優しい嘘つきの




――昼休みになって、九楼撫子はふと気付いた。

(……理一郎と鷹斗がいないわ)

休み時間になれば、大抵3人で雑談をするのが常だった。
けれど今日は休み時間のたびに、鷹斗も理一郎もさっさと席を立ってどこかへ行ってしまう。
べつに、2人と話せないからと言って大きな問題があるわけではないのだけれど。

常日頃から色んな子に引っ張りだこな鷹斗はともかく、面倒臭がりな理一郎が休み時間のたびにいないとなると。
いつもと違う何かを感じ取って、撫子は少し背伸びをするように教室を見回した。

(やっぱり、いない)

給食が終わって昼休みになると同時に、2人はまた一目散にどこかへ行ってしまったのだ。
とはいえ、探しに行くほどの用があるわけでもない。
撫子は読みかけの文庫を取り出して、優雅に昼休みをつぶすことにした。

(次は教室移動なのに、なにやってるのかしら……)

――が、昼休みが終わる時刻になっても、2人が戻ってくる気配はない。
小さく息をついて、次の授業の準備をしてから、撫子は廊下に出てみることにした。


*  *  *

「……あ、いた」

廊下の先に、鷹斗と理一郎の後姿を見つけた。
一緒にいるのは、央と円だ。放課後にある課題の話でもしているのだろうか。

「――あ、撫子ちゃん!? ちょ、ちょっとストップ!」
「え?」

目が合ったと思った途端、央が焦ったように叫ぶものだから、撫子の足がぴたりと止まる。
同時に、理一郎と鷹斗も焦ったように口を噤んだ。……円は、表情が変わらないからよくわからない。
それに央が、慌てて後ろ手に何かを隠したように見えたのは……気のせいだろうか。

「なに?」
「え? ううん、なんでもないよ。ね、央」
「あ、鷹斗くん。う、うんっ。なんでもないよー」
「……そう?」
「それより、どうしたの? 撫子」
「べつに、どうもしないけど……次は教室移動なのに、鷹斗と理一郎の姿が見えなかったから」
「あ、そっか。ちょっと央に用があってさ。もう教室に戻るよ」

鷹斗が、曇りない笑顔で告げる。その笑顔はいつも通りの優しいものだったけれど、わずかな違和感をもたらしていた。

(……鷹斗、なにか隠してる?)

本能的にそれを悟って、撫子の眉が顰められる。課題メンバーで集まって、なにか内緒話をしていても不思議はない。
撫子にとっては責めることでもないけれど、およそ隠し事に似つかわしくない鷹斗でさえ、微妙な態度を取っていることが気になった。

「……っていうか、お前。大人しく教室で待ってられないのかよ。わざわざ探しに来なくたっていいだろ」

そして、極めつけには幼なじみのこの一言だ。これも通常運転の皮肉とはいえ、むっとした。

「たまたま見かけたから、声をかけただけよ。邪魔して悪かったわね」
「え、あ……撫子?」

売り言葉に買い言葉で、つい反応してしまった。そして反応してしまったからには、素直になることもできない。
鷹斗の呼びかけは聞こえなかったフリをして、撫子は踵を返す――と、振り返った先に、見知った顔を見つけた。

「……む? おお、そなたら、揃ってどうしたのだ」
「あ、殿! やっと来たっ。遅いよー! もう昼休み終わっちゃうよ」
「遅い……? 央とやら、私は何かそなたと約束をしておったか」
「してました! 昼休みに僕のクラスに来てって言ったじゃん!」
「央の言葉を忘れるなんて、許されないことです。……ですが、殿さん。今朝ぼくも念押ししたはずですが」
「ふむ……? ああ、そうか。そういえば今朝、そんなことを言っておったな。撫子の――――」
「わあああストップ! 殿、ちょっとシャラーーーップ!」
「もご……なんらというひょら」

央が焦りながら終夜の口を塞いで、ずるずると教室に連れ込んでいく。円もそれに続いて行ってしまった。
去るタイミングを逃して、撫子は眉を顰めたまま鷹斗と理一郎を見つめる。
理一郎は相変わらず冷めた顔で目を逸らしているし、鷹斗は柔らかく笑っていた。

「……なんなの?」
「べつに、お前には関係ない」
「なによ、それ」
「理一郎。そういう風に言っちゃだめだよ。撫子、ごめんね慌しくて。次の授業、音楽室だっけ。行こうか」
「…………」

理一郎の相変わらずな辛辣さは置いておくとしても、鷹斗までもが肝心なことを言ってくれない。
その事実に、撫子は少しだけ胸が痛むのを感じていた。
先ほど、終夜が何かを言いかけて央が止めたのは、確実に【撫子】に聞かれたくないことだったからだ。
それくらいは、すぐに悟った。だとしたら、自分だけ【のけもの】にされているということになる。

(……べつに、何でも話してほしいとか、そういうわけじゃないけど)

男の子同士にしかわからない話だって、きっとあるのだろう。
鷹斗はもともと社交性のあるタイプだし、課題は別にしても彼らと仲良くなることに違和感は覚えない。
ただ、それに終夜や理一郎といった面子までもが関わっているとなると。

(私だけが蚊帳の外ってこと?)

なによりも、自分が少なからずショックを受けていることに、撫子は驚いた。


*  *  *


「……ねえ、どう思う?」

それは、5限目が始まる直前のこと。
撫子が話しかけた相手は、彼女の手のひらにのるウサギのぬいぐるみだ。
音楽室は広く、隅に寄ってしまえば声も聞き取れない。加えて授業が始まる前だから、室内はざわついている。
その隙を狙って、撫子はこっそりと小声で問いかけてみた。

「え? さっきの鷹斗くんたちの態度ですかー?」
「そうよ。どう考えてもおかしかったわよね?」
「……うーん。いたずらでも考えてるんじゃないんですかねー?」
「理一郎まで一緒になって? あまり想像つかないわ」
「まー、楽しそうでしたし、悪いコトではないと思いますけどねー」
「それは、わかるんだけど……」
「ははあ。仲間はずれにされて、ちょっと寂しいんですかー?」
「……そんな子どもじゃないわよ。ただ、鷹斗や理一郎まで一緒になるのが珍しいなって」
「大丈夫ですよー。央くんや円くんは知らないですけど、あの2人はあなたの嫌がることは絶対にしないでしょー」
「そう……なんだけど」
「気になるなら、もっと突っ込んで聞いてみればいいんじゃないですかー?」
「……そう、ね」

――とはいえ、しつこく食い下がるほどのことでもないような気がするのだ。
いつもは気にならないことが、なぜか癇に障ってしまうことはままある。タイミングが悪い、とでもいうのか。
そんな小さなことで意地になってしまうのも、自分の子どもっぽさを象徴しているようでなんだか嫌だった。

「あ、授業が始まるみたいですよー」

その声を合図に、会話は打ち切られてしまった。


*  *  *


空が、茜色に染まっていく。
教室に差し込む西日が、一日の終わりを告げていた。

(……もう、帰ろうかしら)

誰もいない教室で、ひとり。
待てど暮らせど待ち人は来ないし、とにかく待っているだけというのは退屈だ。
呼びに来るというから大人しく待っているのに、一向に誰かが来る気配もない。

(みんな、私のことなんて忘れちゃってるとか)

今まで、こんな風に考えたことはなかった。
他人に期待するのも、自分が過度に期待されるのも、撫子をとりまく環境には無縁のはずだった。
家柄に恥じないような成績を取って、それなりのプライドに則って真面目に生活をして。
――波風を立てない程度の、人付き合いをする。

それで、じゅうぶんのはずだった。
退屈だとは思いこそすれ、自らの意思で変えようなんて思わなかったのだ。

(理一郎だって、そうよ)

愛想の悪い幼なじみは、自分以上に社交性というものがない。
撫子にとっての日常と同じく、彼にとっても周囲の関係性というのはその程度のもののはずだった。
けれど理一郎は、今や自分の隣ではなく、新しくできた友人とそれなりに楽しくやっている。

(……どうして、こんなにモヤモヤするのかしら)

ままならない気持ちを持て余して、机に突っ伏す。
――と、扉が開く音が耳に響いた。

「あれ、九楼さん?」
「……神賀先生」

顔を上げれば、扉の前に担任である神賀旭が立っていた。

「ひとりですか。課題はどうしたんです?」
「……今日は、遅れて来てって言われて」
「遅れて来て……?」

放課後、授業が終わった直後のことだ。
今日は課題の日だったから、いつも通りに、鷹斗と理一郎と談話室に向かおうと思っていた。
――けれど。

「今日の課題は準備に時間がかかるから、私は教室で待ってろって言われたんです」
「……ああ、そうなんですか」
「準備なら、私も手伝うって言ったんですけど。……いいから、って。しかも、私だけ」
「こんな時間まで準備にかかってるんですか? 不思議ですね」
「……そうですよね。そんなに準備が必要な課題なんて、ないはずなのに」
「でも、それで九楼さんが大人しく従うのも、珍しいですねえ」
「…………っ」

苦笑が聞こえて、かっと撫子の頬が熱を持った。なぜだかとても恥ずかしい気持ちになって顔を上げる。
神賀に何かを反駁しようと上げた視線は、けれど彼の表情を見て固まってしまった。
彼はとても、優しい顔をしていたのだ。からかっているわけでも、同情してるわけでもなく。
なにかを見透かしているような、ただ慈愛に満ちた、穏やかな表情だった。

「事情も話されずにひとりにされたら、寂しいのは当然ですよ」
「……寂しいなんて、言ってません」
「ふふ、そうですね」

神賀は苦笑しながら椅子に座って、教壇の机の上で指を組んだ。それから少し首を傾げると、教師の顔で口を開く。

「九楼さん、問題です」
「……はい?」

朗らかに告げられた言葉に、撫子は素っ頓狂な声を返してしまう。
前々から思っていたが、神賀旭という教師は朗らかなのか【ただの暢気】なのかよくわからない。

「課題メンバーの皆さんの中に、嘘つきがひとりいるとしたら。誰でしょう?」
「……は??」
「ちなみに、これは課題の番外編です。ちゃんとした授業の一環として、答えてください」
「無茶苦茶だわ。先生、なんでも授業の一環って言えばいいと思ってませんか?」
「はは、ちょっと思ってます。でも、これは今の九楼さんに必要な質問です。ちゃんと考えてみてください」
「…………」

穏やかだが有無を言わさぬ口調で告げられて、撫子は言葉に詰まった。
まあ、ひとりでここで待っていたところで、暇を持て余してしまうのも確かだ。
授業の一環だと先生が言うからには、何かしら意味のある問題なのだろう。

(……嘘つきがひとり? 課題メンバーに?)

鷹斗は……嘘はつかない。今日みたいに隠し事をすることはあるかもしれないけれど、人を傷つける嘘なんて絶対につかないと断言できる。
理一郎は、言わずもがなだ。たまには嘘というか言葉を飾ったほうがいいんじゃないかと思うくらい、直球だから。
素直じゃない物言いは多いけれど、それは【嘘】とはまた違う部類だと知っていた。
央も円も、嘘をつくようなタイプではないと思う。よくも悪くも、自分に正直なところが特徴だ。
……そして、恐らくは終夜も寅之助も。撫子にとっての彼らは、どこまでも【正直】な人間で。

だからこそ、マイペースすぎて困らされることも多いけれど、猜疑心にとらわれるようなことがない。
上辺の言葉や、お世辞や媚。そういうものと無縁な子たちだからこそ、一緒にいて楽しいと思えるのもまた、真実だった。

「……いません」

神賀先生の真意はわからないけれど、これが誰かひとりを当てる問題なら不正解なのだろう。
それでも、撫子には課題メンバーの誰かが嘘をつくように思えなかった。
信頼、とはまた違うのかもしれない。ただ、彼らが正直であることが、撫子にとって好ましいと思える部分でもあったから。

――撫子が静かに答えると、神賀はふわりと優しい笑みを見せた。

「そうですね」
「……え?」
「先生もそう思います。九楼さん、あなたも含めてみんな、人を傷つけるような嘘を言う子はいません」
「え。じゃあ、さっきの問題って……」
「それでは、第2問です」
「え、ちょ……」

にこにこと、相変わらずの爽やかな笑顔で神賀は次の問題へと移ってしまう。
結局、先ほどの質問の答えはよくわらからないままだ。

「課題メンバーの皆さんの中で、九楼さんを哀しませるような隠し事をするひとはいると思いますか?」
「…………」

そう聞かれて、すぐにわかった。
自分が課題メンバーの今日の行動に、少なからず不満を持っていること。
その不満を――否、寂しさを、目の前の担任に見抜かれてしまったのだろうということも。

そして神賀先生の【問題】は、撫子の心を整理するための誘導尋問のようなものだった。
少なからず子ども扱いされて――実際に子どもなのだけれど――いるのだと気付いて、わずかに恥ずかしくもなる。

「いないと思います」

――けれど。
今度は、はっきりと。即答できた。

「そうですか。なら、大丈夫ですよ」
「神賀先生……あの」
「事情があるのだとしても、ちゃんと聞けば答えてくれると思います。たぶん、ですけどね」
「たぶん、って言っちゃったら台無しじゃないですか……?」
「あはは、そこは先生にもわかりませんからね。ただ……」

言葉を止めると、神賀は撫子の瞳をまっすぐに見据えて、柔らかい微笑に真摯な色を加えた。

「九楼さんが彼らを大事に想っているなら、彼らも九楼さんを大事に想っています。それだけは、確信を持って言えますよ」

――彼らを大事に想っているなら。
そう言われて、撫子は改めて自分が課題メンバーという仲間達を特別に想っているのだ、と自覚した。
同時に、自分が見返りを求めているのだということも。

「おい、なにやってんだ?」

――その時。2人しかいない教室に割り込んできたのは、意外な声だった。

「おや、西園寺くん。珍しいですね、君がこんな時間まで残っているなんて。もしかして、課題をやる気になったとか」
「うるせーよ。テメーには関係ねえだろ」
「いやいや、君も特別授業のメンバーですからね。先生には関係あります」
「ち……。おい、お前。ちょっと来い」
「え、私?」
「お前以外に誰がいんだよ。オレがこの先公を呼び出すワケねーだろ」

早く来い、と急かされて、撫子は慌てて席を立って扉へと近づいた。
寅之助は何も言わずに踵を返すと、そのまま廊下を進んで行ってしまう。

「あ、神賀先生。その、ありがとう……ございます」
「いえ、俺は何もしてませんよ。いってらっしゃい、九楼さん」

ひらひらと手を振られて、会釈だけ返す。寅之助にせっつかれながら、撫子は教室を後にした。


――――彼女が去った後。
教室を染める茜色は、先刻よりも鮮やかに。
あたりに響くのは秋特有の風音と、教室に備え付けられた時計の秒針が、時を刻む音。

「……ありがとう、か。俺が受け取っていい言葉じゃないな」

1人残された神賀旭の表情は、背後の西日に翳られて不鮮明だった。
けれど彼をよく知っている人間からすれば、それはやはり、穏やかな微笑に見えただろう。

「嘘つきが、ひとり。いるとしたら、それは――――」

ぽつり、と。
誰にも聞こえない呟きは、夕焼け色の空に溶けていった。


*  *  *


「ねえ、どこに行くの?」
「あ? 談話室だよ。お前を呼んで来いって言われた。ったく、なんでオレがこんなことしてやんなきゃなんねーんだ」
「ってことは……課題の準備が終わったのかしら」
「さあな。イベントだかなんだか知らねーけどよ、小せえコトでオレを巻き込むなっつうの」
「イベント? ……もしかして、あなたも鷹斗たちが何をしようとしてるか、知っているの?」
「…………」

ぴたり、と寅之助が廊下の途中で足を止める。
撫子より少し歩幅の広い彼を追いかけていたせいで、つんのめった。

「あいつら……どいつもこいつも、お前のこと好きだよな」
「……は?」
「なんつーか、見てて寒くなる。加納あたりも気が気じゃねーだろうな」
「どういう意味? どうして理一郎が落ち着かないのよ」
「……自覚なしかよ。ま、わかんねーならいいわ」
「よくないわ。ちゃんと説明して」
「めんどくせーな。……お前が薄情じゃねーんなら、喜んでやりゃいいんじゃねーの?」
「????」

また歩みを再開した寅之助を追いかけて、要領の得ない会話を続けているうちに、2人の足は談話室の前で止まった。
室内から複数人の騒がしい声が聞こえるのは、彼らがまだ残っている証拠だ。
心のどこかで、もしかして本当に忘れられてしまったかもしれないと思っていた撫子は、小さく安堵した。

「あっ、撫子ちゃん来た! トラくん、ちゃんと連れて来てくれたんだね。偉いっ!」
「テメー、人をパシリに使ったんだ。手間賃、払えよ」
「央にお金をたかるなんて、どういう了見ですか。恐喝で訴えますよ」
「ああ? いい度胸だな。やってみろ」
「元々、撫子さんを連れてくる役目でもめるのが見ていて苛つくからと、買って出たのはあなたです」
「オレは早く帰りてーんだよ。んな、かったりーことで時間取られてたまるか」
「あなたの意思は関係ありません。央が懸命に準備したんですから、従ってください」
「よーし、下級生。ちっと表、出ろ」
「ちょ、ちょっと円、トラくん! いきなり喧嘩しないでよーっ!」

談話室に入るなり、まず円と寅之助が喧嘩を始めた。
この2人、意外と相性が悪いのか。そんなことを暢気にも思いつつ、撫子は装飾の施された、いつもと違う室内を眺めて目を見開く。
大きな弾幕や、紙で作られた花――どう見ても、なにか祝い事のために準備されたような内装だ。残念ながら、弾幕に書いてある文字は汚すぎて読み取れない。

「……なに、これ。どうしたの?」
「撫子。待たせちゃってごめんね。こっちに来て」
「はぁ……やっとか。準備に時間かかりすぎだろ」

少し申し訳なさそうな鷹斗と、それはこちらの台詞じゃないのかと言いたくなるような、理一郎の言葉。
撫子はわけがわからないまま、鷹斗に手を引かれ、促された椅子に座った。

「ほら。円、トラくん! 撫子ちゃんが来たんだから、お祝いしなきゃ。主役放っちゃだめだよ!」
「……お祝い?」
「そうだぞ、撫子。今日はそなたの生誕を祝う日であろう? 皆、はりきって準備をしたのだぞ」
「……終夜? 私、べつに今日が誕生日じゃないんだけど」
「なんだと……!?」

(え? 誕生日? なんなの、これ)

撫子は混乱しながらも、談話室の中央にある机に、ケーキが置いてあるのを見つけてしまった。
先ほど終夜に告げたように、自分の誕生日は今日ではない。けれど、つまりは誕生日と勘違いして準備をしてくれたのだろうか。

「もーっ、殿! 今日は撫子ちゃんの誕生日で集まったんじゃないよっ」
「む? そうだったか」
「あ……終夜の勘違いだったのね。でも、それじゃあなんのお祝いなの?」
「それはね、えーっと……それはねー……えーっと?」
「そなたも思い出せんのか」
「そ、そんなことないよ! ね、円!」
「たしか、最初は秋と言えば、焼き芋パーティーをするべきという話でした」
「そうそう! そうなんだよ! 秋は食材がなんでも美味しいからねっ!」
「……それと、私を祝うのと、なんの関係があるの?」
「んんっ? あれ? 関係なさそうだね。円」
「そうですね、直接的な関係はないはずですが、どうにかして繋がります」
「どうにかして繋げてどうするのよ……」
「えーっと、だからね。って、あーーっ! 殿、先にケーキ食べちゃだめだってば!」
「殿さんは放っておくと、なんでも先に食べますからね」
「…………」

(…………頭、痛い)

いつも通りすぎる騒がしさノリに、撫子は頭痛を感じてこめかみを押さえた。
先ほどまで言い知れない寂しさに悩んでいた自分が馬鹿みたいだ、と。
そう思えるくらいには、彼らはいつも通りだった。

「あはは。ごめんね、急になんの説明もなく、連れて来ちゃって」
「あいつら、やっぱり最終的に何を祝おうとしたのか忘れてるんだな」
「鷹斗、理一郎。……一体、どういうこと?」
「うーんとね。じつは央と円の言ってることもあながち間違いじゃないんだけど」
「焼き芋パーティーが?」
「うん。最初は、秋だねって話をしてたんだ。それで、食材が美味しい季節だからパーティーをしたいねって話になった」
「それから、なんでか【どうせなら何か、お祝いごとも一緒にしよう】とか央が言い出したんだよ」
「どうしてそうなるのか、まったく理解できないわ」
「オレもだ」
「あはは。うん、まあそれでね、みんなで誕生日パーティーとかできたらいいねって話になったんだけど、残念ながら近い誕生日の子がいなくてさ」
「そこまでは鷹斗と央が、一昨日の課題のときに雑談混じりに話してたらしい。それから、なんでかオレのところに話がきた」
「理一郎のところに? ……そうよね。理一郎がそういう話題に最初から入ってるって違和感だもの」
「おい。……まあ、それで。なにか祝えるような出来事は最近ないかって聞かれて」
「理一郎に教えてもらったんだ。撫子が数学検定の準2級に合格したって」
「え…………」

(ああ……そういえば、そんなこともあったわね)

すっかり忘れていた、というか。そこに話が繋がるとは思わなかった。
――否、受かった時はそれなりに嬉しかったのを覚えている。つい最近のことだ。
けれど最近慌しくて、検定に受かったからといって多忙な父親が褒めてくれるわけでもない。
合格証をもらって、満足してしまったというのが本音だ。

(えっと……つまり)

「これまでの流れをまとめると、つまり何かしらパーティーをしたくて、そこにちょうど私の検定合格の話があったわけね?」
「う……。うーんと、そう言われちゃうと、そうなんだけど」
「まあ、その通りだな。騒げる口実が欲しかっただけだろ、こいつら。ついさっきも、目的忘れてたしな」
「どうせやるなら、驚かせたいしサプライズにしたい、って話になっちゃって」

鷹斗が、困ったように笑う。
意味のわからない展開に呆然と見つめたその苦笑は、撫子にとってどこか見覚えのあるものだった。
――そう、先ほど、神賀先生が浮かべていたものと同じ種類のもの。

優しくて、穏やかで、親しみのこもったその瞳は、心から撫子を想ってくれているものだ。

「……その、撫子。怒ってる?」
「はぁ……怒ってないわ。なんにしろ、祝おうとしてくれた気持ちは嬉しいし」

それにしても、人騒がせな話だ。
コトの顛末を知って、撫子は自分の思考が冷静になるのを感じていた。

(私らしくないわ。どうして急に、不安になったりしたのかしら)

――本当は、どんな理由であれ、とても嬉しかったのだ。
蚊帳の外にされていたわけではないことも、自分のことを想って準備してくれたという事実も。
なにより、彼らの輪の中に入れていることが。

(面倒なのは事実だけど……でも)

とても、温かい。彼らといると、馬鹿馬鹿しくて、騒がしくて、自分がちっぽけだと気付いて。
――とても、くすぐったくなる。

撫子は誰にもわからないように、ちいさく微笑んだ。

「みんな、ありがとう。そのケーキ、央のお手製なんでしょう? ごちそうになっていいのかしら」
「あっ、うん! もちろんだよ! 殿がちょっとかじっちゃったけど、死守したからね、撫子ちゃん!」
「そうだ、思い出したぞ。今日はそなたが大人の階段をひとつ上ったことを祝う日であろう、撫子」
「ニュアンスが違う気がしますが、たしか撫子さんが何かの検定に受かったことを祝う日です。おめでとうございます」
「あ、ありがとう」
「ところで央、ケーキが半分ほど消えていますが」
「え、えーーーッ!?!? なんで!?」
「先ほど、トラさんが漢らしく持って行ってしまいました」
「ちょ、円〜っ!? なんで止めてくれなかったのー!」
「すみません。引き止めたくなかったので。あの人がいると面倒です」
「そんな言い方しちゃだめだよっ。トラくんだって立派なメンバーの一員なんだから!」
「……とりあえず、みんな落ち着いて座って、食べない?」

混沌と化した現場が収まるまでには、相当の時間を要することとなった。
楽しいとはいえ、このまとまらなさ加減はどうにかならないものか、とやはり撫子は頭を抱えたくなる。

――やっと場が落ち着いて、メンバーはケーキを食べながら談笑に花を咲かせた。
それはいつも通り、まとまらない会話ばかりだったけれど。撫子は自分がずいぶん慣れてしまったことも自覚する。
今はこの騒がしさが、安心する場所になってしまっているのも事実なのだ。

「ね、撫子。えっと……ごめんね」

――ふと。
隣の鷹斗が急に言い出したことに、央お手製・絶品ケーキのふわふわなスポンジと、甘酸っぱい苺を味わっていた撫子は目を瞬いた。

「え? ……どうして謝るの? 鷹斗」
「ずっと隠し事してるみたいで、気分悪くさせちゃったかなって。昼間も、俺【なんでもない】って嘘ついちゃったし」
「…………」

しょんぼりと、眉を下げて謝る鷹斗は、心から申し訳なさそうにしていた。
どうして自分は、ひとりで不安になったりしていたのだろう、と。自嘲したくなるくらいの鷹斗の真剣さに、撫子もまた苦笑した。

「……ふふ」
「撫子?」
「あんなの、嘘のうちに入らないわ。いいの、ありがとう。鷹斗」
「……怒ってないのか、お前」
「え? 理一郎?」
「隠し事されて、怒ってただろ」
「あれは……でも、こういう事情だったんだし」
「現金なやつ。不満たっぷりの顔してたくせに」
「理一郎の言い方も悪かったと思うわよ。誤魔化すこともしないで【お前には関係ない】の一点張りなんだもの」
「…………」
「まあ、理一郎らしいけど。うまく誤魔化したりとか、できなそうだものね」
「……悪かったよ」
「…………理一郎? どうしたの? 熱でもあるのかしら」
「おい。バカにしてるのかお前は」
「ふふ、冗談よ。怒ってないわ。……理一郎も、ありがとう」
「……べつに」

恐らく理一郎の言葉も、鷹斗と同じ。【嘘】をついたことに対する謝罪なのだろう。
先ほど、鷹斗と一緒に経緯を説明してくれたときも、感じていたことだ。
理一郎にしては珍しく、細かく事情を補足してくれていたこと。――相変わらず、素直ではない。

「ケーキ、美味しいわ。検定に受かって良かったって、今やっと思ったもの」
「単純な奴だな……」
「よかった。君が笑ってくれるのが、俺はいちばん嬉しいんだ」
「……ありがとう、鷹斗」

ケーキの甘さと、彼らの賑やかさに、撫子は胸が温かくなるのを感じていた。
――嘘をつかない正直さよりも、嘘をつけない彼らがついた、優しい嘘を。

心から愛しいと思えるくらいには、撫子は今この時間を愛しはじめている。

静かな時間と引き換えに得たのは、騒がしさと、頭痛を覚えるような面倒さと。
――そして、それ以上に溢れる、笑顔の数だった。





END.



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