【赤ノ願イ】

ごくごく普通の代わり映えのしない日常。
 朝起きて、相変わらず広間で分厚い本を持ったまま、カウチにどっしりと座る同居人、(ユー)(レン)の一言が飛び込む。

()(エン)、紅茶」

 ほら、出たぞ。こちらをちらりとも見ることなく、ここの王様である憂漣は毎日飽きもせず同じタイミングで言い放つ。

「おはよう、憂漣。たまには自分で淹れたら?」
「おはよう、紫鳶。自分で淹れるより君の淹れた紅茶の方が美味いから頼んでいるんだが」
「はいはい。毎日よくまあ、同じこと言えるよね」
「それは紫鳶、君も同じだ。いい加減、僕が何故君に紅茶を頼んでいるのか理解するべきだ。
いいか、僕は――」
「はいはいはい」
「最後まで聞け」
「紅茶淹れるから邪魔しないで」

 そう言ってしまえば、子供のように口を尖らせた憂漣は何も言えなくなる。ふん、と鼻を鳴らしながら昨晩からずっと読んでいるだろう分厚い本に視線を戻した。
 その様子を横目で見ながら、唯一の特技である紅茶を淹れる。
何を考えているのかわからないわがままな憂漣のため、高そうなティーカップに飴色の紅茶を注ぎ、角砂糖を二つ落とす。たっぷりのミルクも入れれば完成だ。この男は意外にも甘党らしい。本人は人より脳を使っているから糖分が必要なのだと言っているが、俺が思うにただの甘党である。

「ほら、紅茶」
「ありがとう」
「どういたしまして」

 ミルクだけ入れた紅茶を一口飲む。憂漣の前のカウチに腰掛け、さて今日はどうしようかと考える。目の前の男はどうせ今日も俺には到底理解できない小難しい本を読むのだろう。洗濯して、掃除して、少し遠出でもしてみようか。そんなことを考えていると、本から視線を外した憂漣が口を開く。

「君は昨日、外の草むしりでもするかと言っていた」
「え、俺そんなこと言ってたっけ?」
「もう忘れたのか? 君は昨日の夜、僕が紅茶を頼んだのにそれを無視して明日の予定をぶつぶつと言い始めた。そろそろ草むしりをしないと、いつか本当にこの場所は廃墟扱いされ、撤去されてしまうからもしれないなあ、とくだらないことを言っていた。本当にくだらない。こんな場所に来るのは黒禰(クロネ)くらいだ。誰に気を遣っている? 訪れもしない客人を気にするな」

 マシンガンのようによくもまあつらつらと言葉が出てくるものだ。一回紅茶を淹れなかっただけで、この根の持ちよう。同居人として、友人として、このわがままな男の将来が少々心配である。

「じゃあ、お前の注文を無視してまで言ってた草むしりでもするとしようかな」
「何かあったら呼ぶから、すぐに来い」

 何かと言っているがこれは紅茶を淹れろ以外の“何か”はあるのだろうか。ああ、あるとしたらそこの本を取って、か。

「“何か”がないことを祈るよ」

 憂漣は視線を本から外さないまま、手をひらりと振る。いいから行け、ということらしい。
 全く、このわがままな王様には困ったものだ。そう思っていても、俺の口元は自然と楽しそうにきゅっと上がっていた。

 ▼△▼

「良い天気だなあ」

 真っ青な空。雲はちらほらある程度で、まさに快晴。建物の周りにある背の高い雑草をざっと見渡し、良い運動になりそうだと腕まくりをする。建物の入り口に近い場所からひたすら草をむしる。透京の外にあるこの場所はガラスに囲まれたあの街とは違い、自然溢れる場所だ。草むしりを完了したところで、すぐにまた生えてくるだろう。
暖かな日差しを肌で感じながら、黙々と草むしりをすること一時間。一息つき見渡せば、随分綺麗になった。これならば、当分は草むしりの必要もないだろう。

「あー、疲れた……」

 体をぐぐぐと伸ばせば、思わず声が漏れる。憂漣じゃないが、今こそ糖分が欲しい。

「おじさんくさい」

 突然の声に振り向けば、いつの間にか来ていたらしい黒禰がいつもと変わらずマイペースな様子でトコトコとこちらに近づく。

「まあ、お前よりはおじさんだしね。今ちょうど一仕事終えたところで疲れたの」
「ふうん。これ、持ってきたけど。食べる?」
「お、何作ってきたの?」
「エクレア。暇だったし」
「ちょうど今、糖分取りたいなって思ってたところ。中に入って。 紅茶淹れるよ。ついでに簡単に昼食も作るから良かったら食べていって」
「ん」

 大量の草を袋に詰め、建物の横に置くと黒禰を中に招く。黒禰はごく自然と憂漣の前のカウチに座ると、お菓子をテーブルに置き、憂漣に声をかける。

「また変なの読んでんの?」
「変なのじゃない」
「はい、エクレア」
「今はいい」
「ふうん」

 会話は嚙み合っていないが、彼らは特に気にしないらしい。マイペースすぎる友人たちにこっそり笑う。
人数分の紅茶と、簡単にサンドウィッチをこしらえると、二人の元へと持っていく。

「はい。凝ったもの作ってないけど、良かったらどうぞ。ほら憂漣も何か食べろって」
「別にいい」
「ちゃんと栄養取らないと自慢の脳も回転悪くなるぞ」
「僕はならない」

 と言いながらも、渋々といった様子でサンドウィッチに手を伸ばす。横にいた黒禰もゆったりとした動作でサンドウィッチを手に取るとパクリと噛り付く。

「黒禰は今日、仕事休みなのか?」
「したい時に仕事をする。だから今日はしない。動きたくない日」
「だったら何故ここに来た」
「お菓子作ったから。一人じゃ食べられないし。憂漣なら処理してくれると思ったから」
「僕に残飯処理させるな」
「まあまあ、素直に食べたらいいでしょ。まったく、いちいち噛みつくなって」
「ふん」

 黙々と食べる憂漣と黒禰の様子に、大きな弟を持ったような気分になる。ただ、彼らの面倒を見るのは嫌いじゃない。手がかかる二人ではあるが、つい面倒を見てしまうのはきっと彼らの魅力なのだろう。二人の様子を見ながら、今のうちに草むしりの袋を回収するか、と外へ出る。
 建物に寄せておいた袋を取ろうとするが、先ほどまであったはずの袋が消えている。おや、と首を傾げながらも建物の陰に隠れた場所を確認する。そこには袋の代わりに一輪の花とガラスでできた靴―片足分だけ―がおいてあった。誰かの忘れ物だろうかと考えたところで、この場所を訪れるわずかな人間を思い浮かべるが、その中にガラスの靴を忘れそうな人間はいない。ともすれば、これは一体誰のものだろうか。
 近寄って見てみると、メッセージカードが添えられていることに気付く。見ていいものかと悩んだが、持ち主を知るためにそっと手に取った。二つ折りのカードを開くと、そこにはこう書かれていた。

『紫鳶[シエン]=クリノクロア 様
このガラスの靴にあう者が、あなたの願いを叶えるだろう 』

「俺宛……?」

 差出人は書かれていない。ただ、宛先が自分であるということは、何か意味があるのだろうか。

「紫鳶。袋を取りに行くのにどれだけ時間をかけるんだ。さっさと戻ってこい」
「え? あ、うん、ごめんごめん」
「まったく。紅茶のおかわりがない」
「お前ね……」

 憂漣は言いたいことだけ言うと、さっさと中へ入ってしまう。扉が閉まるのを見ながら、とっさに隠してしまったガラスの靴をもう一度見てみる。
 こんな怪しいものを持っているべきではない。そう思いながらも、カードに書かれた言葉に引っかかっている自分がいた。
――本当の持ち主が現れたら返せばいい。そう自分に言い訳をしながら。

「俺の願いは――」

 ぎゅっと握ったガラスの靴が壊れないように持ち直すと、再び日常に戻った。

END