「な、なんでもないわ。おはよう、鬼崎くん」
そいつは、ぎこちない態度で笑ってみせる。
まるで、初めて会った頃みてえな反応じゃねえか。
「それが【なんでもない】ってツラか?」
どろりとした不愉快さが腹の底に溜まっていくのを感じながら、
俺はそいつをまっすぐに見た。
苛立ちが表に出て、厳しい目つきになるのを止められない。
「あ、あの、別に深い意味はないの。ちょっと驚いてしまっただけで……」
「…………」
嘘だろ。そんな反応じゃなかった。
なんで俺に嘘をつくんだ。
俺にまで隠さなきゃなんねえことがあんのか?
それとも俺じゃ頼りになんねえってことか。
どうして本当のことを言わねえんだよ。

こいつの態度が苛立たしくて――いや、
そんな態度しか取らせてやれねえ自分自身にムカついちまって、
俺はますます不機嫌になりながらPCの電源を入れた。

 

●Case.2 犬戒響の場合

休み時間のことだった。
俺は、クラスメイトから【後輩が来ている】と伝えられて席を立つ。
廊下に出ると、普段通り萎縮した様子で藤森沙弥が待っていた。
「あの、犬戒先輩。私、お借りしていた本を返しに……」
「そろそろ来る頃かと思っていた」
言葉の最後までを聞かずに答え、その手からさっさと本を受け取ると、
藤森沙弥は少しばかり安堵したように表情を緩める。
「ありがとうございました。とても面白かったです」
「いや……」
面白かったのは当然だ。
おまえが好きそうなものを選んだのだから。
そう素直に告げられないのは俺の中に照れがあるためか。
冗談めかして伝えるのは簡単だが、それでは【からかわれた】という
印象だけ、彼女の記憶に残すような気がしてならない。
まあ、そんな些事はどうでもいい。
今、重要なことは他にある。
「藤森沙弥」
「は、はいっ!」
「どうして俺と目を合わせない?
そうやってわざとらしいまでに顔を背ける理由はなんだ」
「いえ、その、別に深い意味はなくて……」
意味もなく目をそらされるほど俺は嫌われているのか。
確かに、嫌われるようなことをした心当たりなら山とあるんだが。
「多少なりとも感謝があるなら、俺の顔を見て話したらどうだ?
それが人間として最低限の礼儀だろう」
挑発というほどでもないが、皮肉げに笑いながら言ってやると、
藤森沙弥は緊張に強張った顔を俺のほうに向けた。
「……ありがとうございます、犬戒先輩」
深々と頭を下げて礼を言い、それから一気に走り去ってしまう。

あんなにも、かたくなな藤森沙弥を見るのは久しぶりだった。
悪意の類は感じなかったが、とすれば何が彼女を硬化させたのか。
「あれ、今の姫?」
軽く考え込む俺の前に姿を見せたのは、
こちらの思索を中断させるほど騒がしい男だった。
「おい、響。なんで姫がおまえのとこ会いに来てんだよ?
ていうか来たなら来たで俺も呼んでくれればよかったのに。
姫の可愛い顔、見たかったなあ!」
俺は、彼女が消えた廊下の先を眺めながら呟いた。
「……よく言う」
毎朝、彼女と一緒に学校まで通っている狗谷のことを、
俺が気遣ってやる義理などない。
「それより、学校でまで【姫】と呼ぶな。哀れだろう」
狗谷が周囲からどんな目で見られようと構わないが。
妙なウワサが広まれば、それだけ彼女の悩みは増えるだろう。
だが、狗谷には言うだけ無駄だった。
「なんで? 姫は姫じゃん」
「…………」
まあ、狗谷の素行まで俺が気を払ってやる必要はないか。
今、考えるべきなのは藤森沙弥の態度の理由だろう。
「それに……」
俺が避けられてしかるべきという原因に心当たりはない。
少なくとも3日前、本を貸したときは何も変わらなかった。
「響は学校だろうと外だろうと何も遠慮してないじゃん。
なら、俺だっていつも通りの態度でいいだろ?」
昨日今日で彼女の機嫌を損ねたとでも言うのだろうか。
その可能性は低い。ほぼ接触らしい接触もなかったからな。
とすれば、何者かが余計なことを吹き込んだのか?
もしくは俺に理由があって避けられているのではなく、
彼女自身に何らかの問題がある可能性も――
「……って、響? 俺の話、聞いてる?」
「なんだ、聞く必要があったのか?」
「ひ、ひでえ……! 俺たち親友だろ……!?」
「そんな事実はない」

俺は、狗谷の相手をするのが面倒になって自分の席に戻った。
……藤森沙弥が見せた態度の理由はどうにも気にかかるが、
いくら考えようと推測以上のことはできそうにない。

 

●Case.3 狐邑怜の場合

昼休みを告げるチャイムが鳴ると、俺はまっすぐ購買に向かう。
授業中に届いていた友人知人からのメールに返信しながら列に並び、
その日その日で好みのパンを買うようにしてるんです。
「クロワッサンサンドとカフェオレくださーい」
まあ、食事の好みについては節操なしなほうかな。
こうして買ったものはクラスメイトと教室で食べることが多いけど、
なんとなく【そうしたい気分】のときだけ屋上に足を運びますよ。
もし毎日通ってたら、沙弥先輩は俺の分まで手作りのお弁当を
用意してくれようとしちゃうかもしれない。
そんなことして負担かけたくないしね……というのが俺の建前。
本音は、示し合わせたように毎度毎度集まるのが苦手なだけ。

この学校は中庭その他、みんなで集まって食べる場所に事欠かないから、
冷たい秋風が吹く季節になってしまうと屋上に集まる人が減るわけで。
「こんにちはー、今日もいい天気ですねー」
がらんとした屋上の一角で昼飯を食べている3人は予想通り、
俺の顔見知りばかりでした。
「こ、こんにちは、狐邑くん……」
困り顔で微笑んでくるのが俺より1個年上の沙弥先輩。
で、その両脇を固めているのはいろんな意味で困った人たち。
「姫と一緒に食べるごはんって美味しいなあ!
俺、すっげえ幸せ! 今日もありがとな!」
見えない尻尾を全力で振ってる3年の狗谷先輩と。
「……狗谷先輩、無駄話ばかりしないで箸を動かしたらどうです?
食べ終わったらさっさと教室に戻ってくれて構いませんよ」
どんよりと濁ったオーラを放ってる2年の大蛇先輩。
前々から思ってたんだけど、これ殺気って呼ぶんじゃないかな?
戦闘訓練するときの伊勢さんも大体こんな感じなんですけど。
「おいおい凌、ひどいこと言うなって!」
狗谷先輩は普通に笑顔で受け答えしているわけで、
俺は逆に、ある意味尊敬しちゃうなーとか思う。
「こうしてみーんなで仲良く飯食べてる幸せな時間は、
できるだけ長く続いてほしいって思うじゃん!」
「ええ、そうですね。俺は【みんな】じゃないほうが幸せなんですけど」
「あはは、言いますねー大蛇先輩。お邪魔してすみませんー」
研ぎ澄まされた刃みたいな大蛇先輩の言葉が面白い。
先輩と俺は意外に付き合いが長いんだけど、沙弥先輩の関係で何かあると
人が変わったような振る舞いをするところが最大の特徴ですかね。
「まあ、沙弥先輩も大変ですよねー。こんな2人に挟まれてたら、
食事もままならないんじゃないですかー?」
「あ、あはは……」
身の置き場がなさそうに乾いた笑いをもらす彼女を見て、
俺はちょっとだけ不穏な影のようなものに気づく。
「……沙弥先輩、今日はなんか元気ないですねー」
「そ、そんなことないわ」
彼女はあわてたように首を振ったけど、絶対にいつもと何かが違う。
これは感覚的なものだし、どこが変だとは言えないんですけど。
「そういえば沙弥、朝から少しおかしかったよな。
俺が何を話しかけても上の空だったり……」
大蛇先輩は心配そうに沙弥先輩の顔を覗き込んだ。
そして、うんうんと頷きながら狗谷先輩も言う。
「だよな……。俺が話しかけてもちょっと困った顔してたり」
「それは仕方ないですよ。狗谷先輩についていくのは大変ですから」
「な、なんでだよー!?」
そんな2人のやりとりを見ながら沙弥先輩は苦笑していた。
こういうとき普段なら間に入ってあげるのに珍しいなと思う。

まあ、余談になりますけど。
大蛇先輩が狗谷先輩にキツい理由はわからないでもないです。
彼は今まで毎朝沙弥先輩と2人で学校に来ていたんだけど、
最近は狗谷先輩がそこに悪意なく割り込んでいってるし。
四六時中べったり貼りつかれてるみたいな気分になって、
大蛇先輩がストレスためるのも理解できるかなー。
でも、沙弥先輩は彼のものじゃないんだし、
狗谷先輩が遠慮する必要ないとも思うわけですよ。
当然、俺だってそういうの気にしないから、
こうして屋上に来ちゃうわけなんですけどね。

結局、その日の昼休み――。
沙弥先輩はずっと黙りっぱなしでした。
やっぱり何かあったんですかね?

 

●Case.4 狗谷志郎の場合

「あれ……?」
その日の授業が終わると、俺はすぐ昇降口に行った。
でも、待てど暮らせど姫は姿を見せてくれない。
「おっかしいな。凌まで来ないし……」
姫と凌はいつもここで待ち合わせてるはずなんだけど。
あ。今日は風紀委員会だったとか?
なら凌は遅くなるし、姫はひとりで帰っちゃうかも。
「まずい、追いかけないと!」

俺はまっすぐ校門まで駆けてきた。
すると、そこには――

「あれ、凌! それに駿、怜、響、それに刀真も!」
待ち合わせたわけでもないのに守護者が全員集合してる。

あのさ……。
こういう偶然って悪くないと思わない?
もし校門に見知った姿が誰もいなかったとしたら、
俺、ちょっと寂しい気分になってたと思うし。

「みんな揃ってどうしたんだ? 姫は?」
「沙弥は先に帰りました。【今日は用事があるから】って」
俺が訊ねると、複雑そうな顔をした凌が教えてくれる。
たまーに厳しいことも言うけど基本的に親切な奴だ。
「さっき、彼女が校門から出て行くところを見ましたけど……」
駿も妙に暗い調子ながら教えてくれる。
「じゃあ、今から追いかけたら間に合うかもな!」
「ま、待ってください!」
さっそく駆け出そうとした俺を、駿は大声で引き止めた。
他の奴らも妙に真面目な顔をしてるけど、
みんな一体どうしたっていうんだ?
思わず困惑する俺に駿が言葉を続ける。
「今日は、そっとしておいたほうがいいのかもしれません。
僕たちが近づくことで彼女は困ってしまうかも……」
「そ、そうか?」
その言葉を継いで、怜は考えるように首を傾げながら言う。
「ほら。沙弥先輩、ちょっとおかしかったですよねー?
俺たちのこと避けてるみたいな感じしましたし」
「うーん……」
少し悩んじまうけど、俺は素直な意見を口にしてみる。
「でもさ。みんなの言うように姫が本気で困ってるんだったら、
そういうときこそ俺たちの助けが必要なんじゃないか?」
考え込むような沈黙が落ちて、それから――。
「なるほど、それも一理ある」
真っ先に同意してくれたのは響だった。
心強い味方ができてうれしくなる。
だってさ、俺1人でみんなを説得するのは難しいけど、
響が味方になってくれれば大抵のことは通るもんな!
「彼女の安全を守ることこそ俺たちの使命だろう。
だが、彼女を無為に拘束するのも忍びない。というわけで……」
みんなを見渡しながら響は言う。
「俺たちは陰ながら彼女を見守り、万一危険が近づけばそれを阻む、
というのがベストなんじゃないか?」
「賛成!!」
俺は即行で両手を挙げて同意した。
「あのー。つまり、ストーカーするんですか?」
不満げに言う怜に対し、響は苦笑しながら答えた。
「何を言ってるんだ、狐邑。
俺たちに守られることを彼女が嫌がるはずないだろう」
「いや、それってまさしくストーカー心理ですから」

なんだか話が変な方向に流れかけたとき。

「……ぐだぐだ言ってんじゃねえよ」
刀真はみんなを睨みつけるように見回しながら吐き捨てる。
「とにかく、俺たちが今すぐ答えを出さなきゃなんねえ問題は……」
まあ、呆れ果てたと言わんばかりの口調だったけど、
刀真が刺々しいのは今に始まったことじゃない。
「行くのか、行かねえのか、だ」
「そんなの……」

刀真の言うことはわかりやすくていい。
俺は拳を握りしめて叫んだ。

「……行くに決まってんだろ!!」

 

●Case.5 鴉取駿の場合

あちこち探し回った僕たちが、ついに沙弥さんの姿を見つけたのは、
学校からそう遠くないショッピングモールでのことでした。

「あれって……姉ちゃん!?」
狗谷先輩が驚いたのも無理のないことだと思いますが、
大きな声をあげた先輩の口を鬼崎くんが大急ぎでふさぎます。
藤森さんは彼のお姉さん、理佳子さんと2人で買い物をしているようでした。
「女性同士でショッピングか。心配する必要なかったかもな」
凌さんはホッとしたように言いましたが、僕はまだ少し心配でした。
結局、藤森さんが僕たちを避けるような態度を取った理由が、
わからないままだからです。

「けど、やっぱりおかしいですよね?」
狐邑くんは軽く腕を組みながら、小さく首を傾げて口を開きます。
「雑貨屋に立ち寄るのは、まだわかりますけど……。
あの2人、たまに紳士物売り場とかで足止めてません?」
「姫……。もしかして、俺の誕生日プレゼントを!?」
「ねーよ」
「――ふぐあっ!?」
また叫んだ狗谷先輩にがっちりとヘッドロックをかけながら、
鬼崎くんはあっさり先輩の想像を否定します。
「まあ、プレゼントってセンはあるかもしれねえな。
詫びとか礼とか、そんなんだろ?」
ぶつぶつと呟くように言う鬼崎くんの様子を見ていたら、
僕には、彼がその心当たりを探しているように感じられました。
「俺は沙弥先輩に何もしてあげたことないですしねー。
あ、でもこないだクレープおごってあげたかな?」
狐邑くんの言葉が終わらないうちに、狗谷先輩はハッとした様子で顔を上げます。
どうやら鬼崎くんの腕が、いつの間にか少し緩んでいたみたいです。
「そういえば響! おまえ、姫に本とか貸してただろ!?」
犬戒先輩は、遠目に見える彼女の様子を眺めて、薄い笑みを浮かべます。
「フン。そこまでかしこまる必要はないんだが、な」
「……おい犬戒。てめえ、さっそく勝ち誇ってんじゃねえ!
自分があいつからプレゼントもらえるって確定すんな!」
「そうだそうだ、俺は絶対認めないからな!」
鬼崎くんと狗谷先輩が一緒になって、犬戒先輩に噛みついたときでした。
「おまえら……!」
凌さんが、もう我慢ならないといった様子で主張します。
「沙弥が常日頃から【お礼をしたい】と思ってる相手は、
幼馴染の俺に決まってるだろう!?」
彼の意見に、犬戒先輩は肩をすくめて言いました。
「大蛇……。そういうのは恩着せがましくないか?
ずいぶん性格が悪いことを言うんだな」
「えーと。何か、お言葉を返すようで申し訳ないんですが。
俺、犬戒先輩にだけはそういうこと言われたくありません」

なんというか……。
傍目にはみにくい争いに見えるのかもしれません。
でも、みんながどれだけ彼女のことを思っているのか、
とてもよくわかる会話だったと思うんです。
それに、僕以外のみんなも本当は薄々気づいているんですよ?
彼女が紳士服売り場で見ているネクタイやハンカチや、
そういうプレゼントがよく似合う彼女の大切な人が、
僕たち以外にいる、ということ……。
だけど【他の守護者に藤森さんのプレゼントが渡る】なんて、
仮定でも認められないから、つい喧嘩してしまうだけなんです。

でも、僕たちを避けるような態度の理由はわからないままです。
もしかして、まだ他に何かあるんでしょうか?

 

●Case.6 大蛇凌の場合

紳士服売り場から離れた沙弥たちは、再び雑貨屋に戻ってきた。
そして、多種多様なパーティーグッズを買い込み始める。
俺の知る限り、彼女が今まで遊んだこともないボードゲームだとか、
大量のクラッカーや部屋を飾りつけるためのモールまで、だ。
「! やっぱり俺の誕生――」
「ねーよ」
鬼崎は、狗谷先輩のうわ言をきっぱりと否定する。
今回ばかりは俺も彼の肩を持ちたいと思う。

それから2人は食料品売り場まで移動した。
魚だとか肉だとか野菜だとか飲み物だとかお菓子だとか、
決してひとり暮らしの彼女では消費しきれないような量を買い込んでいる。
何らかのパーティーを催そうとしていることは間違いなさそうだ。

「理佳子さん、今日は本当にありがとうございました。
たくさん助けていただいてすみません……」
「いいのよ、あの子たちに秘密で準備したい気持ちもわかるし」
買い物を終えた2人はショッピングモールを出ると、
夕陽に照らされた道をゆっくりと歩いていく。
「でも、みんな驚くわよね。
沙弥ちゃんがいきなり【パーティーする!】なんて言ったら」
「……その、ちょっと子供っぽいですよね」
沙弥は、はにかむように笑っていた。
「いつも守ってくれるみんなに、どうしてもお礼がしたくて。
でも、私にできることなんてあんまり思いつかなくて」
俺は彼女の頬が赤く染まっているような気がしたけど、
こうも離れていると夕焼けの光のせいでよくわからない。
「それでも、私はみんなに笑っていてほしかったから」

「…………」
俺たちは自然と顔を見合わせていた。
沙弥が何を考えているかわかった気がする。
きっと、みんなのためだから、【パーティー】なんだ。

誰かひとりにプレゼントをあげるわけじゃなくて、
ひとりひとりにプレゼントをあげるわけでもなくて。

みんなが、みんなで楽しく過ごすための【プレゼント】なんだ。

「沙弥……」
その複雑な育ちもあって、あまり人と接することに慣れていない、
引っ込み思案な彼女が俺たちのために何かしようとしてくれている。
「こんな奴らのこと、気にする必要なんてないのに……」
きっと、その決断は俺が思う以上に重みがあるものなんだろう。
沙弥は本当に本当にやさしい子だ。

「……そうやって幸せそうな顔で話してくれるとこを見たら、
沙弥ちゃんがどれだけ彼らを想ってるかよくわかるわ」
彼女はくすくすと笑いながら沙弥に訊ねた。
「みんなにはまだ連絡してないの?」
「は、はい、料理に失敗したら目も当てられないですし。
もうちょっと準備ができてから、にします……」
沙弥が答えた言葉の後半はとても小さい声になってしまって、
俺たちのいる場所ではほとんど聞こえなくなった。
「ふふ、そうね。急な連絡になっても構わないと思うわ。
沙弥ちゃんのためなら無理にでも時間作ってくるだろうし」

理佳子さんが、そう答えたときだった。

これまでずっと沈黙を続けていた鬼崎と犬戒先輩が、
俺たちが隠れていた物陰からあっさり出て行ってしまう。
そして【偶然通りかかったんだ】なんてベタな言い訳をして、
沙弥たちの手から荷物を奪い取っている。
「あ、さすがに抜け駆けはずるいですよー」
「俺たちのこと置いてくなって!」
狐邑は楽しそうに笑って、狗谷先輩はすねたように眉を寄せて。
「……行きましょうか、僕たちも」
そして、苦笑した鴉取が俺のことを振り返っている。
「まったく、しょうがないな……」
沙弥にまとわりつく奴らを見ても、不思議と怒りは湧いてこない。
何故って、それを彼女が望むなら仕方ないと思ったから。
騒ぎの中心でくすぐったそうに微笑む沙弥のことを、
その気持ちを守りたいと思ったから――。

まあ、悪くないんじゃないか

こんな日があっても、さ。

 


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